第4話 謁見
「ディルク様、グレンダン城に着きました。ご気分はいかがですか?」
クレマティスの腕の中で一瞬感じた浮遊。
だが、特に目の前の景色は変わっていないような気がする。床の上に下ろしてもらいながら、ディルクは首を巡らせた。
「……ここがグレンダン城?」
「転移先の小部屋は、ジェニース家の屋敷にある小部屋と内装が同じですからね。転移できていないと思っても当然かと」
(転移魔法について書かれた魔導書にもあったな……)
転移魔法はかなり特殊で失敗率が高い。そこで考え出されたのが転移装置だ。複雑な魔法陣を常に発動させ続けるのだが、転移元と転移先の環境が大きく違うと魔法陣の効果が安定しないのだ。
だから、ジェニース家とグレンダン城の転移装置のある部屋は似ているのだろう。
「……ディルク様?」
「ああ、ごめん。ちょっと考え事してた」
(魔法のこととなると、駄目だな……)
ディルクは幼い頃から魔法に夢中で、暇さえあれば魔導書を読み漁るような子どもだった。
本当はこの魔法陣の仕組みをクレマティスからもっとくわしく聞きたいが、ここはぐっと我慢する。
「ディルク様、小部屋を出る前にこちらを被ってもらえませんか?」
「何だ? この黒い布?」
クレマティスは肩から下げた鞄の中から、ストールのような長い布を取り出した。
「こちらを頭から被って、顔を隠してください」
「……もしかして、俺って公国じゃ犯罪者扱いなワケ?」
黒頭巾で顔を隠せと言われ、ディルクはぎょっとする。
ディルクは三番目の兄の妻をたぶらかした罪で帝国を追放となった身。まったくの濡れ衣であったが、それを証明する術は彼にはない。
「違います」
クレマティスははっきりと答えた。
「じゃあなんで……」
「あなたがあまりにも美しいからです」
「……はぁ?」
ディルクは首を傾げる。クレマティスが何を言っているのか理解できなかったからだ。
「……帝国では、三番目のお兄様の奥様に惚れられたそうですね」
「……やっぱり知ってるんだ?」
クレマティスが自分の事情を知らないわけはないと、ディルクは考えていた。彼はディルクの護衛だが、監視役も兼任しているだろう。
ディルクは胸にもやもやしたものを感じ、口元にだけ自虐的な笑みを浮かべた。
だが、その笑みはすぐに消えた。
「今までは、女性にだけ一方的な劣情を向けられていたかもしれませんが、公国ではそうはいきません」
クレマティスの言葉に、ディルクは声を震わせる。
「何で……何で知ってるんだよ」
「何がですか?」
「俺が、三番目の兄の妻に一方的に惚れられてたってこと……」
帝国では、すべてディルクが悪いことになっていた。
彼が三番目の妻に言い寄り、たぶらかしたことにされていた。
「……あなたが人の妻に手を出すような方だとは思いません」
「そんなの分からないぞ?」
「分かりますよ」
きっぱりと言い放つクレマティスの顔をまじまじと見上げる。
「……うちの母は美容魔法のスペシャリストなんです。実年齢はともかく、外見年齢だけなら三十代前半には見えるでしょう。そして、公国の美容コンテストを総なめにするほど美しい」
「確かにママさんは美人だと思うよ。でも、それとこれと……」
「兄の妻に手を出すような倫理感のない人間が、うちの母を性的な目で見ないとは思えないのです」
ディルクはハッとする。
自分は確かにクレマティスの母親を女として見ていない。美人だと思ったが、それはクレマティスを美形だと思ったのと大して変わりはない。庭の花を美しいと思うのと同じだ。
「……分かった、これを被るよ」
ディルクはクレマティスから黒い布を受け取ると、頭から被る。それは口覆い付きの頭巾のようなもので、首周りもすっぽり隠れてしまう。
「あーあ、せっかく正装したのに」
「申し訳ありません。ですが、ディルク様を守るためですから」
「俺が美人すぎるのが駄目ってことか。……なぁ、将軍も俺の顔に惚れかけた?」
