第15話 何事にも変えがたい

(やってしまった……)


 また、ディルクの誘いに抗えなかった。それどころか、自分の内にある加虐性にも似た性癖に気がついてしまったと心の中でため息をつく。

 ふと、隣りにいるディルクの寝顔を覗く。彼は憂いなど一片も見られない顔で、すこやかな寝息を立てていた。


 粘液でべとついた軍服は、すでに魔法での洗濯を終えていて、なんなら乾燥まで済んでいる。

 そろそろこの休憩小屋を出なければと思うのだが……。


「ディルク様、そろそろ起きてくださいませ。軍服の洗濯が終わりました」

「ううん……」


 起こそうにも、ディルクが胸に頬をすり寄せてくるのだ。あまりにも愛らしい仕草にクレマティスが分厚い胸板の奥を疼かせていると、外に人の気配を感じた。

 まずい、と思った時には遅かった。


「……あら?」


 開け放たれた扉の向こう側には、このローパー牧場の主がいた。


 



 着替えを終えたクレマティスとディルクは、グレンダン城行きの馬車に揺られている。

 クレマティスは窓に掛かった布の隙間から、外を眺めていた。


(ローパー牧場の主に、まずいところを見られてしまった……)


 公国の将軍と、帝国の皇子が裸で抱き合っているなんて。ただならぬ関係だと勘違いされたかもしれないと、クレマティスは落ち着かなくなる。ディルクが不愉快な思いをしていないかと気になった。


(ディルク様……)


 ちらりと隣りを見る。よほど疲れたのだろう。ディルクはまた、寝息を立てていた。

 クレマティスは目を細めると、自分の外套を脱ぎ、ディルクの身体にそっとかけた。


 ◆


「今回もよくやってくれた。ディルク皇子、クレマティス将軍」


 グレンダン城に戻り謁見の間に行くと、大公が拍手をしながらクレマティスとディルクを迎えた。


「暴走ローパーは顔の選り好みが激しくてな。並の顔をした男では逃げられてしまっていたんだ。さすがは顔面国宝の二人だ」


(顔面国宝……)


 確かにディルクは国宝と謳われるにふさわしい容姿をしているが、自分は違うだろうと思いながらもクレマティスは腰を折る。


「お褒めいただき、光栄にございます」

「疲れただろう。次の依頼が入るまでしっかり休んでくれ」


 大公は労いの言葉を二人にかけると、後ろに控えていた事務官と共に足早に謁見の間を出ていった。


「パパさん、大公閣下は忙しそうですねぇ」

「はい、今日は特に会議の予定が詰まっておりますから」


 ディルクは父に声をかける。父の手には封書があった。

 父はその封書をディルクに手渡した。


「どうぞ、今回の報酬でございます」

「やった! ……うおっ、前回より金額が増えてるっ! いいんですか? こんなに貰っちゃって」

「ええ、もちろんですよ」


 ディルクは「何買おう!」とはしゃいでいる。先程まで、馬車の中でぐっすり寝ていたのが嘘のように元気だ。


「将軍、今から一緒に買い物へ行かない?」

「はい、お供いたします」


 ◆


 グレンダン城を後にしたクレマティスとディルクは、西日が差す城下を歩いている。

 目立つといけないため、クレマティスは母から教わった「存在感が薄くなる魔法」を自分とディルクにかけた。魔力の高い人間には効果がないが、城下を歩くだけなら問題ないだろう。

 

「あっ、これ可愛い!」


 ディルクは路面で売られていた貴金属アクセサリーを指さした。見ると、安価な魔石を貴金属に加工したもののようだ。


「どう? 可愛い?」


 ディルクは下にタッセルがついた丸い魔石の耳飾りを手に取ると、自分の耳に当てた。しゃらりと華奢な音を立て、タッセルが揺れる。

 蛍石のような魔石と、白いタッセルの組み合わせは爽やかな印象で、ディルクにとてもよく似合っていた。


「素敵ですよ」

「そっか、買っちゃおっと!」


 

 夕暮れの城下をあてもなく歩く。こんな意味のない時間を過ごした経験は、記憶のかぎりではクレマティスにはなかった。

 だが、ディルクと露店を見て回るのは、想像していた以上に楽しい時間だった。

 どうしてディルクと一緒にいると、こんなにも浮かれた気分になるのか、考えても答えは出そうにない。

 ディルクに惹かれているというのは分かる。だが、なぜこんなにも彼に惹かれるのかが分からない。


「ディルク様……」

「何だ?」

「……いえ、なんでもございません」

「なんだよー、呼んだだけかよ」


 「変な将軍!」と言いながらくすぐったそうに笑うディルクを見ていると、クレマティスは何度目か分からない胸の痛みを覚える。

 今この時が、何事にも変えがたいほど尊くて、なるべく長く続いてほしいと願った。

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