第59話 水縹色の空の下

 あの小説は、大幅な書き換えが必要だった。『異世界迷い込んだ女の子が、逃がし屋の男の子と出会う話』。我ながら、駄作にも程があったと思う。リアリティはあるが、そこから先の展開が弱すぎる。




  例えば、三輪バイクで暴れ回る空飛ぶ地雷系女子に追いかけ回されたり。逃がし屋を自称していた男の子は奴隷商人であったり。月の民と出会ったり、はたまた女の子は神様として祭り上げられてしまったり。そして、月の独立戦争に巻き込まれて―レヴィアタンが空を飛ぶ。最後は、地雷系少女と仲直りして、ハッピーエンド。




  うむ。我ながら、天才的なプロットだ。事実は小説よりも奇なりと言うが、小説だってこれくらい奇抜でいい。




  夢沢渡里は、スマートフォンをベッドの上に放り出した。今日は早起きしすぎて、約束の時間まで大分暇になってしまったのだ。




  まるで、夢でも見ていたかのようだ。とんでもない、悪夢だったが。幻夢境に連れ帰られた私は、諸々の検査と治療を受けた。切り落とした左手や尻尾についてはどうにもならないが、他の部分は変異を抑え込むことができた。そしてどうやら、私の肉体は現世に置き去りにされていたらしい。私は色々な手続きを踏んで(今度は、契約書をきちんと読んだ)、正当な手順で以て―植物状態であった肉体に戻り、『日常』に帰ってきた。退屈でくだらない、そんな世界に。




「あの、渡里。お友達、来たわよ」




  心配そうな顔で扉から顔を出したお母さんに、『ありがとう』と微笑み返す。どうやら私は、両親の中では不良少女になってしまったらしい。無断での夜間外出。原因不明の昏倒。更には検出された薬物反応(これは、幻夢境サイドによる投薬の結果だ)。そして、どうやらトー横界隈みたいな『悪いお友達』とつるんでいると来た。




  暫く、インターネットは禁止になってしまったが。何とか父を味方につけ、母を口説き落として、スマートフォン―命より大切なワードプロセッサの使用権だけは死守することができた。




「海咲」




「やほ、渡里」




  私たちは、一ヶ月ぶりのハグをした。左腕の当たり判定がおかしい気がするが、それはご愛嬌。本当の私の腕は、『雷撃の篭手』なので仕方がない。




「あ、渡里のお母さん?初めまして、海咲です。渡里のこと、借りてきますね」




「え、ええ。気をつけてね、渡里…」




  本当に心配そうな表情に、私は笑ってしまった。こんなにも、私は愛されていたはずなのに。話もしないで、分かって貰えないなんて。贅沢な悩みを抱えていたものだ。




  私は三輪バイクの後ろに跨ると、海咲にしがみついた。タンデム走行は、これが初めてだ。




「振り落とされないでね?」




「振り落とされそうになったら、捕まるよ」




  これで、と。私は二つに割れた舌を出した。『真体に生じた幾つかの新しい身体特徴は、肉体にフィードバックされる可能性がある』。幻夢境の医者にそう言われ覚悟していたが、実際に私の体に発現したのは、この長い長い爬虫類の舌だけだ。戸惑いはしたものの―慣れてしまえば、今や私の大切な個性の一つだ。




「ほい、これあげる」




  海咲は、私の舌の上に何かを乗せた。彼女のことだ、何か不審な物が乗っている可能性もあるが―私はそれをそのまま、口の中に入れた。ミントのようだが、何か風味が違う。爽やかなのだが、少し酸味がある。




「何これ?ミント?」




  独特だが、味は嫌いじゃない。




「そ。月のレン人のミント。貴重品だよ」




  何故今、と思ったが。そう言えば私は、彼女にミントを貰い損ねていたのだ。懐かしい、随分昔のことのような気がする。




  私たちを乗せて、トライアドが走り出す。子気味良いエンジンの振動に揺られて、私たちは国道をひた走って行く。目的地は、地下環状線―大橋JCTの近く。そこには、幻夢境へ繋がる非正規ゲートがある。




  後ろを走っていた車は、さぞ驚いただろう。目の前を走っていたバイクが、突然トンネルの壁に向かってハンドルを切ったかと思えば―そのまま消失したのだから。小道を抜けた先は、イリス郊外の街並み。時代劇でよく見かける、古き良き日本の原風景。夜明け前の薄暗い空の下、二人は舗装されていない道路を駆けていく。ジャンプ台のようにせり出した地面は、まだそのままになっていた。




「飛ぶよ。しっかり掴まって」




  そのジャンプ台を使って―空へ、高く。翼を広げたトライアドは、一筋の光となって飛翔する。




  本当の目的地は、レン高原。ヒライの意志を継ぐものたちの国へ向かうのだ。彼らは今、国造りの真っ最中。




  明け始めた空の下、二人はどこまでも広がる草原を見下ろして。灰色の森と黒い山、アメジストが流れる川を見下ろして、広大な内海を渡った先―そこはレン高原。




  地平線の向こうまで続く黄金色の大地に、レンの国『サルコマンド』の旗が揺れている。




  例の小説の最後のシーンは、この場所にしようかと思う。『元』月の民が穏やかに暮らす街並みと、もう飢えることのない子供たちの笑顔。時々交易に来る甲殻類<エイリアン>に、船が沢山泊まった宇宙港。そして、彼らの『夜明け<明日>』を象徴するような、薄い青色―『水縹色』の空。そしてそこに訪れる、地雷系な少女と、夢見がちな女の子。空飛ぶバイクに跨る彼女達の後ろ姿で、物語を締めくくろう。




  小説のタイトルは―そう。




『水縹色の空の下』

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