第37話 愛するあの人の、理想の弟に
エレメンタルマスター試験から七日後、ジェニース家に封書が届いた。送り主はエレメンタルマスター協会だ。
「皇子様、ドキドキしますねっ」
クレマティスの下の弟、マシューはこの日非番だった。たまたま屋敷にいた彼が、配達員から封書を受け取ったのである。
2mある巨体を屈め、胸の前で手を組むマシューにディルクは苦笑いする。
「何で弟がドキドキするんだよ。関係ないだろ?」
「関係ありますよ! 皇子様が兄さんと結婚したら、僕だって皇子様の弟になるんですから!」
「……まぁ、そうだな」
ジェニース家の三兄弟は仲が良い。別に一緒に遊びに出かけるようなことはないようだが、それでもお互いを家族として尊重しているのが伝わってくる。
ディルクにも異母弟が二人いるが、歳が離れていることもあり、交流はない。
もしも顔を合わせる機会があれば、ジェニース家の三兄弟のように談笑することもあったのだろうか……と考えそうになったところで、それはないなと思い直す。おそらく、義母や周囲から「ディルクは卑しい妾の子だから」と吹き込まれ、きっと嫌っているに決まっている。
(……また、嫌なこと考えちまったな)
もう帝国には二度と戻らない。実の弟の顔を見ることもないだろう。嫌われていようが関係ないと分かってはいるが、兄を慕うマシューを見ていると胸が切なくなる。
「……なぁ、弟」
「何ですか?」
「俺がお前の義理の兄になること……どう思う?」
マシューはキョトンとしている。まずいことを尋ねてしまったかとディルクが慌てると、彼は事もなげに言った。
「……義理の兄になること、って。最初から皇子様のことは『ああ、クレマティス兄さんの伴侶になる人なんだな』って思ってましたし。今さらどう思うもないですよ。普通に嬉しいです」
「最初からって……何でそう思ったんだよ」
「何でって。クレマティス兄さんは大公閣下から男の人と結婚するようにと言われていましたし、父も母も皇子様がここにいらっしゃる前から『皇子様がお兄ちゃんのお嫁さんになってくれるといいわね〜』って浮かれてましたよ?」
「……やっぱり仕組まれていたんだな、俺達の出会いは」
分かってはいたが、マシューからあらためて聞かされるとほんの少しだが苛立ちを覚える。もちろん、クレマティスと出会えて良かったのだが。
「こんなことを僕が言うのもアレですけど、王族や貴族の結婚は周囲の思惑がないとなかなか成立しないと思います」
「そうだよな〜……」
大公やクレマティスの両親から、もしも自分達の結婚を反対されていたら。クレマティスはもしかしたら自分との結婚を諦めてしまったかもしれない。そう考えると、祝福されている今の状況はとても恵まれているのだ。
「それよりも! 封書は開けないんですか?」
「ん〜……クレマティスが戻ってくるまで待とうかな……」
ディルクはちらりとマシューを見上げる。
マシューと結果通知を見たと知ったら、クレマティスはまた拗ねるだろうから。
◆
「はぁ……」
自分の部屋に戻ったマシューは胸に手をあてて嘆息する。
眉間に皺を寄せ、床を見つめた。
(「俺がお前の義理の兄になること……どう思う?」なんて……びっくりしたな)
慌てて話題を変えたが、我ながら上手くいったと思う。下手に本心を伝えていたら、変な空気になっていたかもしれない。
「あ〜……もうっ!」
マシューは剣だこのある無骨な手で口元を覆う。
ディルクのことを考えている時はいつも頬が熱を持ち、鼓動が早くなる。
最初から、ディルクは兄のものだと解っていた。だが、頭は理解していても、心はついていかない。
二つ歳上のディルクは、帝国の皇子という地位を鼻にかけることはなく、いつも気さくに接してくれた。
その辺の美貌を誇る令嬢よりもずっと美人で、距離感が近いディルクに、マシューは坂道を転げ落ちるように恋をした。
だが、この気持ちを伝えるつもりはない。
美しいあのひとを困らせたくなかったから。
(皇子様には、ずっと笑っていてほしい……)
ディルクの母親は身分が低く、彼は帝国の宮城でたいそう苦労したらしい。普段の気さくで明るい彼からは想像もできない。
そんな己の苦労を一片も洩らさないディルクに強く惹かれた。だから、マシューも自分の劣情を露わにしないと心に決めている。
ディルクのために、理想の弟を演じるのだ。
人懐っこく、ちょっとおバカな弟の姿を。
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