第二章 堅物将軍クレマティス
第9話 帝国皇子の護衛
ディルクがグレンダン公国を訪れる、一週間ほど前のこと。
「帝国皇子の護衛、でございますか?」
「ああ、頼めるだろうか、クレマティス将軍」
「……はい、しかと承りました」
グレンダン城の謁見の間に呼び出されたクレマティスは、大公直々に任務を言い渡された。
大公は、つい先日追放が決まった帝国皇子ディルクの護衛をしろと言うのだ。
クレマティスは公国軍の将軍だが、かなり特殊な立ち位置にいる。通常、将軍は大軍を率いる立場にいるが、彼は大公直属の部下だった。こうやって、大公から直に任務を承ることも少なくない。
(……追放された帝国皇子の護衛か)
そして、大公が直々に言い渡してくる任務はほぼ訳ありであった。
「皇子の名はディルク。第三皇子の妻をたぶらかした罪で追放処分となったらしい。写真を見たが、見目麗しい皇子であったぞ」
大公は表情一つ変えることなく、懐から一枚の厚紙を取り出すと、クレマティスに手渡した。
厚紙は写真であった。バストアップで写る人物がディルクなのだろう。確かに大公の言うとおり、容姿の美しい皇子だとクレマティスは思った。
波打つ栗色の髪に、長いまつ毛に縁取られた翠玉の瞳。鼻も口元も精巧な人形のように整っている。引き結ばれた唇は赤い。肌は白く、透き通るようだ。流行りのフロックコートを着ていて、線の細い彼によく似合っていた。
皇子のあまりの美しさに、クレマティスは思った。
この方も、性別を偽っているのではないか、と。
最近までクレマティスが護衛をしていた要人は、性別を偽って公国に亡命していた。
その要人は女であったが、男の装いをし、王子として振る舞っていた。要人の男としての立ち振る舞いは見事なもので、クレマティスは要人から実は女だと告白されるまで気がつかなかったほどだ。
だが、クレマティスは要人の真の性別に気がつかなかったことを後悔している。幼い頃から男社会で生きてきて、女のことをあまり知らなかったとはいえ、これはあんまりだろう、と。
別に相手がどちらの性であろうとも心を込め丁寧に接する心構えでいるが、それでも女だと気がついていればもっと何かできたのではないかと、反省していた。
(……ディルク様も、女性かもしれない)
帝国の皇子は皆皇子ばかりだと聞いている。
ディルクが皇女だと仮定すると、性別を偽っていてもおかしくない。
美しい皇女を妻にと考えた諸侯が、争いを起こす可能性があるからだ。
クレマティスの考えは外れていた。
ディルクは普通に、男で、皇子であった。
(やってしまった……)
護衛対象に不信感を抱かせてしまった。
なぜ自分がディルクが女だと考えるに至ったか、きちんと説明すべきかもしれないが、それにはどうしても男として振る舞っていた要人の話をしなければならない。
要人は、今も母国で王子として生きている。
こっそり教えて貰えた真実を、ディルクに告げるわけにはいかなかった。
クレマティスは、ディルクにただひたすら己の非礼を詫びた。
ディルクは気にしていないと口では言いつつも、その整った顔には不満がありありと出ていた。
そんなこんなで、二人の関係は始まった。
クレマティスの実家であるジェニース家で暮らし始めたディルクは、瞬く間に家に馴染んだ。
暮らし始めて二週間が経つ頃には、長男のクレマティスよりもディルクの方が家族と仲が良いのでは? と思うほどであった。
この日の夕食も、ディルクは両親を「パパさん・ママさん」と呼び、嬉しそうに食事を口に運んでいる。
今夜は、普段グレンダン城に駐在している父が家に帰ってきていた。下の弟のマシューは夜勤で不在だった。
「パパさんが貰ってきてくれた魚の干物、めっちゃ美味いです。お酒と合いますね!」
「気に入っていただけたようで何よりです」
普段、あまり感情を表に出さない父が、終始にこやかにしていた。酒もすすんでいるようで、頬がほんのり赤らんでいる。
