水縹に咲くニロトパラ〜異世界の『地雷』は『飛行』少女〜

山野悠太

水縹色の空の下

第1話 カブキタウン・デストラクション

 漆黒の夜空に昇っているのは、薄気味悪い赤い月。塗り潰されたように重い黒色は、月の赤を一層鮮やかに際立たせている。




  イリス高天原地区『カブキタウン』。煌びやかで淫蕩な、ネオンの光。それは空に瞬く星々の光を呑み込んで、不遜に蔓延る地上の輝き。目も眩むような夜の繁華街、その往来を闊歩している一人の少女。少女は、風景に見合った地雷系。まだ少しだけ幼さの残る出で立ちで、その背中には合成皮革の黒いリュックサックが揺れている。泣き腫らしたように赤い目元は、涙袋の強調された地雷メイク。緩く巻かれたローツインには、ビビット・ピンクのインナーカラー。陽の光の様に鮮やかな金色の瞳は、カラー・コンタクトではなく生来のものだ。




  彼女は無線イヤホンから流れるオルタナティブ・ロックの歌詞に思考を混ぜ合わせながら、品のないネオン・カラーに溶け込むように歩いていく。客引きたちは、そんな彼女を見逃さない。せっせと声をかける彼らの姿は、まるで誘蛾灯に寄せられる虫のよう。男たちを悪戯な笑顔であしらった少女は、人気の少ない裏通りに入る。彼女は路上で酔い潰れた女性を横目で見ながら、とあるホスト・クラブの前で足を止めた。




  イヤホンは付けたまま、彼女は軽やかな足取り<ステップ>で、扉の中へ体を滑り込ませた。高級感のあるクラシックの雰囲気の中で、案内役のボーイが『三つの瞳』でにこやかに微笑む。彼は『三本の左腕』を胸元に添えて、丁寧にお辞儀をした。彼はこの店の新人。太陽系外から来た、『宇宙人<エイリアン>』である。




「ようこそ、いらっしゃいませ」




  少なくとも、常連客ではないだろう。見慣れぬ少女に対し、彼は柔和な笑顔で対応した。警備員<バウンサー>も兼ねる男性スタッフは、熟れた様子で少女の体を観察する。不審な様子はなく、武装もしていない。付け加えれば、全身を現世の原宿系ブランドで固めた彼女は、随分と羽振りが良さそうに見える。




  実際のところ彼らにとって、少女の姿形など、些末なことだ。金さえ落としてくれれば、年齢も種族も何でも良い。あとは―面倒事さえ、持ち込まないでいただければ。




「ええと、初めてで。ハルトさんに、会いたくて」




  少しだけ、緊張した様子で。少女は、そう口にした。その様子に柔らかな微笑みで応えると、男は再び一礼した。




「この度は当店をお選びいただき、誠にありがとうございます。どうぞ、こちらへ。お席までご案内致しますね」




  参ったな、ハルトさんはこの店のナンバーワン。それに、別の客<ひめ>の誕生会中だ。男性スタッフは苦笑を噛み潰しつつ、それでも微笑みを顔に貼り付けた。取り敢えず席まで案内して―男本<カタログ>を渡そうか。




「お兄さん、見慣れない種族だけど、出稼ぎの人?お仕事頑張ってえらいえらい」




  からころと鈴の転がるような声色で、少女はくすくすと笑った。揶揄うような、弄ぶような―淫蕩な微笑みを浮かべながら。




「ありがとうございます」




  鼻につく言い方に、内勤の男は少し腹が立った。しかし彼とてプロの端くれ、物腰柔らかに対応した。憤る必要は無い。この手の見た目の女に、まともな性格を望むだけ馬鹿というものだ。




  彼の心中など露知らず、少女は呑気に鞄の中を漁っていた。保護フィルムが無惨に砕けたスマートフォンでも探しているのだろうか。頭も股も緩い地雷系が―と心の中で罵った彼に、少女は手帳と拳銃<左手>を突き出した。




「仕事熱心なのは素敵だな。でも、不法就労は―感心しないな?」




  金色の瞳で、ウインクをして。彼女は、くすりと微笑んだ。




「…え?」




  乾いた銃声は、店内の喧騒に掻き消された。






「シャンパン!コール!行ってみましょー!」




  『月の光』。夜の街カブキタウンにおける、新進気鋭のホスト・クラブ。魔物から妖怪、王道を行く美形妖精まで、幅広い種族のキャストを有する、女性たちのオアシス。お値段は少々高め、返せない売り掛けは―体で。




