第28話 ありえない行動
「なんだあれ……!? 将軍、ヴァリアスに何かしたのか!?」
「いいえ、私は何も……」
食堂から将校用の部屋に戻ったディルクとクレマティス。二人はヴァリアスの急すぎる変わりように動揺していた。
「あのヴァリアスが俺に謝るなんてありえない……! 魔法か何かで操られたのか?」
誰か、ヴァリアスに悪意を持った人間が操ったとしか思えない。
だが、ヴァリアスに悪感情を持った人間など、ここは山のようにいるはずだ。兄は横柄で、誰にでも権威を振りかざす嫌な男だからだ。
「……いいえ、ヴァリアス殿からは特別な魔力は感じませんでした。魔法が原因ではないですね」
「じゃあ、どうして……」
「一つだけ、可能性が考えられます」
「何だ、それは?」
「
尻子玉、と聞き、ディルクの頭にはある人物の顔がすぐに浮かんだ。
「……アイリーンがやったのか」
「そうだと思われます」
(……これはまずいんじゃないか?)
公国軍の将軍が、帝国軍の総大将の尻子玉を抜いてしまった。そんなことが帝国本国にバレれば、大きな問題になりかねない。
現在の帝国と公国の仲は比較的良好だが、世の中何が戦争の火種になるか分からない。
「アイリーンはどこだ。すぐに止めさせないと!」
もうすぐ朝の演習が始まる時間だ。二人は部屋を出ると、急いでアイリーンの部屋を訪ねた。だが、彼は不在であった。
「留守か……」
「クレマティス将軍、ディルク皇子!」
アイリーンの部屋の前にいる二人に、声をかける者がいた。
「あんたはたしか、アイリーンの副官の……」
「ボッシュです」
アイリーンの副官の男が現れた。黒い前髪をきっちり後ろに流した真面目そうな男で、背は高いが軍人の割には身体の線は細い。年齢は二十代前半ぐらいに見える。
「アイリーン将軍は、ヴァリアス総大将のところに行かれております」
「何だって?」
急いでヴァリアスのために用意された部屋に向かう。
部屋の前には、ヴァリアスとアイリーンがいた。
「アイリーン!」
「あら、ディルク皇子」
「ヴァリアスに……兄上に変なことをしたのは、あんたか?」
アイリーンの隣に立っているヴァリアスは何の表情も浮かべていなかった。緑色の瞳はガラス玉のようで、ディルクはぞっとした。まるで人形のようだったからだ。
「変なこととは?」
「尻子玉だよ。あんた、昨夜はヴァリアスと寝たんだよな? ヴァリアスから尻子玉を抜いただろう」
ディルクが問い詰めると、アイリーンは曲げた指を顎にあて、くつくつと喉を鳴らして笑った。
「……ええ、抜きましたわ」
「!! なんでそんなことをするんだよ。国際問題になるぞ!」
「国際問題? ……尻子玉を抜かれたヴァリアス様にも落ち度があります。問題にはできないでしょう。それに私は大公の甥です」
アイリーンが自白したというのに、ヴァリアスは眉一つ動かさない。
「……とりあえず、今すぐ尻子玉をヴァリアスに返せ」
「あら、どうしてですか?」
「人の自由を勝手に奪うなんて、普通に駄目だろ」
いくら大嫌いな三番目の兄でも、自由が奪われた状態の放置などできない。
ディルクはアイリーンを睨んだ。
「尻子玉を返すことはできかねますわ」
「何故だ?」
「ヴァリアス様はディルク様の殺害を目論んでいたからです」
「……っ!?」
アイリーンは右手の手のひらを上向ける。すると、その上に虹色に輝く涙形が現れた。
ディルクは魔導書を読んで尻子玉の存在を知っていたが、実物を見るのは初めてだった。
「尻子玉は人間の魔力を結晶化させたものですが、その人間の考えも知ることができるのですよ」
大きなオパールのような尻子玉がにわかに震え出す。ザッザッとノイズ音がしたあと、ヴァリアスの声が聞こえ出した。
『卑しい妾の子め……』『この軍事演習を機に、ディルクを始末してやる……!』
明らかな殺意のあるヴァリアスの言葉に、ディルクは固まった。ヴァリアスから嫌われている自覚はあったが、殺害を考えるほどとは思わなかったのだ。
隣に立っていたクレマティスが、ヴァリアスの胸ぐらを掴んだ。
「生まれはディルク様の咎ではない!!」
咆哮にも似たクレマティスの声にも、ヴァリアスは何の反応も示さなかった。
「将軍! やめろ!」
