第四章 皇子達の因縁

第24話 ちょうどいい身長差

「やった! 身長のびてる!」

「良かったですね、ディルク様」


 健康診断の結果が返ってきた。もうすぐ十九歳になるディルクは、昨年からなんと3㎝も背がのびていた。彼の身長は181㎝になった。

 今日で、ディルクがグレンダン公国にやってきてちょうど五ヶ月になる。身長だけでなく、こころなしか身体の厚みも増しているような気がする。ジェニース家で寝起きし、出される食事を口にしているからだろうか。

 帝国にいた頃よりも、ディルクの食事量は増えていた。


「将軍は?」

「私は変わりませんね……もうすぐ二十六歳ですから」


 ディルクはクレマティスの健康診断結果を覗く。クレマティスの身長は195㎝もあった。


「……14㎝差かぁ。まだまだ遠いなぁ」

「ちょうどいい身長差だと思いますが?」

「ちょうどいい……何でだ?」


 ディルクはこてんと首を傾げる。すると、クレマティスは彼の輪郭に手を添えると、覆い被さった。

 ディルクの顔に影ができる。

 抵抗する間もなく、唇に柔らかいものが押し当てられた。

 一瞬何をされたのか、ディルクは分からなかった。


「……口づけがしやすい、良い身長差かと」

「い、いきなり何するんだよ……!」


 国が傾くほどの美しい微笑に、ディルクの頬はこれでもかと熱くなる。思わずクレマティスを非難する言葉が出てしまった。


「ここはグレンダン城の廊下だぞ? 誰かに見られたらどうするんだよ」

「大丈夫ですよ、近くに人の気配は感じませんから」


 人の気配はなくとも、恥ずかしいものは恥ずかしい。自分から誘う時は平気なのに、性的なことをされる側になるとどうしてこんなにも意識してしまうのか、ディルクは分からなかった。


「……将軍、これだけは言っておく」


 ディルクはごほんと咳払いをすると、クレマティスの分厚い胸板に指を突き立てる。


「何でしょうか?」

「俺は受け身になるとめっちゃ恥ずかしがるけど、その……嫌じゃないから! それだけは誤解するなよ?」


 ディルクは頬に熱を感じながら、クレマティスを見上げる。クレマティスは切れ長の目を何度か瞬かせると、顔の中心に手をあて、俯いた。


「将軍、いきなりどうしたんだ?」

「む、胸が苦しくなりまして……」

「マジで? 病気か!?」

「……いえ、一時的なものだと思います」


 一時的なものと言われたが、それでもディルクは心配だった。クレマティスが胸を押さえ出したからだ。


「救護室に行こうぜ。心配だ!」

「大丈夫ですよ」

「過信はよくないぞ?」

「いや……これはその……」


 珍しく、クレマティスは言い淀む。やはり病気なのかとディルクは俯く彼の顔を覗きこんだ。


「あまりにもディルク様が可愛らしくて……その、胸が……」


 頬をほんのり赤く染め、視線を逸らすクレマティスに、今度はディルクが目を瞬かせた。


 ◆


(何……今のやりとり……)


 柱の影に潜んでいたアイリーンは、眉をきりりと吊り上げると、柱に真紅の爪を突き立てた。

 こっそり懸想しているディルクの姿を目に留めた彼は、魔法で気配を消し、ずっとディルクのことを見つめていたのだが……。


(クレマティスめ……私のディルク皇子にベタベタして!)


 アイリーンはクレマティスの広い背を睨む。彼はディルクとバディを組んでいるクレマティスのことを忌々しく思っていた。

 あと半年、将軍になるのが早ければ、今ごろディルクの隣にいたのは自分だったかもしれないと思うと彼は悔しくて堪らない。


(私の方が、先にディルク皇子のことを好きになったのに!)


 アイリーンとディルクが出会ったのは三年前。アイリーンがまだセルギウスと名乗っていた頃だ。

 彼は元から、豊満な胸と巨根を持つ美女だったわけではない。素の彼は、そばかすが目立つ顔をした、痩せっぽちの冴えない青年であった。


 三年前、その当時将軍付きの副官をしていたアイリーンは、帝国軍との合同軍事演習の打ち合わせを行うため、帝国に足を運んでいた。

 帝国軍の総大将は第三皇子ヴァリアスだった。ヴァリアスは権力を振りかざす横柄な男で、公国からやってきたアイリーンにも辛く当たった。


『なんだこの演習計画は! こんなもの受け入れられるわけないだろう! 練り直してこい!』


 ヴァリアスは怒鳴ると、アイリーンに紅茶が入ったカップごと投げつけた。

 応接室から追い出されたアイリーンは、ショックで何も考えられなかった。彼は大公の甥で、名門侯爵家に生まれた。軍属者ではあったが、頭ごなしに怒鳴られたことなど、今までの人生で一度もなかったのだ。

 短い髪から紅茶を滴らせ、茫然と廊下で立ち尽くす彼に声をかける者がいた。


『……大丈夫か?』


 気遣わしげな声にアイリーンが顔をあげると、そこには少年がいた。彼は目を見開いた。少年があまりにも美しい顔立ちをしていたからだ。

 

『ヴァリアスは誰にでも辛くあたるんだ。気にするだけ損だぞ』


 どうも廊下にまでヴァリアスの怒鳴り声は響いていたらしい。

 少年は持っていたハンカチでアイリーンの頭と顔を拭き、カップを投げられた際にできた顔の傷を、魔法で治してくれたのだった。


『……あの、あなた様は?』

『俺はディルク。一応この国の八番目の皇子だ』

『ディルク……皇子』


 アイリーンの胸に、ディルクの名が刻まれる。頬を火照らせる彼の頭から、ヴァリアスから怒鳴られたショックが一瞬で消え失せた。


(あの時、私は恋に落ちた……)


 美しく優しい、帝国の皇子ディルク──その後、アイリーンは徹底的に彼のことを調べあげた。

 ディルクは十人いる帝国の皇子の中で、唯一の庶子らしい。宮城きゅうじょうで働く侍女に金を握らせ、彼がどのような生活を送っているのか話せたところ、正妻の息子達、特にヴァリアスからは子どもじみた嫌がらせを繰り返されているとの情報を得た。

 アイリーンはディルクを何としてでも救い出したいと思った。公国には同性婚制度がある。どうにかディルクを娶れないかと考えたアイリーンは、出世を目論んだ。

 冴えない容姿のままでは、いくら大公の甥とはいえ将軍の座につくのは難しい。

 そこでアイリーンは、クレマティスの母アルラに師事した。アルラは公国一の美容魔法の使い手だった。アイリーンは彼女から、理想の美女に化ける魔法を教わったのだ。

 魔法の力で巨根持ちの巨乳美女となったアイリーンは、その美しい容姿で権力のある男を惹きつけ、一物を使って屈服させてきた。

 そうしてアイリーンは将軍の座にまで登り詰めた。

 彼は現在二十一歳、公国軍史上最年少の将軍だ。


 三年前と大きく外見が変わってしまったため、ディルクから初対面だと思われてしまったが、それでいい。

 新たに手にした外見を愛してもらえればいいのだ。


(私はディルク皇子のために、血の滲むような想いをして将軍になった……)


 将軍への道はけして平坦なものではなかった。何度諦めかけたか分からない。心が折れそうになるたび、極秘で入手したディルクの写真を見つめ、心身共に奮い立たせてきたのだ。


(私は絶対にあきらめないわ……!)

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