「超絶可愛い姫から!チャチャチャ」




  この店のナンバーワン、人狼<ライカンスロープ>のハルトに入ったシャンパンタワー。その高さ、何と三メートル。それは重力を忘れてしまったかのように、ふわりと浮かんでいた。虚空に揺れるガラスの城の美しさは、まさに空中庭園。背の丈五十センチの妖精は、頂上のグラスの上でボトルを傾けた。金色のシャンパンが注がれていき、煌びやかにグラスを満たしていく。美しいタワーを囲むようにして、店中のキャストが、高らかにコールを歌い上げた。




「プレゼント!」




  そんな彼らに向けて撃ち込まれたのは、情け容赦のないロケット・ランチャー。態とらしく尾を引いた弾頭は、ナンバーワン―ハルトの端正な顔にめり込んで―冗談のように爆発した。爆風に巻き込まれ、吹き飛ぶシャンパンタワー。木っ端微塵になるハルト。




  ハルトの横にいた女性は、怪我ひとつなく座っていた。青白く揺れる結界が、彼女を爆風から守った為である。ただし、最推しが目の前で爆散した事実に耐えきれず、女性は茫然自失の様子であった。




  そんな彼女を現実に引き戻したのは、大きな金属音。がしゃん、とエーテル塊で形作られた発射筒が投げ捨てられる。全員の視線の先、扉の向こうに立っていたのは、地雷系な少女。




「ストライク。弁償<スコア>は何点?」




  ボウリングのように倒れたシャンパンの瓶を指し示し、彼女は呑気な声色で尋ねた。




「ひゃ、百万…?」




  そう答えた女性に、少女はちろりと舌を出して目を逸らした。百万という大金。邪推するに、彼女は『あの手この手』で資金を掻き集めたに違いない。それはそれは、悪い事をした。せめて、お金は返してあげなければ。




「…慰謝料の請求は、『入国管理局』宛で」




  勿論、私は一銭も出すつもりはないけれど。居合わせた方が悪いもんに。




  印籠の如く手帳を掲げつつ、もう片方の手はひらひらと振りながら、少女は微笑んだ。手帳に記された所属は、『イリス入国管理局』。肩書きは、『執行官』。記載された名前は、『花崎海咲』。彼女の仕事は、捜索<ガサ入れ>の強制執行。入国管理局執行部とは―法に反する『不法入国』を、暴力を以て取り締まる、国の機関である。




  働いた悪事に覚えがあるのだろう。揶揄うような笑みを浮かべる少女―海咲に向けて、キャストたちが一斉に銃を―あるいは剣を抜く。ある者は狼に姿を変え、ある者は巨大な岩の怪物に姿を変える。




  ここは、幻夢境。現世<うつしよ>の虚像、世界の裏側にして、幻想の安息地。




「まあ取り敢えず、男本くださいな。ムカつく顔から殺すので」




  今なお陰謀と悪意渦巻く、神々の国である。




「ついに嗅ぎつけて気やがったか!」




  複数人のキャストが拳銃を斉射する。しかし、撃ち込まれた九ミリ<だんがん>は、壁に穴を空けるに留まった。




  少女―海咲は懐から取り出したハートのペンダントにキスをする。恥じらうように溶解する、ハートのカタチ。溶出した流体金属が、少女の背中を包み込む。態とらしい駆動音と共に広げられたのは、機械仕掛けの翼―銘を『震電』。それは赤く熱された霊子―中性子を構成する素粒子の一つであり、純粋なエーテル―を排出しつつ、天使の翼のように翻る。撃ち込まれた弾丸は、『飛んで火に入る夏の虫』。彼女の纏う翼に溶かされ、見るも無惨に叩き落とされていく。




  拳銃の斉射が止んだ瞬間、海咲は震電を本来のカタチへと変形させる。それは、長柄の棒―否、『箒』であった。剥き出しの金属に跨ると、ブースターの破裂音と共に、彼女は間合いを詰めた。ソファーを焼きながら、真っ直ぐに飛翔する。




「はやっ…」




  その機動力は、まさに戦闘機のよう。動揺するホストの鳩尾に、箒の機首によるラム・アタックが入る。海咲は箒から飛び降りると、そのまま厚底ブーツの長い踵をフルに活かした回し蹴りを繰り出した。魔術的に強化された靴の底は、的確に男性の顎先を掠め―意識を刈り取った。彼女は箒を再び翼に変えて身に纏うと、隣の男に狙いを定める。




