第17話 まるで喰らいつくような

(やばい……っ! 身体が元に戻らない!)


 気がつけば、ディルクは魔力切れを起こしていた。


「どうしよう、将軍! 元に戻れなくなった!」

「魔力切れでしょうか……。ご気分は悪くないですか?」

「それは大丈夫だけど……」


 体内の魔力が完全に尽きても、通常二、三日もすれば自然回復する。だが、女体化した状態で数日過ごすのは、落ち着かない。


「はぁ、仕方ないからラス兄の魔道具で魔力補充するわ……。遅くまで付き合わせて悪かったな、将軍」

「……魔道具で魔力補充?」

「あれ、見せたことなかったっけ?」


 ディルクはトランクの中から黒い箱を取り出すと、ぱかりと開けた。中には水晶でできた棒があった。

 

「この水晶の棒に魔石を入れて、尻に突っ込むんだよ」

「魔道具って、……これは男性器ではないですか。魔力切れの時、いつもディルク様はこちらをお使いになられるのですか?」

「魔力切れの時に使うっつーか、魔力が切れそうな時に先に使っておくことが多いかな? まぁ、それでも魔力切れすることはあるけど……」


 クレマティスの高い鼻梁にぎゅっと皺が寄る。酷薄そうな美形の怒り顔に、ディルクは思わず「ひぇっ」と悲鳴を洩らした。


「……こんなもの、ディルク様には使っていただきたくありません」


 地を這うようなクレマティスの声に、ディルクは額に冷や汗を浮かべる。


(クレマティス……超怒ってる)


 魔道具を使って魔力を回復させたり、事前に補充するのは邪道だと考える人間はそれなりにいる。自然回復を待つか、愛するパートナーとの交わりで回復すべきだと提唱するエレメンタルマスターもいた。

 しかし、ディルクは魔法使いたるもの、魔力切れは普通にありえることであり、その都度魔道具を使って魔力を回復させるのは正当な手段だと考えている。

 いくら相棒バディであるクレマティスに反対されても、使用は止められない。


「でも、魔力がなくなるたびにクレマティスに抱いてもらうわけにはいかないだろ?」


 魔物討伐の後に魔力切れを起こし、何回かディルクはクレマティスに抱かれていた。自分から性交をしようと誘いながらも、いつもどこか申し訳なく思っていた。

 本音を言えば、クレマティスに迷惑をかけたくないのだ。


「……毎日でも、抱かせていただきますよ」


 眉根を寄せてそう言うクレマティスの顔と台詞に、ディルクの胸がどくんと高鳴る。


「で、でも、今は無理だろ。将軍、興奮してないじゃないか!」

「交接するばかりが体液交換ではありません。口からでも魔力を注ぐことは可能です」

「な、な……」


 クレマティスの青い双眸が、まっすぐディルクを射抜く。頭の奥がカッと熱くなるのを感じながら、ディルクはとっさに瞼を閉じた。顎を掴まれ、ぐっと上向かされる。


「んぅっ……!」


 それはまるで喰らいつくような口づけだった。クレマティスの厚い舌が口腔にねじ込まれ、這い回る。

 クレマティスと口づけを交わしたのはこれが初めてではない。だが、ディルクはどうしたら良いか分からず、身体を震わせるばかりだった。


(流れてくる……!)


 喉を伝い、胃に熱いような冷たいような、はっきり形容しがたいものが流れ込んでくる──魔力だった。


「はっ……!」


 口を離された時には、ディルクの身体は元通りになっていた。身体の中の魔力が回復したことにより、先程していた詠唱が有効になったのだろう。


「……ディルク様」

「な、なんだよ」

「私はいつだってあなた様と交わりたいと思っています。どうか、遠慮なさらないでください」


 耳元で囁かれた低音に、またディルクの胸がうるさくなる。


「……今夜はもう、大丈夫だ」

「そうですか。また、ご入用の時は仰ってください」


 クレマティスは外套を翻しながら去っていく。

 客室に残されたディルクは、囁かれた方の耳を押さえながら、そのままへなへなと絨毯の床に座り込む。


「……なんだよ、今のやりとり。……って! 俺! 裸じゃん!」


 今更ながら恥ずかしくなったディルクは、胸の前で腕をクロスさせると、そのまま蹲った。


 ◆


 次の日の朝。

 ふらつく頭を手で押さえながら、ディルクは食堂に向かっていた。


(ぜんぜん眠れなかった……)


