第三章 皇子は恥じらいを知る
第16話 ディルクの辞書になかったもの、それは
ディルクがジェニース家に来て、三ヶ月が経った頃。客室にて本を読んでいたディルクは青ざめていた。
「どうしよう……」
ディルクの手にあるのは、今公都の令嬢達の間で流行しているという恋愛小説。クレマティスの母アルラから勧められたもので、すげなく断るのもどうかと思い、借りたのだ。
元々ディルクは魔導書以外の本には興味がなく、小説自体も好まなかったが、さすがは流行しているだけあってこの恋愛小説は読みやすかった。
最後には目を潤ませるほどで、ディルクは心から甘く切ない愛の物語を堪能したのだが……。
彼は恋愛小説を読んだことで、一つの悩みにぶち当たった。
アルラから借りた恋愛小説は大人の女性向けで、話の中盤から終盤にかけてがっつり性描写があった。
最初こそディルクは「女もえろいの読むんだ」と思ったぐらいだったのだが、閨でのヒロインの振る舞いに彼は少しずつ違和感を覚えるようになった。
(俺……恥じらいがなかった……)
そう、恋愛小説のヒロインにあってディルクになかったもの。それは、恥じらい。
想い人と肌を重ねるヒロインは、性行為の前に裸を見られて恥ずかしがっていたのだ。
「俺、やばいな……」
ディルクは本をぱたりと閉じると、遠くを見つめる。
彼はクレマティスと性行為を行う際、恥じらうどころか堂々と「性交しようぜ」と誘っていた。
「恥じらい」は、ディルクの辞書にはなかったのである。
(でもなー……。クレマティスは俺が少しでも性交を嫌がるようなことを言うと、してくれなさそうなんだよな……。あいつ、真面目で優しいから)
恋愛小説のヒロインは、頬を染めながら「いやっ……!」などと言い、ヒーローの情欲をそそらせるのだが、クレマティスにはたして「いやよいやよも好きのうち」が通じるのだろうか。
「……ま、ものは試しだ。次の機会にやってみるか」
この三ヶ月の間に十回ほど魔物討伐に行ったが、討伐後、魔力切れなどを理由にディルクはクレマティスと身体の関係を持っていた。人の体液には魔力が含まれていて、魔法使いは性交すると魔力や体力を回復させることができるのだ。
たまに回復しすぎて眠ってしまうこともあるが……。
◆
次の機会はディルクが想像していた以上に早く来た。
「うーん、難しいな!」
客室の姿見鏡には、スレンダーな女の裸体が映り込んでいる。
女は波打つ栗色髪をばさりと搔き上げた。
「ママさんに教わったとおりにやってるはずなんだけどなー……。なぁ、将軍どう思う?」
「申し訳ございません、ディルク様。私は女体にくわしくなく……」
眉尻を下げながら、クレマティスは頭を垂れる。
そう、女は魔法の力で姿を変えたディルクであった。
二人は大公から新たな依頼を受けた。
依頼内容は、隣国ブルクハルト王国の王城で行われる舞踏会に参加してほしいとのこと。
舞踏会は第一王子オイゲンの十六歳の成人記念に開かれるもので、なるべく若い来客を望んでいるらしい。
ブルクハルト王国の歴史は長く、今年で建国千五百年を迎える。歴史と伝統を重んじる王国は、同性婚が認められていない。
クレマティスは公国の代表として参加するが、舞踏会には
二人は話し合い、同性婚が認められていない国に男の同伴者を連れて行くのはどうかという話になり、ディルクは魔法の力で女に変身することにしたのだが……。
「将軍は初対面の俺を女だと勘違いする、大の女オンチだもんな……」
「めんぼくないです……」
「まぁ、難しいこと考えなくていいからさぁ。……アリかナシかで判断してよ」
ディルクはうっすら口の端を上げながら、クレマティスに身体を寄せる。
だが、クレマティスに興奮した様子はなく、ただただ困っているようだ。
(……やっぱり駄目か)
アルラに女体化の魔法を教わり練習したが、どこか違和感があるのかもしれないと身体に視線を落とす。
ディルクも女体にはくわしくない。魔法はイメージが命だ。頭の中ではっきりイメージできないものは、成功しにくい。
(女性向けの恋愛小説を読んだのになぁ〜……あっ)
ここでディルクはあることを思い出す。「恥じらい」だ。
恋愛小説に出てくる男は、ヒロインが恥じらう様子を見て興奮していた。
(俺が今恥じらえば、クレマティスは興奮すんじゃねーの!?)
ものは試しと、ディルクはクレマティスからパッと離れる。
そして、
「やだっ、見ないでよっ! クレマティス将軍のえっち!」
ささっと腕で慎ましい胸元を隠すと、ディルクは恥じらいの台詞を口にした。
クレマティスは目を丸くした後、慌てて後ろを向いた。
「申し訳ございません……!」
(だよなぁ……)
クレマティスの顔はあきらかに青ざめていた。ディルクの理不尽な台詞に怒った様子も、ましてや興奮した様子も、みられない。
(クレマティスは女に嫌がられて興奮するような男じゃないよな……)
「ごめん、将軍〜。言ってみただけ!」
「……本当ですか? いやらしい目でディルク様の女体化した身体を見たつもりはなかったのですが」
「いや、いやらしい気持ちになれよ。こっちは女体化してんだから」
クレマティスの堅物さに、ディルクはがっくり肩を落とした。
「……恋愛小説?」
「そっ、ヒロインがさ、性交の前とかに裸見られて恥じらってんの。将軍もそういうの好きかなと思ってさ」
ディルクは何故自分が急に「えっち!」と言い出したのか、クレマティスに理由を話した。変に気まずくなりたくなかったからだ。
「……私は嫌だと言われたら、行為を拒否されたのだと判断します。それ以上ことは進めません」
「えー、でも、『いやよいやよも好きのうち』ってよく言うじゃん」
「……本当に嫌だった場合、どうなりますか?」
クレマティスに真剣な目を向けられたディルクは、どきりとする。
「『嫌と言いつつも、本当はしてほしいのだろう』と勝手な判断をしていたら、いつか判断を誤る時が来ます。性的な行為というのは繊細なものだと私は考えています。たとえ愛しあっていても、気分や体調次第でまぐわえなくなることもありましょう。……違いますか?」
優しく、諭すような口調で話すクレマティス。ディルクは無言で頷いた。
「……将軍の言うとおりだ。確かにそうだよな。俺、考えなしだった。すぐ本の内容に影響されちゃうんだよな」
「……こちらこそ、正論を言い過ぎました。ディルク様の気分を害してしまいましたね」
クレマティスの言葉に、ディルクはふるふると首を横に振る。
「いや、あんたが言う正論は嫌いじゃない」
不思議と、クレマティスが話す正論は水のようにすっと心に沁みていく。彼が本当に自分のためを想って言ってくれているからかもしれない。
「……はぁ、女体化魔法の練習は、今日はこれぐらいにしようかな。疲れちまった」
「お疲れさまです。何か飲み物でも用意しましょうか」
ディルクが元の姿に戻ろうとした、その時だった。彼はハッとする。頭の中で女体化解除の魔法の詠唱をしても、身体にまったく変化が起こらないのだ。
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