「テメェ…っ」




  向けられた銃口に吠えたライカンスロープは、最後まで言葉を紡げなかった。彼の体には、少女の放つ無数の弾丸により水玉模様が刻まれた。変化前の自身の写真に釘付けにされ、彼はそのまま意識を刈り取られる。慌てて振り返ったもう一人のキャストは、心臓付近をショットガン・ビームで蜂の巣にされた。




「執行官で、頭の緩そうな服装―こいつまさか」




  この国<イリス>は正に、『ソドム』のようだ。イリスには、ありとあらゆるジャンルの犯罪組織が野放しになっている。彼らは陽の光の当たらぬ場所で、堂々と悪事を働いているのだ。しかし、そんな傲岸不遜な彼らにも、恐れるものはある。一つは『公安』。もう一つは『孔雀』。後者は『見た目は良いが頭は悪そうな鳥』という悔し紛れの蔑称である。




  『孔雀』こと花崎海咲執行官は、情け容赦どころか、血も涙もない危険人物。それは、裏社会ではある種の常識だった。何せ、彼女は有名人であるからだ。ガサ入れ次いでに壊滅させた組織は数知れず。只管『人探し』に奔走する、『人殺し』。『どうせ死なないでしょ、ここ幻夢境だし』を合言葉に、良心の呵責を歌舞伎町に忘れてきた怪物。端正な顔立ちと整ったスタイルと引き換えに、倫理観と死生観の歪んだ私刑執行人。それが、裏社会目線の『孔雀』評である。




「面が良い地雷系の執行官、こいつが『孔雀』!?」




  そう叫んだホストの体は、味方の弾丸によって射抜かれた。ふわりと回り込んだ少女が、彼を盾にしたためだ。




  音の響きが可愛くないが、海咲はこの渾名を気に入っていた。少なくとも、『メスの孔雀は地味』などという血も涙もない残酷な蔑称でないならば、自身の見た目は好意的に受け入れられているということだ。この『毎晩警察に声を掛けられ、イマイチ垢抜けないご同業<女子高生>からは後ろ指を向けられる』自身の姿形が、である。こんなに嬉しいことがあるだろうか。




  それ故に。彼女は、自分をそう呼んだ相手には『御礼』をすることにしていた。味方に撃たれ、息も絶え絶えな男の前で、彼女はスカートの端をちょこんと摘み―くすりと笑って挨拶した。




「お褒めいただきありがとう、お兄さん。そしてさようなら」




  そのスカートの中から―がらがらと音を立てて、小型の地雷が落下する。その数、二十個。




  たんたん、と海咲は足を鳴らした。一斉に目を覚ましたした爆弾たちが、タイマーの音を響かせる。お姫様のような格好の少女に上品な挨拶をされて、喜ばぬ男はいなかった。何せ、彼女は美少女であるからだ。




「…イケてるよ、あんた」




「でしょう?皆そう言うの」




  爆音と共に、魔術で編まれた地雷が炸裂する。孔雀が羽を広げるように―内側から爆発した火薬は、外へ外へと広がりながら連鎖的に内装とホストを吹き飛ばす。




  そろそろ、お客の『姫』たちは逃げた頃だろう。でなければ、爆発に巻き込まれて死んだはずだ。




「…ん?」




  待てよ、美少女執行官。殺してよかったのか、客は。




「やりすぎたようだな、私」




  誰も見ていないことを確認し―てへ、と態とらしいポーズをとるなどしてみる。このまま行くと、またお説教だ。そろそろクビになるかもしれない。最近怒られてばかりだ。お前はいつだってそうだ。お前はいつも失敗ばかり。誰もお前を愛さない―なんてことは絶対にないだろう。特に上司は私のことがお気に入りだ。そう、お説教もお小言も、愛のムチなのだ。




  愛されているならオールオッケー。ポジティブに行こう。私は顔がかわいいから、多少のことは許される。裁判では顔の良さが流れを決める。私は叙情酌量の余地大あり、カワイイ・減刑が適用される筈だ。よし、妄想はほどほどにして。ぼちぼち、囚われの『姫』たちを救いに行こうか。




  海咲は、左手の中で『エーテル塊』を拳銃の姿に象らせる。彼女のイメージは、ワルサー製P38。ドイツ製の、洒落た骨董品である。四分の一はドイツ人である彼女にとって、それはある種のノスタルジーだった。それに、オタク心を擽られるドイツ語の響きも大好物である。




