第29話 その心とは裏腹に

 ヴァリアスは我慢の限界だった。

 発する言葉どころか、表情一つ、いや、目線の位置すら自由にならない。まるで意識のみが自分自身に宿っているようだ。


(私を操り人形にしたアイリーンを絶対に許さない……!自由を取り戻したら、真っ先にぶっ殺してやる!)


 ヴァリアスは腑を煮え激らせ怒り狂う。だが、嵐が吹き荒れる心とは裏腹に、アイリーンの操り人形になっている彼は、傍目から見れば柔和な人間になっていた。誰に対しても腰が低く、けして声を荒げることがない。

 これでは、総大将としての威厳を保てないではないかと彼は憤る。


 とうとう自由を取り戻せないまま二週間が過ぎ、帝国に戻る日が来てしまった。

 軍事演習の最終日、アイリーンが自室にやってきた。


「これを、奥様に」


 リボンがかけられた包みを、手渡された。


「ありがとう。きっと妻も喜ぶと思う」


 口は勝手に動き、反吐が出るような台詞が洩れる。

 妻に土産など渡したくなかった。あんな実家が力があるだけの、無能な裏切り者に。


 戦船に乗り込む際も、この口は信じられない言葉を発し続けた。


「……ディルク、帝国に戻ったら父上にお前の追放を解くよう進言しようと思う。お前は帝国に必要な人間だ」


 ヴァリアスは自分の口をもいで、海に投げ捨てたいと強く思った。何故、卑しい妾の子の追放を解くために動かねばならないのだ、と。


「……絶対にやめてください。帝国に帰りたくないんで」


 ディルクはぶんぶんと首を横に振る。帝国に戻られるのは嫌だが、だからといって帰りたくないとはっきり言われるのも癪にさわる。

 ディルクはちらちらと斜め後ろを見ている。視線の先にはクレマティスがいた。

 おそらく帝国に帰りたくないのは、禍々しいまでの殺気を放っているゴリラ将軍と良い仲なのだろう。公国は同性婚が認められている。同性同士が恋仲になるのが当たり前の国なのだ。

 ディルクが幸せを掴もうとしている。虫唾が走るが、ヴァリアスはどうすることもできない。


「……そうか、残念だ。達者でな、ディルク」


 心にもないことを口にすると、ヴァリアスは戦船に乗り込んだ。


 ◆


 公国から離れれば、この操られた状態が緩和されるのではないかとヴァリアスは期待したが、帝国に戻っても何も変わらなかった。

 宮城きゅうじょうに戻ったヴァリアスの足は、迷うことなくある場所に向かう。

 妻、ミラの部屋だ。

 ミラの部屋の前まで来ると、手は扉を叩いた。


「ミラ、私だ」


 扉越しに声をかけると、すぐに物音がした。

 金属が擦れる音を立て、扉が開かれる。


「旦那様……お、おかえりなさいませ」


 ミラは瞳を彷徨わせている。

 カラスのように黒い髪を頭の後ろで結いあげ、薄紫色の首が詰まったドレスを着た妻は相変わらず冴えない女だった。特別美人でもなく、だからと言って醜女でもない。どこにでもいる平凡な女だ。


「ただいま。遠征の土産だ。どうか受け取ってほしい」


 リボンがついた包みを差し出すと、ミラは黒々とした大きな瞳を見開いた。


「旦那様が? 私に……?」


 ヴァリアスは心の中で舌打ちをする。ミラは手を震わせていて、なかなか受け取ろうとはしなかったからだ。

 やっと包みを手にしたミラは、リボンを恐る恐る解く。

 

「まぁ……! 髪飾り?」


 包みの中には、虹色に輝く貝殻を繋げて作った髪飾りがあった。アイリーンの見立ては良かったのだろう。ミラは珍しく笑顔を浮かべた。

 思えば、ミラの怯えている顔や悲しんでいる顔しか見たことがない。

 こんな顔もできるのだと、ヴァリアスは初めて知った。


「ミラ」


 自由にならない口は妻の名を呼ぶ。


「……今まで寂しい想いをさせてすまなかった。これからは二人で色々な思い出を作っていこう」


(寂しい想い……だと?)


