第5話 告白

 ジョセフは妓楼を出てみたものの、母親を説得できる自信が無かった。

 なのでまっすぐ家には帰らず、トニーの酒場に入った。


「いらっしゃい。って、ジョセフか。どうした?悩んでいるみたいだが」

「トニー、力が出ないよ」

「ようし、飯はちゃんと食べなくちゃ。ほら、野菜がたっぷりつまったサラダを食べて、パワーを出さなくちゃ」


 そういうと、トニーは厨房からサラダを持ってきた。

 ジョセフはそれをひとくち食べる。

 じゃりっという感触が口に伝わる。


「ぐっ、冷凍?」

「解凍があまかったか」


 冷凍の魔法で保存されたサラダの解凍が甘く、そのためジョセフは氷を噛んだ感触があったのである。

 とりあえずサラダを食べるのをやめて、ジョセフはどうやって母親を説得するかを考えた。

 が、良いアイデアは浮かばなかった。

 そして、正面から堂々と宣言することを決めたのである。

 店に入ってきた時とは違い、覚悟を決めたジョセフの顔を見たトニーは笑いながら声を掛けた。


「その様子じゃあ悩み事は解決したみたいだな」

「決意をしただけだよ」

「決意?」

「そう。そこの妓楼の娼妓を身請けしようと思ってね。そのことで母を説得しなきゃならないから悩んでいたんだ」

「そいつぁ厳しいんじゃないか」


 トニーもジョセフの母親のことは話に聞いて知っていた。

 寡婦となってからは警爵家を取り仕切り、今でもその権力を握って警察に強い影響力を持っているというのである。

 そして、清廉潔白を尊び自他ともにそれを求めるのだ。

 そんな彼女が娼妓の身請けなど許すはずもないと思えた。


「なに、厳しいとはいっても当主は僕だからね。最終的には当主の意見が優先されるはずだよ」

「そうなることを祈っているよ」


 トニーは手を振ってジョセフを見送った。

 ジョセフは帰宅すると、そのまま母のところに向かう。

 母のクリスティーナは自室で執事からの報告を受けていた。


「ただいま帰りました」

「丁度よかった。お前が密偵に使いたいというハドソン夫妻の過去の調査が終わったところよ。二人とも殺傷を伴う凶悪な盗みはしていなかったわ。雇うのも問題ないでしょうね」


 ハドソンは妻もおり、その妻も不可視のアルフレッドの手下であった。

 ハドソンからの願いで、妻も密偵として雇ってもらうことにしたのだった。

 ただし、その素性を調査しなければならず、過去の不可視のアルフレッドの犯した窃盗事件や、どこかの盗賊団の手助けで被害宅での殺傷がなかったかを調査していたのである。

 警察の持つ犯罪記録を見るなど、警爵家であれば簡単にできることであり、その確認が終わったというわけである。


「では、さっそく使わせていただきます。それと、母上に申し上げたいことがあります」

「何かしら?」


 クリスティーナは息子の覚悟を決めた目線に、ただならぬ決意を感じた。


「実は、一人娼妓の身請けをいたしたく。そして、その者との結婚の許可をいただきたいのでございます」

「お前は娼妓と結婚したいというのか!」


 クリスティーナは烈火のごとく怒った。

 家人はまずいところに居合わせたなと思ったが、顔に出せばどんな被害が出るか分かったものではないので、クリスティーナの方を向かずに下に目を向けた。


「娼妓といえどなんら罪のない人間です。どこに問題があるというのでしょうか?」

「ジョセフ、お前は警爵家の血を何と考えるのです」

「血など、皆流れれば赤いものでしょう。どこに特別な血があるというのですか。それに、現当主は僕です。ですから、結婚について僕の意志を尊重してください」


 珍しく自分の意見を強く言うジョセフに、クリスティーナは若干冷静さを取り戻した。

 そして、駆け落ちでもされてはたまらないと思い、一つの条件を出した。


「当主と言いましたが、お前はまだ何も実績を積んでいないじゃないですか。それで警爵家の当主でございますなどと、世間様に笑われます。何か大きな実績を見せてごらんなさい。そうすれば、母も少しは考えましょう」

「実績であれば雷鳴のステファンを捕まえたではないですか」

「それはお役目でしょう。それに、雲のレオを捕まえたのならともかく、その手下では母は実績とは認めません。もっと誰もが流石は警爵家の当主と思えるようなものを見せてごらんなさい」


