追放皇子の愛されバディ生活

野地マルテ

第一章 追放皇子ディルク

第1話 追放からの新たな出会い

 雲一つない晴天、水面が煌めく水平線の先には隣国の大陸がある。海鳥たちが飛んでいく様を、彼は翠玉の瞳を細めて見つめる。

 その表情は晴れやかで、曇りは一点も見られない。


「あ〜! さいっこうっ!」


 海風に吹かれ、ばさりと広がる波打つ栗色の髪を手で押さえながら、彼は快活に笑った。

 彼の名はディルク。

 現皇帝の八番目の皇子だった。

 だが、今彼は十八年間暮らした帝国を出て、南にあるグレンダン公国に船で向かっている。

 表向きは魔法を学ぶための遊学となっているが、実情は異なる。

 彼は帝国から追放されたのだ。


 三番目の兄ヴァリアスの妻をたぶらかした罪で、ディルクは宮城きゅうじょうに居られなくなった。

 だが、彼は兄の妻に言い寄った覚えはない。

 ディルクは中性的で見目麗しい青年だ。兄の妻が一方的に彼に惚れ、兄に離縁を迫った。それだけの話である。

 本来ならば、どん底に落ちていてもおかしくないエピソードだが、ディルクの胸は爽快感でいっぱいだった。

 なぜなら、彼は宮城から、帝国から出たいとずっと願っていたからだ。


(俺は自由だ……!)


 ディルクにとって、宮城での生活は退屈で窮屈で、実にくだらないものであった。

 権力争いに色恋沙汰。どろどろとしたものが渦巻く宮城は、内装は豪奢でもディルクの目には掃き溜めに映った。


 皇帝の八番目の息子として生まれたディルクは、はなっから次期皇帝になることを諦めている。

 七人いる兄は全員剛健で、王位継承権が自分まで回ってくるとは到底考えられない。


(俺はグレンダン公国で魔法の修行をして、そんで、エレメンタルマスターになる……!)


 そこで幼少期より彼が頑張ったのが魔法だ。

 魔法さえ使えれば、食うには困らない上、より難しい上級魔法を会得すれば、他国の要職に就くのも夢ではない。

 今、船で向かっているグレンダン公国は、約百五十年前に帝国から独立した新興国だが、近隣の国の中では随一と言っていいほど魔法に力を入れている。

 ここで魔法の腕を上げ、エレメンタルマスターになるのがディルクの目標だ。

 エレメンタルマスターとは、ありとあらゆる魔法を極めた魔法使いの称号で、世界には数百人ほどしかいない。

 そのエレメンタルマスターの中でも特に優秀な者は、宰相や大臣、国王など為政者たちの相談役になっている。


(ぜったいエレメンタルマスターになって、出世して、俺を馬鹿にした兄達をギャフンと言わせてやる!)


 ディルクは両手に握り拳を作ると、ふんと鼻息をはく。

 彼の頭の中では、黒いローブをまとった自分が、すました顔をしてどこぞの王に進言する姿が浮かんでいた。


 ◆


 三時間後、無事船はグレンダン公国の港へとたどり着いた。

 意気揚々とタラップを降りていたディルクの目に、一人の男の姿が映る。


(あれは……)


 首元から胸にかけて銀の鎖が下げられた、かっちりとした黒い軍服。袖に入った線を見るに公国軍の将軍だろう。

 追放されたとはいえ、ディルクは帝国の皇子だ。

 公国の上級将校が出迎えるのは、当たり前と言えば当たり前である。


 ディルクを目にした将軍は、恭しく腰を折る。


「ディルク様でございますね?」

「……ああ」

「私はグレンダン公国軍の将軍を務めます、クレマティス・アウロラ・ジェニースと申します」


 クレマティスと名乗った将軍は、ディルクが見上げるほど上背があった。胸板も厚く、いかにも武人といった様相である。

 肩まで伸ばした癖のない金髪に浅黒い肌、やや太めの眉に切れ長の瞼からは青玉の瞳が覗く。筋の通った高い鼻に整った口元。精悍な美形だ。


(でっけぇ、イケメン……! モテるんだろうな)


 クレマティスは男のディルクから見ても、惚れ惚れするような男前だった。歳は二十代半ばから後半といったところか。声は低く、腹に響くようだ。


「これから、あなた様の護衛を担当いたします。以後お見知りおきを」

「おう! こちらこそよろしくな!」


 ディルクは笑顔で片手を差し出す。

 すると、クレマティスは白手袋に包まれた大きな手でディルクの手を取った。

 そして、彼は特に躊躇することなく、ディルクの手の甲に口づけを落とした。


「えっ……?」


 このクレマティスの一連の行動に、ディルクはぱちぱちと瞬きする。

 帝国にも手の甲に口づけをする挨拶があるが、これはまず同性にはしない。男から女にするのが一般的だ。


(んんっ? 公国式の挨拶ってやつか……?)


 公国は同性婚が認められている数少ない国の一つだ。

 同性婚が普通に行われている国では、異性相手にしかしないことでも同性同士ですることも珍しくない。


「へへっ、照れるな。お姫様にでもなった気分だ!」


 他国では常識が異なると分かっていても、気恥ずかしい。ディルクが頬を熱くしながら、照れ隠しにがしがしと癖っ毛をかくと、今度はクレマティスが目を丸くした。


「……ディルク様は女性ではないのですか?」

「……はっ?」


 クレマティスが口にした言葉に、ディルクは一瞬固まった。


「はぁぁ〜? そんなわけないだろ! 見れば分かるだろ? 俺は男だよ! 男! 名前だって男名だろうが!」


 ディルクは唇を尖らせると、頭一つ分大きなクレマティスに反論する。

 いきなり怒り出したディルクに、クレマティスは眉尻を下げた。


「男……? しかし」

「おおぃ! もしかして信じられねぇの? 俺、十八年生きてっけど、女に間違えられたのは初めてだぞ!」


 ディルクは見目麗しい青年だが、中性的ではあっても女に見間違えられるような外見ではない。

 服装は男女兼用の黒いローブに白いジョガーパンツを合わせた姿だが、そのシルエットは女のような丸みはない。胸も尻も真っ平だ。

 背も178㎝あり、帝国の男としてはそこそこ身長があるほうだ。体型は一見すらりとしているが、魔法の他にも護身術として剣術をずっと習っていたため、全身にほどよく筋肉もついている。

 波打つ栗色の髪は背中あたりまで伸ばしているが、髪を長くする男は別に珍しくない。

 確かに肌が白く、声も高めだが……。


「……大変失礼いたしました。あまり、その……私は女性とふれあう機会がないものですから」

「いやいや、普通分かるだろ?」


 護衛の将軍に、女だと本気で間違われてしまった。

 ディルクはショックを受けながらも、用意された馬車に乗り込む。

 馬車の中にもクレマティスは乗り込んできた。


「……申し訳ございません」

「……もう気にしてねぇからいいよ」


 ディルクはぶっきらぼうに言い放つ。

 彼の隣りに座ったクレマティスは、再度、頭を下げてきた。


(なんだかな〜……)


 ディルクはクレマティスをちらりと見る。

 もしかしたら、公国軍の男は皆彼のように屈強なのかもしれない。

 それならば、一般人よりやや体格が良い程度のディルクのことを女だと、勘違いしてもおかしくないのではないか──そう考えそうになったが、彼は自分の胸元に視線を落とすと即座に否定する。


(……いやいや、それはないだろ。俺、胸も尻もないし)


 そんなこんなで、ディルクとクレマティスの初対面はかなり微妙なものであった。

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