第51話 爬行する者たちの王
「あと一人ですね〜♡心細くなっちゃいました〜?」
接吻<ちゅー>して差し上げましょうか、と善子はウインクした。空いた左目を石の仮面で覆い隠すと、彼女はレプハーンの元へ泳いでいく。
「心細く?」
頭を狙った石槍を軽くいなしつつ、レプハーンはスピアを地面に突き立てた。そして、大仰な素振りで笑った。
「…くく、はははは!」
突然の『隙』に、善子は狼狽えつつも―彼女は冷静に、がら空きになったレプハーンの体を石槍で貫いた。肝臓、腎臓、心臓そして頭部。何れも、人体の急所である。しかし、彼はそれを意にも介していないようであった。
「レベッカにゼーベック。これで二人が死にました」
身体に槍が刺さったまま、彼は尋常でない膂力で石槍を砕きながら歩いていく。無防備なその姿を善子は何度も貫くが、彼が歩みを止めることはなかった。
「ゼーベック、そしてその妻ネフェリは食い損ねましたが…レベッカ、この女はご馳走です。この私、レプハーンが美味しく頂いて差し上げましょう」
そして彼は、レベッカの遺体の前に立ち―大きく口を開いた。袋のように開いた口は、仲間の死体を飲み込んでいく。その様子は美しさすら感じるほど―残酷で、善子は背筋に冷たいものが走った。レベッカの筋骨隆々の肉体は、するりとレプハーンの中に収まってしまった。
「ああ―これでまた一つ、強くなれました」
「わあ〜、気持ち悪♡ご自身が異常なの自覚されてます?仲間のこと経験値だと思ってません〜?」
「経験値、良い表現です。死んでしまったのなら、私が継いで差し上げないと、勿体ないですから」
「わあ〜、気色悪♡継ぎ接ぎのキメラほど、醜悪なものはないですね♡」
くつくつ、と彼は笑った。
「おやおや、貴女もその『継ぎ接ぎのキメラ』でしょう?」
その言葉を聞いた瞬間。泥田善子は、目を見開いた。
「臭うんですよ。神と妖怪。混ざり物特有の、澱んだ臭いです」
舌をちゅるりと出すと、レプハーンはスピアを手繰り寄せる。彼が手を翳すと、合金製の槍は主の元へと飛翔した。
「どうです?同じ『混ざり物』同士―坩堝の中で溶け合ってみませんか?」
「…ふふ♡今世紀一キモい愛の告白、ありがとうございます♡」
手を伸ばしたレプハーンに、善子は中指を立てた。そして、彼女はにこやかに微笑んだ。
「…混ざりものも何も、私は『パパ』の娘です。生物学上の両親のことは、認知してません♡」
そう返事をすると、善子は槌を振りかぶった。彼女の背後から伸びる石の腕は、その剛力で以て石造りの大槌を叩きつけた。レプハーンはそれを受け止めた。青白いスパークを、伴いながら。
「それは…っ!?」
そしてするりと、槌と地面の隙間から抜けていく。この力は、先程善子見た―レベッカのものだ。
「…っ、本当に食べた相手の能力を取り込む…!?」
なら―。身構えた善子に、レプハーンの槍が迫る。地中に潜り逃れた彼女は、レプハーンの死角から石槍を伸ばした。
それを避けようともせず。彼は善子の元に歩み寄る。穴だらけにされた彼の体は、ゆっくりと再生していく。足を止める為に作り出した枷は、すぐに破壊された。
重いのだ。確かにレプハーンは上背もあり筋肉もある。それに加えて、レベッカの分の体重が加算されるが、それらを差し引いても重すぎる。作り出した足枷にかかる力はまるで、岩山を小石で押さえ込もうとしているようだ。
「貴方―一体―」
何人、食べてきた。その言葉を紡ぐ前に、耳障りな哄笑と共に、レプハーンのシルエットが崩れていく。
「知りませんねぇ、毎朝のバゲットの枚数など」
ぶくぶくと沸き立つようにして、彼の体が膨れ上がる。乱雑に継がれたその体は、『合成獣<キメラ>』と呼ぶに相応しい。鱗を持つ肉の塊が、善子の前に蠢いていた。体の表面から伸びているのは、無数の腕。それらは善子に救いを求めるように、ゆらゆらと揺れていた。鱗に覆われた大蛸の頭から、レプハーンの半身が現れる。王冠を戴いたその姿は威厳があり、彼はこの全てを呑み込む力を『覇王<スルタン>』と呼称していた。
王の威容を前にして、善子は魔術を使用した。『ストレージ』と呼ばれるその魔術は、術者の魂内に霊子変換した物体を保存、自在に取り出すものである。空間を裂いて落ちてきたのは、一振の槌。彼女の半身ほどある長い柄の先には、鋼造りの石頭が取り付けられている。
期せずして―両者は上半身だけを晒していた。しかし、リーチは圧倒的である。
「数万の軍勢を、一人で相手取ろうというのですか?」
「ご生憎様♡養父<パバ>譲りの一騎当千、ですので♡」
「良い―美味しそうですよ、貴女。泥付き野菜は体に良いと相場が決まっています」
ぶん、と。善子は槌を振り被った。彼女の前に浮かび上がったのは、三メートルを超える長大な石の杭。その尖った槍先は、レプハーンに狙いを定めていた。
「あらあら、串焼き風情が―よく喋りますね♡」