 そうクリスティーナに言われて、ジョセフは少し考えこんだ。

 そして、


「わかりました。今日明日にもそれを御覧に入れましょう」


 と言って部屋を出て行った。

 クリスティーナは大きなため息をついて家人を見る。


「あの子が入れ込んでいる娼妓を調べなさい」

「承知いたしました。奥様」


 家人は深々と頭を下げると部屋を出た。

 大事にならなくてよかったという安堵の気持ちを押し殺して。

 ジョセフは再び家を出ると、帝城へと向かった。

 警爵家の当主といえども、許可なく登城するのはよほどの理由がなければならない。

 そして、よほどの理由を持っていったのだ。

 神子だという。

 神子だといっていきなり皇帝に謁見できるわけではない。

 登城の理由に神子の力に目覚めた報告と書き、それを門番が上に伝える。

 これが平民であれば、どこかの貴族や教会関係者が報告に来るのであろうが、ジョセフは貴族家の当主であるため、自ら足を運んだといわけである。

 まあ、貴族家の当主であっても、使者を送って登城の日程を調整するのが普通であろうが。

 ただ、ジョセフは急ぎ母親を説得する材料が欲しかったので、神子の力を捜査に使うので早いところ認定してほしいというもっともらしい理由を付け加えておいた。

 その甲斐あってか、直ぐに宰相がジョセフと会うこととなった。

 宰相とて暇ではないが、神子の誕生ともなれば話は別だ。

 巨大な力は国家に大きな影響を及ぼす。

 それは地方貴族の陳情などよりも、よっぽど重要な用事となったのである。

 宰相は40歳であり、名門アームストロング公爵家の出身であった。

 皇帝の信頼が厚く、また有能であり、若いころより宰相を務めているのだ。

 そんな宰相がジョセフの前にやってきた。


「久しいな、ラザフォード卿」

「ご無沙汰しております。閣下におかれましては日ごろの激務――――」

「挨拶はよい。神子の力に目覚めたそうだな」

「はい。その件で登城いたしました。この力をふるい、帝都にはびこる凶賊どもを始末せんがため」

「で、その凶賊を始末するという力はどういったものであるか?」

「燃素、フロギストンを使う能力でございます」

「燃素、フロギストンとな」


 宰相は燃素フロギストンと聞いて疑問に思う。

 当然フロギストン説は否定されているのを知っているからだ。


「フロギストンは存在せぬとなって久しいが」

「それは自然界の現象なれば。私の力はそれを作るものでございます。御覧に入れた方が早いでしょうか」

「そうであるな。何か必要なものはあるか?」

「では、帝城のお庭と火のついたロウソクを」

「わかった」


 宰相はすぐにロウソクを用意させ、ジョセフとともに庭に出た。

 ジョセフは火のついたロウソクを受け取ると、フロギストンを発生させて糸のように伸ばした。

 そして、その先端をロウソクの炎につける。

 一条の炎の糸が庭に出現した。


「確かに、燃える何かを生み出すのはわかった。しかし、それが燃素である証拠がないな」

「では、ガラスの器をお貸しいただけますでしょうか」


 フロギストンの存在を疑う宰相に対して、ジョセフはガラスの器を要求した。

 すぐにガラスの器が用意される。


「いかがいたす?」

「火のついたロウソクをこのガラスの器で密閉すれば、火はすぐに消えます。それがフロギストンを否定した実験です。しかし、真にフロギストンが存在するのであれば、密閉された空間でもロウソクは燃え続けることでございましょう」


 物が燃えるのは酸素があるからだ。

 そのため、密閉された空間では酸素が供給されず、火はすぐに消えてしまう。

 だから、火が燃え続けるのであれば、それは酸素以外のものが燃えているというわけだ。

 そして、フロギストンを生成しない状態ではロウソクの火は消え、フロギストンを生成した状態ではロウソクの火は燃え続けた。

 これで宰相もジョセフの言うことを信じたのである。


「ふむ。確かに神子の力見届けた。この力を使い凶賊を始末したいということじゃな。卿の処遇について陛下と話すゆえ、しばし待たれよ」


 宰相はそういうとすぐに皇帝のところに向かった。

 ジョセフはその結果を待つ。

 やがて、宰相が戻ってきた。


「陛下よりその力をいかんなく発揮し、臣安らかに暮らせるようにつよめよとのこと。また、特別に陛下より御免状を賜った。以後も仕事に励むようにとのお言葉だ」

「賜りました」


 御免状とは、皇帝以外の全てにおいいて、捜査してよいということである。

 そこには皇族も含まれる。

 警爵家の当主にこの御免状が下賜されたのは、実に建国時初代警爵以来の快挙であった。

 ジョセフはその御免状を持って、家に帰り事の次第をクリスティーナに報告した。

 クリスティーナは自分の子供が神子であったことに驚いた。


「いつからその力を?」


 ずっと神子の力を隠していた息子を恨みがましい目で見た。


「つい先ほど」

「建前はいいです。私が出した条件を満たすために申し出たのでしょう。本当はもっと前からわかっていたはずです。もっと早く言ってくれていれば、母はお前への誹謗中傷と戦う必要もなかったというのに」


 ジョセフの当主としての能力に疑問を持つ声、特に誹謗中傷に対してクリスティーナは厳しく対処してきた。

 しかし、神子の力を持っているとわかっていれば、そんな誹謗中傷などなかったはずである。

 いらぬ苦労をさせられた我が息子に、文句の一つも言いたいのは当然であった。

 そんな母にジョセフは約束の件を切り出す。


「これで文句はありませんよね」

「初代様と同じ御免状をいただいたとなれば、文句のつけようもありません。まあ、身請けには文句を言いたいのですが。認めるしかないでしょうね」


 クリスティーナは大きなため息をついた。


「それでは、僕は身請けの準備がございますので、これにて」


 ジョセフはさっさと母親の前から立ち去った。

 クリスティーナは家人を呼び、ジョセフが身請けしようとしている相手を調べさせることにしたのだった。

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