第26話 第三皇子ヴァリアス

「帝国軍と一緒に、公国の港で軍事演習?」

「はい、急遽決まりまして……」


 翌日の夜。グレンダン城から戻ってきたクレマティスは、どこか浮かない顔をしてそう言った。


「今回、主に指揮を取るのはアイリーンなのですが、彼はまだ将軍になって日が浅いです。なので、私も補助役として入ることになりまして」

「そっか、大変だなぁ。俺にも何かできることがあったら遠慮なく言えよ?」

「はい……しかし」


 クレマティスは言い淀む。彼が渋い顔をする理由はなんとなく見当がついた。


「……ヴァリアスが来るのか?」


 帝国軍の総大将を務める第三皇子ヴァリアスは、ディルクと因縁がある。ヴァリアスの妻がディルクに恋慕したことで、ディルクは追放処分となったのだ。


 ディルクはぽりぽりと頬を掻く。確かに帝国を追放されたが、元々宮城きゅうじょうでの生活に嫌気がさしていたため、これ幸いにと公国に来た。

 いつも偉そうだったヴァリアスのことは嫌いだったが、だからと言って恨みはない。以前は自分の生まれを馬鹿にしていたヴァリアスを見返したいと思っていたが、その感情もクレマティスと出会って薄れている。


「……はい」

「確かに俺とヴァリアスには因縁があるけど、まぁ気にすんなよ。俺、帝国を追放されて良かったと思ってるし」


 今、ディルクが穏やかな気持ちでいられるのはクレマティスやジェニース家の人達のおかげだった。

 追放してくれたヴァリアスにはほんの少しだけ、感謝しているぐらいだ。


「将軍や、ジェニース家の皆と出会えたからな!」


 ディルクは晴れやかな顔をして、笑った。


 ◆


 一週間後、帝国の軍船が公国の港にやってきた。

 ディルクはクレマティスと共に、ヴァリアスを出迎えることになったのだが……。


(心配だな……)


 客員用の黒い軍服に身を包んだディルクは、隣にいるクレマティスを見上げる。

 ヴァリアスは必ずディルクに嫌味をはくだろう。自分は「いつもことだ」と特に腹も立てずスルーできるが、クレマティスは違う。

 普段の彼は将軍らしく思慮深いが、ディルクのこととなると冷静ではいられなくなることがある。


「……将軍、俺はヴァリアスから嫌味を言われてもなんとも思わねぇから。くれぐれもキレるんじゃねーぞ?」

「はい、存じております……」


(……ヤバそうだな)


 クレマティスからは、普段とは違う禍々しい魔力を感じる。彼のまわりに黒々とした渦が見えるようだ。

 ディルクはふんと鼻息をはく。


(……不本意だけど、いざとなったらヴァリアスに防御障壁を張るか)


 公国軍の将軍が、帝国軍の総大将に怪我の一つでも負わせれば国際問題になりかねない。


(面倒くさいな……)


 ディルクが胃に重たいものを感じていると、軍船の扉が開いた。タラップが渡されると、胸にじゃらじゃら金の飾りをつけたド派手な青い軍服を着た男が一人現れた。

 縦ロールの栗色髪に、吊り上がった一重瞼からは翠玉の瞳が覗く。毛皮付きの白い外套を翻しながらやってくるその男は、ヴァリアス・マチアス・ウィザー。帝国の第三皇子であり、帝国軍のトップであった。年齢は三十歳。

 ディルクの姿を目に留めたであろうヴァリアスは、見るからに意地の悪そうな笑みを浮かべながら口を開こうとした。

 その時だった。


「ディ……」

「ヴァリアス様〜! お待ちしておりましたっ」


 ヴァリアスの言葉を遮るように、キャピキャピとした女の声が、突如港に響く。

 軍属者ばかりの無骨な空間にまったくそぐわない黄色い声色に、ヴァリアスも足を止めた。


(この声は……アイリーン?)


