第2話 美人でも男だからっ!

 出会ったばかりのクレマティスに、いきなり女と間違えられたディルク。彼は馬車の中で視線を感じていた。


(め、めっちゃ見られてる……)


 ディルクは冷や汗をかきながら自分の膝に視線を落とす。何故か不自然なまでに、クレマティスからじろじろと見られていた。


「……おい」


 一言がつんと言ってやろうと思い、ディルクは極力低い声を出そうとした。

 だが、やはり地を這うような声は出ない。


「何か?」

「……あんまり人のことをじろじろ見るなよ。落ち着かないだろ?」


 じろりとディルクはクレマティスを睨む。

 彼は瞬きを数回繰り返すと、目を丸くした。


「……気づかれぬよう、魔法を使ってあなたを観察しておりましたが」

「バレバレだぞ?」

「申し訳ございません。私は斥候ではないゆえ、あまりこのような魔法が得意でないのです」


 クレマティスは悪びれた様子もなく、淡々と言う。


(やっぱり、警戒されるよな……)


 ディルクは帝国の皇子とはいえ、追放された身。

 少々──いや、かなり複雑な事情を抱える皇子を、公国側が警戒しない理由はない。

 クレマティスは護衛だと言っていたが、監視役も兼ねているのは間違いなさそうだ。


「……小細工は不要だ。何か知りたいことがあれば答える。俺は帝国から追放された身だ。遊学を許可してくれたあんたらに隠し事はしない」


 本心だった。

 祖国を追い出されてしまったディルクの受け入れを許可してくれたのは公国だけ。しかもここで魔法を学べるのだ。

 公国が望むなら、自分が知るかぎりのことは何でも話そうとディルクは考えていた。


「……そうですか。では遠慮なく」

「おう、何でも聞いてくれ」

「ディルク様の、好きなものは何ですか?」

「……は?」


 まったく想定していなかったことを尋ねられたディルクは、ついまぬけな声を出してしまう。

 もっとこう帝国や宮城の秘密だとか、ディルク自らが発明した魔法だとか、公国の益になりそうなことを聞かれると思っていたのに。


「お恥ずかしながら、私は無骨者で……。あなたを持て成そうと思っても良い案が何も浮かばないのです。それならば、いっそ好きなものを聞いてしまおうと思いまして」


 クレマティスは視線をそらしながら、滑らかな頬を指で掻く。酷薄そうな顔立ちと腹に響く低音声とはまったくそぐわない言葉に、ディルクは喉を詰まらせた。


「す、好きなもの……? くだもの、かな……」

「くだものですか。では、屋敷に着きましたら用意させますね」


 ◆


(う〜ん……)


 白いクロスが掛けられた長テーブルの上には、銀皿にのったくだものが所狭しに並べられている。さくらんぼにあんず、すもも、メロンなど。

 綺麗に切られたそれらを黙々と口に運びながら、ディルクはクレマティスの様子をちらちら窺う。

 クレマティスはディルクの隣りで品良く佇んでいた。


 ここはクレマティスの実家らしい。

 どこまでも続く堅牢そうな鉄の門、いったい何部屋あるのか見当もつかないほど大きな白亜の屋敷。今いる食堂も、ちょっとしたパーティを開けそうなほど広く、天井の中央にはシャンデリアが輝いている。


 一口サイズに切られたメロンにフォークを突き立て、口に運びながら、ディルクはクレマティスが名乗った家名について考える。


(たしか、ジェニースと言ってたな……)


 ジェニース家は何人もの宰相を出している名家だ。現公国の宰相も、確か家名はジェニースであったはず。


(将軍は宰相の息子なのか……)


 男なら誰でも羨ましく思う長身に、逞しい身体つきをしているだけでも妬ましいのに、名家の生まれとは。

 しかも公国軍は実力主義の組織だと有名だ。クレマティスは戦う術にも優れているのだろう。

 天は二物を与えると言われているが、ちょっと神は盛りすぎではないか? とディルクは苛立ちを覚える。


「ディルク様、お味はいかがでしょうか?」

「めっちゃ美味いよ。特にこのメロン最高! 将軍も食べれば?」

「私はくだものが苦手なのです。特に瓜科は喉がかゆくなるので……」


(……こんなに強そうなのに、免疫過剰反応アレルギー持ちなのか)


 長身の美形で名家の生まれでも、メロンが食べられないのは辛いなとディルクは思う。

 話題を変えることにした。


「将軍、ここは実家なんだろ? お家の人に挨拶しなくてもいいのか?」


 船が港に着いたのは昼過ぎ。港から公都まで馬車で二時間ほど掛かった。船旅で疲れているディルクの体調を鑑みて、今日のところはクレマティスの実家であるジェニース家に泊まることとなった。

 ディルクは、いくら自分が客人とはいえ、家人に挨拶もなく呑気にメロンを食べていてもいいのかと気になった。


「父は普段グレンダン城に常駐しておりますから、今はおりません。母も外出中です。下の弟は非番なので、今日は屋敷にいる予定だったのですが……」


 クレマティスは双子で、双子の弟は父親の補佐役をしているらしい。下にももう一人弟がいて、その弟は彼と同じ軍人をしていると話してくれた。


「男兄弟ばかりなんだ?」

「そうですね」

「……ウチと一緒だ」


 ディルクには上に七人の兄と、下に二人の弟がいる十人兄弟だ。彼の上の兄達は全員正妻の息子で、弟は二人とも後妻の息子。

 ディルクだけが婚外子だった。

 彼の母は貧民出身の下働きだったが、皇帝の目にとまり、側女となった。

 唯一正妻の息子ではないディルクの扱いがどのようなものであったかは、言うまでもない。

 自分の生まれのことを考えると、気分が沈む。

 ディルクは口直しに、ぽいっとさくらんぼを一つ口の中に放り込んだ。


 クレマティスが下の弟の話題を出した、その時だった。

 どたどたと何かが駆ける音がした。

 何事だと思う間もなく、食堂の扉がばんっと勢いよく開かれる。


「クレマティス兄さんっ! 皇子様が来たって本当!?」


 開かれた扉の向こう側には、クレマティスを一回り大きくしたような金髪碧眼のゴリラがいた。


(いや、ゴリラじゃない……公国軍の制服着てるし)