「ディルク様は、ご自分ではどうにもできない事で苦しんでおられる! ディルク様の生まれを理由に迫害されるのなら、私はあなたを許さない!」
クレマティスの言葉には涙声が混じっている。優しい彼は、悔しくて悲しくて堪らないのだろう。
ディルクは鼻を鳴らした。何故か涙が出てきたからだ。
「……ヴァリアス様は危険な考えをお待ちです。自由にはできかねます」
「でも……」
「今、ヴァリアス様を自由の身にして、ディルク皇子、あなたに何かあれば、責任を問われるのはクレマティス将軍ですよ?」
ディルクはクレマティスの顔を見る。クレマティスは眉間に皺を寄せながら、首を横に振った。
「……大丈夫。ヴァリアス様の尻子玉には、総大将にふさわしい振る舞いができるよう術式を組み込みました。問題なく、軍事演習を行えるかと」
笑みを浮かべるアイリーンに、ディルクは背に冷たいものが這うのを感じる。人の自由を奪い、理想的な振る舞いをさせようとするなんて。
尻子玉は表面的な自由を奪うだけで、心までは操れないとされている。ヴァリアスの心はアイリーンの所業に怒りを煮え滾らせているはずだ。
「アイリーン……何が目的なんだ?」
「私は将軍として、公国を守る義務があります。斥候の調べで、ヴァリアス様がディルク皇子のお命を狙っていることは分かっていました。ディルク皇子、あなたが軍事演習中に亡くなれば、我々公国軍は帝国から罪をなすりつけられることでしょう。……戦争になるかもしれない」
「戦争……」
「実のお兄様のことです。ご納得いただけないこともございましょう。ですが……ここはご理解くださいませ」
◆
(正義感の強いディルク皇子も素敵っ! ……でも)
アイリーンは心の中でほくそ笑む。
(……ちょっと甘ちゃんかしら?)
アイリーンはディルクのことだけでなく、ヴァリアスのことも徹底的に調べあげている。ディルクが宮城に住んでいた頃、ヴァリアスは彼に対し、かなり酷い暴言をはいていたという証言もある。
それでも善性を失わないディルクは大したものだと思うが、自分を憎んでいる相手に情けをかけて逆にやられてしまうなんてことは世の中ザラにあるのだ。
(……私がディルク皇子の代わりに、きっちり復讐してあげないと)
アイリーンは自分の隣に佇んでいるヴァリアスを見上げる。もうヴァリアスはアイリーンが望んだとおりの行動と言動しかしない。
ヴァリアスは帝国の総大将として、責任ある発言しかしないし、他国に行ってもハメを外して性的な遊びをすることもない。
今まで冷遇していた妻を大切にし、他の兄弟達に対しても優しく丁寧に接する。そんな帝国の皇子にふさわしい完璧な人間になるのだ。
(私がやったことは、ヴァリアスが関わるすべての人を幸せにする。きっとディルク皇子も分かってくれるわ)
人の自由を勝手に奪うことは駄目だとディルクは言ったが、それで不幸になる人がいなくなるのなら、自由ぐらい奪えばいいのだ。
アイリーンは、紅色に染まった口の端を一瞬だけ吊りあげた。
◆
初日の軍事演習が終わった後、ディルクとクレマティスは将校用の部屋にいた。
「将軍はどう思う? アイリーンがやったこと……」
軍事演習の最中、ヴァリアスは今までに見た事がないほど、真っ当に軍を指揮していた。
帝国軍の総大将にふさわしい立ち振る舞いをするヴァリアスに、ディルクはずっと違和感を覚えていた。
「……倫理的に言えば、よくはありません。しかし、ヴァリアス殿を野放しにはできません」
「そうだよなぁ……殺されるわけにはいかないもんな」
ディルクの気分は今までにないぐらい沈んでいる。
「私は、ヴァリアス殿はアイリーンに尻子玉を抜かれたままのほうが良いと思います。彼の横柄さは公国でも有名でしたから」
「……今日の演習をずっと見てたけど、あんなにマトモなヴァリアスは生まれて初めて見たぜ。あのままのほうが、確かに色んな人間が助かるだろうな」
(公国に来る前なら、今のヴァリアスの状況を見てざまーみろと思ったかもしれねぇけど……)
クレマティスの真面目さに影響されてしまったのか、ヴァリアスに対し、ほんの少しだけ同情心を持ってしまうディルクだった。
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