大槌の石頭が、杭を真芯で捉える。その瞬間、杭を構成する岩石は、その構造上取りうる最高の密度まで押し固められた。打ち出された杭は、一メートルほどまで縮む。それは月の空気を裂きながら、ライフル弾並の速度で飛翔した。
「何を…」
レプハーンは腹部に開いた『眼』で、それを捉えた。軌道は単純、ならば『眼』の動体視力を以てすれば、撃ち落とすことは容易い。レプハーンは杭を捉えようと、スピアを振りかざした。
金属音が響く。レプハーンはスピアを取り落とした。杭は、彼の『眼』に突き立っていた。槍を握っていた腕は、まだ痺れている。
「…密度操作の魔道具ですか?」
「さあて、何でしょう」
体に刺さった杭を抜き捨てると、レプハーンは体を縮めた。大きな体は、却って的になる。腕を四本、下半身は馬のように変形すると、彼は善子に向けて駆け出した。善子は石槍を地面から伸ばして牽制しつつ、再び槌を振り上げた。
「甘いですよ」
レプハーンは、大きく息を吸い込むと、背中の『ブースター』を吹かした。背中に空いた二つの穴から、圧縮された空気が噴射され、彼の巨体は急加速した。
咄嗟のことに反応出来ず、善子は槌をレプハーンに叩きつけた。彼の体はゴムのように変形すると、衝撃の与えられた方向に吹き飛んでいく。彼はそっと、尻尾を善子の首に巻き付けた。
「ぐぅ…っ」
悲鳴を上げて、善子は顔を引き攣らせる。彼女は、地面から出ることができない。水から引き上げられるようにして、地面から飛び出した善子の体。頭が取れてしまったような衝撃に、彼女の視界は明滅した。否―事実彼女の頭は、ぼろりと取れて落ちてしまった。
「おっと失礼、尻尾が絡まってしまいました」
泥が集まり、形を成す。首を抑えて嘔吐く少女を、レプハーンは見下ろしていた。そんな彼を、善子は睨めつけた。体を泥に切り替えるタイミングが遅ければ、このまま死んでいた。全く、不便な体である。
「物理攻撃は無効だと思いましたが―何かカラクリがありますね。もしや、泥に出来るのは、体の一部だけなのでは?」
図星だった。『混ざりもの』である彼女は、他の泥田坊のように泥で出来た体を持たない。体積にして、頭二つ分。それが、彼女が泥となり得る一部分である。ざぶんと地面に潜ると、彼女は距離を取った。この場所は、粘菌の海に近すぎる。もし、先程のように体を掴まれ、この島の外に引き摺られることがあった場合。地面から出られない彼女の体は、容易くぶちりと千切られてしまうだろう。
「…さあて、どうでしょう♡」
余裕の表情だけは崩さずに。半身を出した彼女は、石槍を地面から突き出させる。そしてそのまま、杭を射出した。
しかし。レプハーンは、それら全てを撃ち落とす。彼の体に浮き上がった無数の目は、遺憾無くその力を発揮した。そして全方位から向けられる敵意を―スピアを、腕を、触手を以て跳ね除けた。
「お遊びはここまでです」
そして彼は―二人に分身する。二人が四人、四人が八人。当初―彼が海咲と相対した際に、引き連れていた部下たち。それは、彼自身から分かたれた、彼そのものであったのだ。
そしてその全てが、別の異形と化す。善子は、戦慄した。一人だけでも持て余しているのに、八人の相手をしなければならないのだ。
「…最悪」
善子は、顔を顰めた。吐き気がする。こんな相手に、『奥の手』を披露する羽目になるなんて。
放った杭は、鱗に覆われた半人半牛に止められた。空から降りてきた翼のある蜥蜴に体を切り裂かれそうになり、彼女は岩の中に潜る。そんな彼女の柔肌を、巨大なドリルを額に持つ、土竜の爪が引き裂いた。
「逃がしませんよ、お嬢さん。土竜の能力は不完全でした―しかし、貴女を取り込めば」
私は更に、『完全』に成れる。彼はそう言って、舌舐りをした。
「神にも、妖怪にも―どちらにもなれなかった貴女に。私が『意味』を与えて差し上げましょう」
本体は、手を下さなかった。代わりに彼は、一段高い岩の上で、気持ちよさそうに演説を行っていた。見下ろすようなその仕草に、善子は腹が立った。憤りはしたものの、『お立ち台』に杭を投げ込む余裕もなければ、悪態を付く暇もない。彼女は、蹂躙されていた。殴られ、蹴られ、引き裂かれ。一方的に嬲られた彼女の純白のドレスには、赤色が滲んでいた。
「どれどれ、死にましたか?ああ、死ねないんでしたっけ、神霊って」
力なく、地面に沈もうとした善子の体を、分身の一人が引き上げた。レプハーンは、そんな彼女の顔を小突いた。少女は反応すらできず、ただ小さく浅く、呼吸を繰り返していた。
「『混ざり物』の貴女でも―私の中に溶け合えば同じこと。どうか大人しく、私の血肉となってくださいね」
あんぐりと口を開けたレプハーンに、善子は頭から丸呑みにされていく。地面から抜けず、ぴんと伸ばされた彼女の足は、脛の当たりですぱりと切って落とされた。
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