 身体は大きいが、顔立ちにはどこか幼さが残る。煌びやかな金髪は短く刈り込んでいる。クレマティスのことを兄と呼んでいた。これが下の弟だろう。


「もしかして、そこでくだものを召し上がっていらっしゃる方が……!」

「どうも、帝国の皇子様でっす」


 ディルクは片手を上げる。

 すると、クレマティスの弟らしき男は両手で口元を覆うと、大木のような脚をぷるぷる震わせた。


「えっえっ、めっちゃ美人……! 女の人みたい……!」


(またか……)


 本日二回目である。最早ディルクは怒る気にすらなれない。自分を女みたいだと思うのはこの兄弟の感性なのか、それとも公国人の感性なのかは分からないが。


「マシュー、いきなりなんなんだ。ディルク様は歴とした男性で、帝国の皇子だぞ。無礼ではないか!」


 クレマティスはブーツの底をつかつかと鳴らしながら金髪碧眼のゴリラ──マシューに近づくと、首根っこを掴んだ。


「……無礼って。あんたのが無礼だったぞ」


 ディルクはクレマティスを指差した。

 マシューは女の人「みたい」と言ったが、クレマティスは「ディルク様は女性ではないのですか?」と言った。

 マシューはまだディルクを男だと認識しているが、クレマティスは違う。ディルクを完全に女だと勘違いしていたので、クレマティスの方がはるかに失礼である。


「俺のこと、完全に女だと思ってたろ?」

「……ディルク様、もう気にしていないと仰いましたよね?」

「気にしてないけど、気になるだろ!」


 ぎゃあぎゃあと二人が言い合いを始めると、マシューが瞳を揺らし始めた。

 ディルクはごほんと咳払いをする。


「……まぁ、いいや。俺は美人でも男だから、そこだけは理解してくれ」

「はい……」


 ディルクが諌めると、クレマティスはおとなしく頭を下げた。


「弟……マシューと言ったか?」

「はい」

「メロン食べるか? 俺一人じゃ食べきれなくてさ」


 ディルクが銀皿の一つを差し出すと、マシューの青い瞳がぱあぁっと輝いた。


「ええっ、いいんですか?」

「いいぞ」

「わーい、ありがとうございます皇子様!」


 マシューは椅子に座ると、ディルクから差し出されたフォークを手に持ち、ものすごい勢いでくだものを平らげ始めた。

 名家の人間らしく食べ方はお手本のように綺麗だ。だが、大きな図体をした男がくだものをちまちま食べている姿はなんだか滑稽である。


「なぁ、弟はいくつなの?」

「十六歳です!」

「ははっ、まだ十六歳なのにそんなにデカいのかよ……」


 ディルクの口から乾いた笑いが洩れる。

 マシューはあきらかに2mは身長がある。


「もっと大きくなって、兄のような立派な将軍になりたいです!」

「将軍ってやっぱりすごい人なのか?」

「すごい人ですね!」


 ディルクは隣りに佇むクレマティスを見上げる。

 出会ってまだ数時間だが、外見や声こそ軍人らしい威厳はあるものの、ディルクを女性だと勘違いしたりと「この人大丈夫なのか?」と思わずにはいられない言動が目立つ。


(……軍隊によくいる、戦上手だけど口下手なタイプかな?)


 出世の基準が実力主義だと、そういうこともあるのかもしれない。


 ◆


(もう、何なんだ、この家……)


 疲れた顔をしたディルクは、背を丸め、どこまでも続く廊下をとぼとぼ歩いている。

 あれからクレマティスの母親が帰ってきたのだが、やっぱり女だと間違われたのだ。

 クレマティスの母親は二十代半ばの息子がいるとは思えないほど若々しく美しい金髪碧眼の婦人であったが、ディルクよりも背が高かった。


「……なぁ、将軍」


 前を歩くクレマティスに声を掛ける。彼は歩みを止めると、振り返った。


「俺、やっぱり女に見える?」


 帝国に居た頃は女と間違われたことは一度もなく、恋愛感情を向けてくる相手も女だけだった。

 だが、公国に来て三人もの人間から女みたいだと思われた。公国人の感覚からしたら、自分は女々しいのかもしれない──ディルクは落ち込みながら、クレマティスに尋ねる。


「……今はもう、女性には見えません」 

「そっか。でも、考えなきゃなー。今後はこの国で生きていく以上、初対面の相手全員に女だと勘違いされたら厄介だ」

「今ディルク様がお召しになっている黒いローブは、魔法使いが着る男女兼用の装いですから、男性しか着ないものを身につけるといいかもしれません」

「はぁっ、仕方ない。明日からはフロックコートを着るか……。あれ、窮屈で苦手なんだよな」


 頭の後ろで手を組んだ、ディルクの口からため息が落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る