目元だけ露出した状態で、ディルクはクレマティスに茶目っ気混じりに微笑みかける。
すると、クレマティスの頬がわずかに赤く染まった。
宝石のような瞳を左右に揺らす彼を見、ディルクは固まる。
「…………いえ、そんなことはありません」
(声ちっさ……)
クレマティスの立場を考えると、馬鹿正直に惚れたなどと言えるわけはないだろう。ディルクは帝国からやってきた要人で、護衛対象なのだから。
「ははっ、からかってごめんな。さっ、もう行こうぜ? ほら、大公閣下が待ってるんだろう?」
ディルクはぽんとクレマティスの背を軽く叩いた。
◆
グレンダン城の謁見の間は、帝国ほどではないにしろ、豪奢な空間だった。赤と黒で統一された内装は、それだけで立ち入る者に威圧感を与えた。
玉座の前には、手を後ろで組んだ男がいた。
「跪く必要はない。よく来たな、ディルク皇子」
クレマティスと同じような黒い軍服を着込み銀の鎖を胸につけた細身の優男。ややくすんだ白銀の髪を後ろに流したその男の名はヒューゴ・ダルア・エトムント──現グレンダン公国の大公だ。
(今までは新聞でしか見たことがなかったけど、本物も若々しいな、大公閣下は……。五十近いようには全然見えない)
「ディルク・マチアス・ウィザーでございます」
ディルクは謁見の間に入る前に、黒頭巾を脱いでいた。跪いていた彼はすくっと立ち上がると、帝国式の挨拶をする。
「……噂に違わず、美しいな。ここまで美しいと、見る者すべてを虜にしてしまうだろう」
「お褒めいただき、光栄にございます」
(見る者すべてだと……? いくらなんでも大袈裟すぎるだろ……)
ディルクは心の中で苦笑いする。自分の容姿にそこそこ自信を持っているが、大公が言うほどではないと考えている。
帝国の宮城には、容姿を誇る人間はそれこそ山のようにいた。
「……さて、ただ公都であなたの身を守り、魔法の勉学に励んでもらうだけでは、まだ若いあなたは退屈に感じるだろう。そこで私から提案がある」
大公は口端に笑みを浮かべると、腕を広げた。
「どうだ、ディルク皇子。客員の魔法使いとして公国で働いてみる気はないかね?」
「客員の魔法使い……でございますか?」
「もちろん報酬は弾もう」
「……!」
願ってもない大公の提案に、ディルクの胸はいっぱいになる。魔法使いとして働くということは、実践をつめるということだ。
しかも魔法に力を入れているグレンダン公国の大公からの直接の依頼。
浮かれない方が無理というものだ。
「護衛にはクレマティスをつけよう」
「はっ」
「どうだろうか、ディルク皇子。何、返事はすぐにとは言わないが……」
(……護衛に、クレマティスが付く?)
クレマティスはディルクの護衛を元々任されていた。ディルクが客員の魔法使いになっても、引き続き彼を守るのは自然な流れだ。
しかし、ディルクは引っかかりを覚える。
(クレマティスはそれでいいのだろうか……?)
クレマティスは公国軍の将軍だ。それを一客員の魔法使いの護衛にしても良いものか。
ディルクは、クレマティスが護衛につくのは一時的なものだと考えていた。
「将軍はいいのか? 俺の護衛になっても?」
「大公閣下のご命令とあらば」
「……本音は?」
ディルクの問いに、クレマティスは一度口を引き結ぶと、再度開いた。
「……ぜひ、ディルク様をお守りしたく存じます」
その答えに、ディルクは大公に向かってまた一礼した。
「客員の魔法使いの件、謹んでお受けします」
「そうか、ありがとう。君達は良い
大公は口元に笑みを浮かべる。
任せたい依頼がある、ということはディルク達がこの話を受けることを想定していたのだろう。思わず、ディルクはクレマティスと顔を見合わせた。
「スライム討伐だ」
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