第35話 実技試験

 エレメンタルマスターの実技試験の日がやってきた。

 会場は、魔法学校の裏手にある旧魔石採掘場だ。ディルクは採掘場の跡地に建てられた簡易小屋の中で、実技の第一試験である紅茶を淹れる試験を受けたのだが……。


(おばちゃん試験官の圧がすごいな……)


 胸に八角形の飾りをつけた、黒いローブ姿の太ましい婦人がメガネの蔓を掴みながら喰い入るようにディルクの所作を見つめている。頭の後ろで丸い形になるように焦茶の髪をまとめているが、頭髪には白髪が目立つ。

 今日のディルクも黒いローブをまとっている。

 やりづらさを感じながらも、何とかディルクはポットの中に水を発生させ、湯を沸かし、水流を作った。

 こぽぽぽと音を立て、カップに琥珀色の湯を注ぐ。あたりに芳しい香りがふわりと広がる。

 色と匂いは完璧だ。


「……どうぞ」


 ディルクはぎこちない笑みを浮かべながら、試験官の婦人に紅茶が入ったカップを差し出した。


「うん……合格よ、あなた」


 試験官の婦人は紅茶を口にすることなく、ディルクに合格を言い渡した。

 ディルクはぽかんと口をあける。


「えっ、いいんですか?」

「ええ、最終試験に進みなさい」

「えっっ?」


 第一試験である紅茶を淹れる試験の他にも、最終試験前にいくつか試験がある。

 過去には、巨大な容器に入れられたスライムを魔法を使って時間内に溶かす試験や、的に向かって正確に氷の矢を放つ試験などが行われたらしい。

 もちろん、ディルクはそれらの試験対策もばっちりしていた。


「あなたなら、第二試験も第三試験も問題なくクリアできると思う。最終試験の相手は強力よ? 万全な状態で望みなさい」


 試験官のメガネの端がきらりと光った。


「……はいっ! ありがとうございます!」


 ディルクは返事をすると、ぴしっと手を身体の横に当て腰を直角に折った。

 何故、第二試験と第三試験をパスできたのかはよく分からない。だが、ここはお言葉に甘えたほうがいいだろう。コネだとか試験官が皇子相手だから忖度しただとか、今はそんな余計なことは考えない。

 少しでも合格率を上げたかった。


「最終試験会場はここを出て右に曲がって、突き当たりにある天使の像の左に曲がったその奥よ」

「ご案内感謝しまっす!!」


 ディルクは最終試験会場へ向かって走る。

 信心深いわけではないが、天使の像には一応一礼しておく。昔の魔石発掘場は事故が多かったらしく、こういう守り神的なものが置かれがちだ。


 試験官に言われたとおりの道を進み、最終試験会場と書かれた立て看板の前まで来た。最終試験会場は煉瓦の壁の四角い建物だった。どことなく、ジェニース家内にある演習場の外観に似ている。

 ディルク以外に受験者らしき人の姿は見えない。


「どうぞ、こちらです」


 建物の中から人が出てきた。黒髪を頭の後ろで一つ結びにした三十代前半ぐらいの薄顔の男で、やはり黒いローブを着ている。胸には当然のように八角形の飾りがあった。


 男の案内で、建物に入る。中はひんやりとしていてやたらと足音が響く。

 そしてディルクは奥の部屋に通された。

 部屋の中は壁も床も石造りでかなり広いが、物は何も置かれておらず、窓もない。照明もないのにぼんやり明るかった。扉が一つあるだけの、なんとも不思議な空間だ。


「私がここから出て扉を閉めますと、像幻視が現れます。像幻視を倒せたら実技試験は合格です。像幻視を倒す前に扉を開けると失格になりますのでご注意ください」


 男は試験内容を手短に説明すると、扉から出ていった。一人きりになったディルクは、あたりに注意深く視線を走らせる。

 

「……いったいどこから像幻視のヤローは出てくるんだ?」


 ディルクが独り言を洩らした、その時だった。

 前方の奥の床から、ぬるりと黒いスライムのようなものが現れた。それは見る見るうちに人の形になっていく。


「クレマティス……」


 全身真っ黒だが、それは紛れもなくクレマティスだった。像幻視だと分かっているが、戦いにくい。


(まったく、嫌な試験だぜ……)


 ディルクは心の中で舌打ちしながら、自分が着ている黒いローブに手をかける。

 黒いローブはフリーサイズになっていて、胸元を緩めることができた。肩を露出させたディルクは像幻視を見つめる。


(本当に効くのだろうか……)