  彼女の細く白い指に握られた拳銃から、青白い熱線が次々と撃ち出される。シャンパンを破壊しつつ、見目麗しいホストたちのハートを射抜きつつ、奥へ奥へ。合間合間に、男本を開いては、仰々しく『バツ』印を付けていく。くるりと回転した彼女は、同時に三人のホストを射殺した。




「素敵な『アフター』会場は―この先かな?」




  海咲の目の前には、一つのエレベーター。行先は、下だけである。今回、彼女が『カチコミ』に訪れた理由。地下行きのエレベーター降りた、さらに先。最奥の扉を開けた向こうには、地下闘技場。そこに、『標的』がいる。




  幸いにも、『道場破り』のことはまだ伝わってないらしい。如何にも『好事家』といった仮面姿の観客たちは、拳を振り上げながら檻を取り囲んでいる。熱狂の中心には、二人の女性。片方は、背の丈三メートルを超える巨大な人型の蜥蜴。そして、彼女に丸呑みにされる、猫耳の少女。闘技場と呼ぶことも憚られるこの場所は、言わば見世物小屋。売り掛けを返せない『姫』に価値はない。彼女たちに文字通り『体』で返済してもらうべく、好事家向けのショーに出演してもらっていた訳である。




  キャット・ファイトと呼ぶには余りにも体格差がありすぎる。猫耳の少女は、下半身から飲み込まれていった。




「入国管理局です!その場から動かないでくださーい!」




  大声で叫んでみたが、誰もこちらを見もしない。くそ、デカダン趣味の老人共め。皆殺しにしてやろうかな。こんなに可愛い私を無視するとか、有り得ないと思う。美少女なんだぞ、こちとら。




「はい、カワイイ無視罪。現行犯で死刑判決Death」




  彼女はスマートフォンでチャットを送る。宛先は店を包囲している公安警察。勿論、(自撮り)写真付きである。これで、武装した警官が突入してくる手筈となっていた。




  猫耳の少女はどうでもいいが。今回の目的である月から来た『爬虫類』は、上司の推測通り侵略的な外来生物の可能性が高い。知性があるなら密入国者であり、どちらにせよ入管の管轄である。




  運営は入管の暴力的なカチコミに気がついたようで、既にてんやわんやと慌てているようであった。所詮は、月の奴隷市場で幅を利かせている―海賊風情が母体の集まりである。餅は餅屋、海賊一味の捕縛は公安警察に任せるとして。




「ぴえん、こんなことになるなんて、聞いてないょぅ。助けてはるぴ…」




  ホス狂のご同業<じらいけい>を装って、海咲は態とらしくしずしずと檻の中に向かう。実況やら解説は既に逃げ去ったようで、扉はその辺の紳士に閉めていただいた。




「いひひひ、今度は可愛い子が来ましたよォ」




「あれ、でもこの子どこかで…」




  口々に海咲を批評する好事家たち。可愛いと言われ、海咲は照れたように笑った。




「いいですねぇ、スタイルが良い」




「服に着られてる感じがない」




  褒め殺しにされ、海咲は思わず振り返った。デカダン趣味の老人共だなんて、見る目がないのは自身の方だった、と海咲は反省した。




「おじ様たち、見る目あるじゃないですかあ」




  赤面しながら喜んだ彼女を、怪物が力任せに殴り飛ばした。金網に叩きつけられ、数百ボルトの電圧が海咲の細い体に掛けられる。たかがコンセントと同じだが、されどコンセントと同じである。痛いことには変わりない。




「いった〜。クソ、田舎者め。私がまだ『カワイイ』してる途中でしょうが」




  防御魔術で固めていたとは言え、肋が何本か折れてしまった。そんな彼女に向けて、蜥蜴女は拳を振り上げる。




「え、ちょっと待って…待、話をしよ!言葉通じる!?不法入国の幇助は間違いなく犯罪なんだけど、無理矢理入国させられた側には恩赦があって!」




  早口で捲し立てる海咲に、拳が振り下ろされた。彼女は魔術で盾を創ると、暴力の嵐を何とか耐え忍んだ。




「聞いてって!もし貴女が強引に連れてこられたのなら、私は貴女を助けることが出来て!」




  もう一発、逆の拳が振り下ろされた。




「お願い、落ち着いて!私は貴女を殺しに来た訳ではなくて!月に返してあげるから!やめて!」




  さらに、もう一発。




「聞けや殺すぞ!公務執行妨害だぞ!」




  そして、複数発。まるで太鼓を叩くように、嵐が吹くように。海咲は脳天から押し潰された。魔術の盾など関係ない、圧倒的な暴力。何度も打ち付けられれば、海咲の華奢なカタチなど、忽ち肉塊に変わってしまうだろう。しかし、この程度で死んでいては、入国管理局の仕事は務まらない。