 ヴァリアスは自分の発言に首を傾げる。ミラはこの帝国の人間で、割と頻繁に実家の人間と会っている。寂しい想いをしているとは思えなかった。

 だが、ヴァリアスの謝罪に、ミラは目に涙を浮かべた。


「……ディルク様に懸想した、私を許してくださるのですか?」


(許すわけないだろう。何を言っているんだ、この女は)


 別の男、しかもよりにもよってディルクに想いを寄せた女など、許せるわけがなかった。

 しかし、操り人形と化したヴァリアスは穏やかな声を出す。


「元はと言えば、私のせいだ。私が君をないがしろにしたせいで、君は優しいディルクに惹かれてしまったのだろう」

「申し訳ありません……!」


 ミラは謝りながら、深く頭を垂れた。


「嘘なのです……! ディルク様に惹かれたというのは……!」


(嘘……?)


「ヴァリアス様に私のことを見てほしくて、ついた嘘なのです……! ディルク様とは、軽い挨拶を交わす程度の間柄で……ディルク様はなんの関係もないのです」


 ミラは目に涙を浮かべて、語り出す。だが、彼女が話す内容はヴァリアスにとってどうでもいいことばかりだった。

 ミラはヴァリアスの気を引きたい一心で、ディルクを巻き込んだのだという。


(……なんと幼稚で、愚かな女だ)


「そうか、今君が語ったことを父上にも話してくれないだろうか? ディルクの追放処分を解きたいのだ」

「はい……。ぜひ皇帝陛下に証言させてください」


(……これが、アイリーンが描いた筋書きか)


 ヴァリアスの尻子玉を抜き、自由を奪ったアイリーンはさも愉快そうに企みを彼に語って聞かせた。

 アイリーンはどうもディルクに夢中らしい。

 ディルクの追放処分を解き、その功績をディルクにアピールしたいと言っていた。


(尻子玉を抜くような危ない人間のことを、ディルクが見初めるとは思えないが……)


 ◆


 ミラは皇帝に証言した。ディルクがミラをたぶらかした事実はなく、すべては彼女がヴァリアスの気を引きたいがためにやったことだと。

 ミラとその実家は厳罰に処されることとなった。

 ディルクは妾の子とはいえ、王族の追放に関わったのだ。お咎めなしにとはいかなかった。


「……ミラ、すまない。助けになれなかった」


 ヴァリアスの口からはさも申し訳なさそうな声が出る。もちろん、彼自身は『厳罰に処されて当然だ』と思っている。ディルクが追放されたことはまだいいとして、ミラはヴァリアスを騙したのだ。


「……いいのです。すべては私が悪いのですから」


 ミラとその家族は、帝国が所有する魔石鉱山送りとなる。魔石鉱山の仕事はエレメンタルマスターであっても過酷だ。帝国の有力貴族として恵まれた生活を送ってきた彼らに耐えられるものではないだろう。


(私を騙した罰だ……。この陰気な女の顔をもう見ずに済むかと思うとせいせいする)


 今度はもっと、華やかな女を妻にしよう。ヴァリアスが脳内でそう算段していると、また口は勝手に動いた。


「ミラ、私も君と共に魔石鉱山へ行こう」


 ヴァリアスは自分の発言に驚く。すぐにでも口を塞ぎたかったが、手は自分の口ではなく、ミラの肩の上に置かれた。


「旦那様……!」

「私達は夫婦だ。どうか君を支えさせてほしい。軍は退役しよう」


(一体何を言っているんだ……!)


 もちろん、ヴァリアスは軍を辞めるつもりなど毛頭ない。なぜ、帝国軍の総大将という栄えはる地位を捨ててまで、こんな取るに足らない女を支えるために魔石鉱山に行かなくてはならないのか。まったく意味が分からない。


 ヴァリアスの手はミラの背に回される。まるで壊れものに触れるように、彼はミラを抱きしめた。

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