 声の主は、黒い軍服姿の女装将軍アイリーンだった。かっちりとした軍服の上からでも隠し切れない扇情的な身体つきに、ヴァリアスの顔は一気にやに下がったものになる。


「……ほう、公国軍にも良い女がいるじゃないか」


 ヴァリアスは近づいてきたアイリーンのくびれた腰にするりと手を回すと、その尻を何の遠慮もすることなく撫でまわし始めた。


(うげっ! さいっあく……)


 ディルクは舌打ちしたい気持ちでいっぱいになる。ヴァリアスのことは元々クズだと思っていたが、人前で他国の将軍の身体を触るなんて最低すぎる。


「船旅で疲れた。今日のところはゆっくりしたい」

「私が兵営にご案内しますわ」

「……ああ、頼む」


 ヴァリアスはアイリーンの腰に腕を回しながら、用意された豪奢な四頭馬車に乗り込んでいった。


「……アイリーン、大丈夫かな」

「元々、アイリーンは魔法で装った美貌を武器に戦う軍人です。問題ないかと」

「マジかよ……すごいな」


 ディルクは腕をクロスさせて自身の二の腕を掴むと、身体をぶるっと震わせる。いくら任務でも、色仕掛けなんてごめんだ。


「ディルク様がヴァリアス殿にひどいことを言われなくて良かったです」

「だから俺は気にしねぇって。……はぁっ、しっかし、身内の恥を見せちまったな」

「ヴァリアス殿はその、女性関係が……」

「……爛れてるさ」


 ヴァリアスは約一年前、帝国内でも一位二位を争うほどの名家の娘と結婚した。だが、彼は女関係を一掃しようとはしなかった。


「……ヴァリアスは常に高級娼婦を呼んでは侍らせているようなクソ野郎でさ。義姉ねえさんはいつも泣いてたよ」


 今も、ディルクの脳裏には、夫婦の寝室の前で茫然と立ち尽くしている義姉の姿がある。

 彼女に同情したが、皇子の中でももっとも立場が弱い自分ではどうすることもできない。

 泣いている義姉に、ただハンカチを貸してやることぐらいしかできなかったのだ。


「ハンカチを貸したことがきっかけで、義理のお姉様に惚れられてしまったのですか……」

義姉ねえさんも、別に俺に本気じゃなかったと思うよ? ……ただ、なんとしてでもあのクズと離縁したかったんだと思う」


 ディルクは義姉をたぶらかした罪で帝国を追放されたが、ヴァリアスが離縁したとは聞かない。

 まだ婚姻関係は続いているのだろう。


「ディルク様は義理のお姉様を恨んではいないのですか?」

「俺が義姉さんの立場でも、同じことをしたかもしれないって思ったから……恨みはしないな。それにさっきも言ったけど、追放されたおかげで将軍と出会えたし。これで良かったんだよ」


 ディルクはクレマティスにまた、薄く微笑みかける。

 クレマティスは、なんと言ったらいいか分からないと言わんばかりの顔をした。


 ◆


 その夜、アイリーンは冷たい目で、健やかな寝息を立てるヴァリアスを見下ろしていた。

 この愚かな男は、自分を抱いた半陰陽の美女が、三年前に紅茶をカップごとぶっかけた冴えない男だとは微塵も考えなかったようだ。


(この男がかなりのスキモノだという話は聞いていたけど……ここまでとは思わなかったわ)


 ヴァリアスはアイリーンの股間の剣を見て引くどころか、おおいに喜んだ。元々、美女に尻穴を攻められたいと願っていたらしい。


(……ま、おかげでコレが簡単に手に入ったから、いいけど)


 アイリーンは、虹色に輝く涙形をしたものを摘みあげる。それはヴァリアスの魔力を結晶化したもので、尻から取り出すことから、尻子玉しりこだまと呼ばれている。

 これさえあれば、どんな人間でも意のままに操れるのだ。

 尻子玉を抜ける人間には条件があり、一つは術者に性的な興味を持つこと。一つは術者よりも魔力が少ないこと。

 ヴァリアスは二つの条件をクリアしていた。


 アイリーンは尻子玉を手に持ったまま、寝台から出る。ヴァリアスはおそらく朝までぐっすりだろう。


「……これからじっくり復讐してあげるわ、ディルク皇子の分もね」

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