 昨夜クレマティスにされた口づけを何度も思い出し、寝付けなかったのだ。

 いつも丁寧で優しいクレマティスからは、想像もできないような荒々しい口づけ。

 ディルクは人差し指で、自分の下唇をむにりと押した。


「……ディルク様?」


 後ろから声をかけられ、びくりと肩を震わせながら振り返る。

 そこにはクレマティスの父である宰相がいた。


「パ、パパさん! おはようございます。ジェニース家に戻られていたのですね」

「はい。資料を取りに……。ディルク様、お顔色が優れないようですが?」

「あはは……。ママさんに魔法を教わって練習してるんですけど、なかなか上手くいかなくて」


 ブルクハルト王国の王城で行われる舞踏会は二週間後。あまり時間はない。それまでに女体化の魔法を会得しなくてはと焦る。


「なんの魔法でございますか?」

「女体化です。男の姿だと、将軍の同伴者として舞踏会に同行できませんよね」

「ふむ……女体化でございますか……」


 宰相の表情が曇る。


「……何か問題でも?」

「大公閣下は、男性二人で舞踏会に参加するようにと仰せです。ディルク様が女性になられる必要はないかと」

「えっ……でも! 普通、男女ペアで参加しますよね!? 舞踏会は……」

「ディルク様の仰るとおりでございます」


 ディルクは帝国の皇子として、何度か舞踏会に参加したことがある。来客は皆男女ペアだった。男同士で連れ立ってきている来客など皆無だった。


「だからこそ、男性同士で舞踏会に参加することに意味があります。大公閣下は、我が国の同性婚制度を他国に広くアピールしたいとお考えです」

「……うーん。俺、帝国から追放されてますけど、いいんですかね?」


 女体化するのは、変装の意味も兼ねていた。帝国から追放された皇子が堂々と他国の王城で行われる舞踏会に参加しても良いのだろうか。


「ディルク様は犯罪を犯したわけではありません。それに身内同士の痴情のもつれなど、どこの国でもあることです」

「そうですかね……」


(俺、男の姿で人前に出たくないんだよなぁ……)


 女達の興奮と好奇に満ちた視線を思い出すと、不愉快な気持ちになる。昔から勝手に見初められ、勝手に想いを寄せられてきた。女から惚れられないように、あえて皇子らしくない言葉づかいをするなどしてきたが、それでもトラブルは尽きなかった。


 今は人前に出る時はアルラから教わった『存在感が薄くなる』魔法をかけているが、これも魔力の多い人間には効きにくいらしい。

 ブルクハルト王国も魔法に力を入れている国の一つだ。舞踏会に魔力の多い人間が参加していたら厄介だ。


「不安に思う必要はありません。ディルク様、あなたの隣にはクレマティスがおります。クレマティスが必ずや、あなた様をお守りいたします」


 落ち着いているが、力のある宰相の言葉。宰相は息子であるクレマティスのことを心から信頼し、期待しているのだろう。


「……そうですね、将軍がいれば安心ですよね」


 ディルクは作った笑みを浮かべる。

 クレマティスは少々口下手ではあるが、それを補って余りあるほど優秀な男だ。父親に信頼されて当然だと思うが、心はもやつく。

 ディルクは皇帝の息子だが、八番目の子でしかも庶子だ。親からの信頼や期待など、無縁だったのだ。

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