第27話 操り人形

 公国軍と帝国軍の軍事演習は、二週間の予定で行われる。両陣営とも公国の港にある兵営で暮らす。

 ディルクは軍属者ではないが、クレマティスのバディである。何か彼の助けになれたらと、軍事演習に参加した。


 帝国軍がやってきた翌日の朝。

 兵営内にある食堂にて、銀の大皿から卵炒めをよそっていたディルクに近づく者がいた。


「シケた顔をしているな、ディルク」


 ヴァリアスである。不愉快な声色にディルクが顔をあげると、一回り歳上の兄はニタニタと笑っていた。

 ディルクは内心うんざりしながらも、下品な兄が望む挨拶を返した。


「……昨夜はお楽しみでしたか? 兄上」

「……ああ、最高だったよ。ぜひアイリーンを現地妻にしたいね」


 ちなみにだが、帝国は王族であっても重婚が認められていない。正妻がいる状態で他国の人間を娶れば法に触れる。


「お前もどうせこの公国で女を引っ掛けているのだろう? 俺の妻に手を出すぐらいだからな」

「……将軍、やめろ」


 ディルクは後ろを振り向くことなく、声をかける。

 背後から強い魔力と殺意を感じたのだ。


「……っ!」


 後ろを振り向いたヴァリアスは、ビュッフェの料理がのった長テーブルにドンとぶつかる。後退りするほど、クレマティスは恐ろしい形相をしているのだろう。


「……ふんっ! 私の邪魔だけはしてくれるなよ、ディルク!」


 三下の悪役のような台詞をはきながら、ヴァリアスは大股で食堂を出ていく。その背を見送った後、ディルクは後ろを振り返った。


「……将軍」

「……申し訳ございません」


 ディルクが窘めるような視線を向けると、クレマティスはばつが悪そうな顔をして俯いた。

 そんな彼の顔を見たディルクは、ふぅと短く息をはく。


「……ま、追っ払ってもらえて助かったよ」

「……つい、殺気を向けてしまいました」

「ほどほどにしろよ〜? 帝国と公国の関係が悪くなったら困るだろ? 俺がお婿に行けなくなっちまう!」


 ディルクが右の手のひらを上向けると、クレマティスはバッと顔を上げた。


「ディルク様……」


 ◆


(一体なんなんだ、あの殺気は……!)


 廊下まで逃げてきたヴァリアスは、冷や汗をかきながら壁に手をつく。公国軍の将軍クレマティスは、禍々しいまでの殺気を放っていた。


(ディルクはあのゴリラみたいな将軍を味方につけているのか……。チッ、忌々しいやつめ!)


 ヴァリアスは昔からディルクのことを忌み嫌っていた。卑しい妾の子のくせに、容姿と魔力に恵まれたディルクは周囲から一目置かれていた。それが気にくわなかったのだ。

 極めつけが、妻の裏切りだ。妻はディルクに惚れ込み、離縁したいと言ってきた。

 ヴァリアスは妻の申し出を退けた。妻自身は地味で大したことのない女だったが、妻の実家は帝国内で力を持つ名家だったからだ。

 夫婦仲は冷え込んでいる。ディルクさえいなければもっと上手くやれていただろうにと思うと、ふつふつと怒りが湧いてくる。


(この軍事演習を機に、ディルクを始末してやる……!)


 皇帝である父は、ディルクに帝国から出ていくよう命じたが、追放だけでは生ぬるい。

 ヴァリアスは、ディルクは帝国のためにも消えるべきだと考えている。王家に卑しい血を引く庶子は必要ない。

 ディルクが公国でのうのうと生きているだなんて、そんなことは許せなかった。


 一度部屋に戻り、ディルクを始末するための作戦を立てようと、ヴァリアスが歩き出そうとした、その時だった。

 ヴァリアスの身体が、突然びくんと跳ねた。


「……はっ?」


 まるでマリオネットの糸に引かれるように、勝手に手足が動く。

 自室に戻ろうとしていたはずなのに、足は勝手に先程までいた食堂に向かっていく。


(何なんだ、何なのだ、これは……!?)


 魔法をかけられている感じはしない。だが、身体の自由は完全に奪われている。言うことをきかない足は食堂に踏み入れると、そのままディルクとクレマティスがいるテーブルの前へと進んでいく。

 自分が再び現れると、二人は驚いているようだった。


 ヴァリアスの視線が、いきなり下にさがる。

 身体は勝手に、その場に座りこんでいた。


(な──ッ!?)


 現役の軍人が地面に膝をつく。それはもっとも恥ずべき行為だ。だが、身体は更にみっともない体勢を取ろうとする。

 ヴァリアスは膝をついたまま前屈みになると、地面に両手をつき、額を擦りつけた。

 そして、口が勝手に動き出す。


「……ディルク、今まで申し訳なかった! 許してほしいとは言わない。ただ、謝罪させてほしい」


 ヴァリアスは、自分が発した言葉に驚いた。ディルクを罵りたいとは思っても、謝罪したいとは露ほどにも考えたことがなかったからだ。


 食堂内がにわかにざわつき始める。皆が自分に注目している。

 羞恥に、ヴァリアスは頭の奥に痛みを覚えた。


「兄上、急にどうされたのです……!?」


 ディルクは慌てた様子で椅子から立ち上がると、ヴァリアスの顔を覗き込んだ。


「すまない、すまない、ディルク……」


 ヴァリアスの口はなおも勝手に開き、謝罪の言葉を紡ぎ続けたのだった。

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