 ディルクにはアルラから教わった、像幻視に勝つ秘策があった。本当にこれで勝てるのか半信半疑ではあったが、正攻法では像幻視に勝つのは難しい。

 ──やるしかなかった。


 ディルクは右手の人差し指と中指を真っ直ぐに立ててくっつけると、それを唇に当てた。ちゅっとリップ音をたてると、二本の指先を像幻視に向けた。


 魔力を込めた、投げキッスだ。


 ディルクの指先から桃色のハートが飛び出す。それはクレマティスの形をした像幻視に向かって真っ直ぐに飛んでいった。


 時間にしてたった数秒のはずだが、ディルクにとっては永遠にも感じられた。

 果たして桃色のハートが当たった像幻視はどうなるのか? ディルクは胸を高鳴らせながら、自分が放ったハートの行方を見つめる。

 像幻視の元に、無事桃色のハートは到着する。

 そして、それは像幻視の胸をぶち抜いた。


「あっ……!」


 ディルクは両手で口元を覆う。彼の目の前で、像幻視の身体が飛散した。

 それは無慚な光景だった。胸に拳大の穴があいたと思ったら、更に黒い身体に亀裂が入り、部屋中に飛び散ったのだ。ぼんやりと輝く壁に、黒い塊がべちゃりと嫌な音を立ててぶつかると、ずるりと床の上に落ちた。


「クレマティス……っ!」


 ディルクは肩をさらけ出したまま、像幻視に駆け寄る。

 像幻視はすでにクレマティスの形はしておらず、ぶよぶよとした黒いスライムのような姿に戻っていた。


(これはクレマティスじゃない……落ち着け、落ち着くんだ、俺……)


 すうはあと深呼吸を繰り返す。魔物との戦闘には慣れているが、人型をしたものを倒したことはまだなかった。こんなにもショックを受けるものなのかと、ディルクは驚く。覚悟をしていたはずなのに、動悸や手の震えが止まらない。

 像幻視の黒い破片はしばらく床の上でびちびちと跳ねていたが、一般的な魔物と同じくすぅっと塵状になって消えていった。

 これで倒したことになるのだろうかとディルクが視線を彷徨わせていると、部屋の扉が開いた。


「おめでとうございます。実技試験は合格です」


 先程、ディルクをこの部屋に案内した薄顔の男がやってきた。

 合格だと言われてもピンと来ないし、喜びも湧き上がってこない。それより、クレマティスの形をしたものが、目の前で飛散したショックのほうが大きすぎる。

 ディルクは何も言葉を発することができないまま、男に連れられて外に出た。


「ディルク様!」


 建物の外に出た際、自分を呼ぶ低い声がした。

 顔を上げると、そこにはでかい図体をした見慣れた黒い軍服の男がいた。肩までのばした癖のない金髪が風に揺れている。

 ディルクの目に涙がせり上がってきた。


「ご無事ですか? 怪我はしておりませんか? な、なんでローブが脱げかけに……? もしや私の像幻視に何かされましたか!?」


 クレマティスはわたわたと忙しなく太くて逞しい腕を動かしている。ディルクは慌てた様子の彼に抱きつくと、厚い胸板に顔を埋めた。グリーン系の爽やかな香水の匂いがする。それをふんふんと鼻を鳴らしながら吸う。安心する匂いだ。そして温かい。


「将軍、俺疲れちゃった……」

「そうですよね、疲れちゃいましたよね……さぁ、屋敷に帰りましょうか」


 ディルクは肩をやんわり抱かれたあと、ふわりと横に抱き上げられた。普段はお姫様だっこをされると微妙な気持ちになるのだが、今日は違った。大きくて温かなものに包まれている安心感で、勝手に口が笑ってしまった。

 ばらばらになった像幻視を目にした時は、あんなにも不安な気持ちになったのに。


「……将軍は、聞かないのか? 像幻視との戦いがどうだったのか」

「……今はお疲れでしょう。また落ち着いたら教えてくださいませ」


 クレマティスが戦った像幻視は母親だった。自分を愛し育ててくれた人の像幻視と戦うのは、辛い経験だったに違いない。……きっと、自分以上に。


「分かった……」


 分かったと返事はしたが、勝利した方法は言えないと、ディルクは思う。像幻視相手に投げキッスをしたと言えば、クレマティスがやきもちを焼きかねないからだ。

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