  瓦礫の中から、海咲の色白な腕が伸びる。海咲お気に入りのセットアップは、ぼろぼろになってしまったようであった。尤も、経費で落ちるので彼女の財布は痛くも痒くもないのであるが。




「外来種は、駆除対象!滅殺!」




  光が収束し、白熱した光線が放たれる。それは爬虫類には本来存在しない、たわわに実った乳の辺りを吹き飛ばした。




  星の外から来た、悪意ある外来生物は駆除しなければならない。地球の衛星からだろうが何だろうが、許可なく空から来たものは須らく駆除。




  無論、会話の可能な知覚種族は除いて、である。しかし意思の疎通を図れないなら知性がないと見なす、海咲の乱暴な倫理観は、彼女に容易く引き金を引かせた。




  そのタイミングで、公安が突入してくる。白い装甲に身を包んだ彼らは、海咲に負けず劣らずの低俗な倫理観の元、銃火器を乱射した。実弾とターボ・レーザーが入り乱れる光景は、まるで品性の欠けらも無い乱交パーティ。殆どが蘇生するとはいえ、血みどろな一斉検挙である。また一人、自身を『可愛い』と褒め称えてくれる人がいなくなってしまうのは、心苦しい。何とか地獄から出所して欲しいものだ―と海咲は思った。




  ぐらりと怪物が倒れる。何らかの識別番号だろうか、アラビア語に似た文字の刻まれた蜥蜴女の首からは、肉の焼ける臭いと共に煙が上がっていた。ぽっかりと空いた食道から、猫耳の少女が這い出てくる。




  外傷はそこまで酷くない。丸呑みされたのが功を奏したのだろう。彼女を介抱し、見送った後。腰を下ろした海咲のポケットの中で、電話が鳴った。寝転がったまま、彼女は通話ボタンを押下する。




「はい毎度料亭花崎でございますが」




「もしもし、出前頼める?スマホに住所を送るよ」




  電話の主は、幼い少年。声変わり前の高い声色だが、不気味なまでに落ち着いている。




  彼は海咲の下らない冗談に対応すると、話を続ける。普段ならもうしばらく便乗してふざけ合ってくれるのであるが、どうやら今回は少し切羽詰まっているようだ。珍しく早口な少年の様子に、海咲はそう思った。




「そいつが、次のターゲット。捕まえて連れてくるか、いっその事始末してくれ」




  入国管理局謹製の簡素なユーザーインターフェースを操作すると、少女の顔写真が表示される。少年が『表の世界』の政府と取引して手に入れた、次の標的の詳細である。




「始末?けろちゃんにしては随分物騒じゃん」




  ターゲットの名前は、『夢沢渡里』。横浜市の高校に通う、女子高生。彼女が身につけている制服には、海咲も馴染みがあった。




「不安要素はなるべく潰しておきたい。月の市場に送られるくらいなら、船ごと落としてくれ。街が受ける損害のことは、気にしなくていい」




「私は気にするけど。私の評判に関わるし」




  不安要素、か。海咲は思案した。彼の言葉には大体含みがあるが、今回も良からぬ陰謀に巻き込まれているに違いない。それに、最近はどうも『月』がきな臭い。あの見慣れない蜥蜴人間も、月から持ち込まれたものと聞いている。それに、幻夢境から望める月の裏側は―表側より遥かに禍々しい。




「ご注文は以上でよろしいでしょうか。ご一緒にポテトは如何ですか?」




  海咲の戯言は無視して、少年は電話を切る。最後に、一つだけ言い残して。




「それじゃ頼んだよ、入国管理局の『マンハンター』」




「…店主が話に乗ってくれません。評価星一」




  彼女は立ち上がると、大きく伸びをした。




  明日は忙しくなる。まだ何も知らない、『夢沢渡里』さんには悪いけれど。貴女は必ず、『ここ』に来る。そして、不法入国者には―始末をつけないといけない。




  海咲は、『任務承諾』ボタンを押下した。

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2024年10月14日 21:01
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水縹に咲くニロトパラ〜異世界の『地雷』は『飛行』少女〜 山野悠太 @8901Reimu

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