「ディルクちゃんが我が家に来てくれて本当に良かったわ。今までは家族で食卓を囲んでいても、むさ苦しくって!」
特に母はディルクの同居を喜んでいた。
ジェニース家は男兄弟ばかりで、クレマティスとマシューは軍人だ。クレマティスと父は黙々と食事を摂りがちで、マシューは食べるのに必死──楽しく食事がしたいと願っていた母は不満を募らせていたのだ。
「はは……俺も男だから、むさ苦しいですよね」
母の言葉に、ディルクは苦笑いする。
「ううん、ディルクちゃんは別よ。綺麗だし、お喋りも楽しいもの! ……ねぇ、ディルクちゃん、このままうちのお兄ちゃんのお嫁さんにならない?」
母の突然の提案に、ディルクの隣に座っていたクレマティスはぴしりと固まる。
(母上は突然何を言い出すんだ……)
「……申し訳ございません、ディルク様。母は酔っているのです。ご容赦ください」
「まぁ! 私は酔ってないわよ。グラスの中身は炭酸水だもの」
クレマティスはディルクに向かって頭を下げるが、母は不満げな顔をして細いグラスを持ち上げた。
きっとこの母の言葉にディルクは怒るだろう──クレマティスは恐る恐る、隣に座る彼の様子を窺った。
「将軍はどこかのお嬢様と結婚するんじゃないのか?」
だが、クレマティスの予想に反し、ディルクは特に怒った様子もなくきょとんとしていた。
「宰相の息子だから、ほら、婚約者とか……」
「クレマティスは大公閣下より、『男と結婚せよ』と命ぜられております」
ディルクの疑問に答えたのは、父だった。
そしてその返答は真実だった。
「ええっ!? 男と……?」
ディルクは驚きの声をあげる。
更に父は説明を続ける。
「はい。この国は二十年前から同性婚制度を取り入れておりますが、まだ一般的とは言えません。特に貴族は男女で結婚する者が大半です」
「そりゃそうですよ。貴族の家は跡継ぎが要るでしょう?」
「その跡継ぎも、大公閣下は血縁にこだわらず実力のある者を選ぶようにと仰せです。公国から実力の伴わぬ漫然とした世襲をなくそうとしておられるのです」
「ひぇっ、公国は何でも実力主義の国だと聞いていましたけど、徹底してますね……」
ディルクは口に手を当て、眉を下げている。父の話を聞いて動揺しているようだ。
当たり前だとクレマティスは思う。自分も、大公から男と結婚するようにと言われた時は驚いた。
三十近くなったらどこかの令嬢と見合いをして、家庭を築くものだと漠然と考えていたからだ。
「そうそ、だからディルクちゃん、うちのお兄ちゃんと結婚しない?」
「……俺と将軍じゃあ、釣り合わなくないですか? 俺、帝国の皇子って言っても八番目だし、妾の子なんで結婚しても別にメリットないですよ?」
ディルクは片手を顔の前で左右に振っている。
彼は、すっぱり断ると角が立つと考えたのかもしれない。
(ディルク様は私のために、ご自身を下げていらっしゃる……)
確かにディルクの言うとおり、彼は現皇帝の息子と言っても、八番目で、正式な妻の子ではない。だが、この大陸一の大国、帝国の皇子なのだ。
クレマティスは宰相の息子と言っても、まだ公国は百五十年しか歴史のない小国だ。
ディルクのほうがずっと立場は上なのだ。
「……ディルク様、私のためにご自分を下げなくともいいのですよ」
「別に自分を下げてなんかねぇよ。本当のことだろ?」
「いいえ、本当のことではありません。もしも私がディルク様と結婚できましたら、メリットしかございません」
ここまで言って、クレマティスは気がつく。
向かいにいる両親、特に母が、こちらを見てにやつきながら頬を手でおさえていたのだ。
「あらあらまぁまぁ」と言いながら。
「あら、私達のことは気にしなくてもいいのよ? もっと痴話喧嘩してちょうだい」
そう言う母の青い瞳は、煌めいていた。
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