第7話 意外な真実

 目の前の女がジェシカ・フィッシャーと名乗ったので驚いたクリスティーナは、その女エレノアールの顔をまじまじと見た。

 もう二十年近く前のことになるが、色々なパーティーで顔を合わせていた、少女の面影があった。

 そして、何たる運命のいたずらかとため息をついたのだった。


「立ち話もなんだし、中で話しましょうか。ジョセフ、あなたにも言わなければならないことがあります」


 クリスティーナはエレノアールとジョセフを中に入るように促した。

 先ほどまでの険しい表情とは違い、困惑をまとった表情のクリスティーナ。

 お茶など出すものかと思っていたが、相手がジェシカ・フィッシャーとわかればそうした対応はしない。

 いや、娼妓として扱わないが、クリスティーナの心中は複雑であった。

 すぐに熱いお茶が出される。

 が、クリスティーナはそれに口をつけもせずに話し始めた。


「フィッシャー男爵家が投資に失敗して借金を負って傾いた話は知っているわ。娘を、つまり貴女を売った話もね。なにせ、旦那様が貴女のことを救い出そうと、投資詐欺で立件できないか調べていたのだから」

「旦那様というと、ポール様ですか?」


 ジェシカの記憶ではクリスティーナは結婚していない。

 ただ、ラザフォード家に到着して、クリスティーナの態度からジョセフの母親だと思われるので、ならば当時のラザフォード家の跡継ぎであったポールが旦那ではないかと思ったのだ。


「そう。ああ、まだ自分のことを紹介していなかったわね。クリスティーナ・カッターはポール・ラザフォードと結婚したの。それでこのジョセフと双子の妹マリアンヌを生んだのよ。まあ、旦那様はもう殺されていないけど」

「ポール様が殺された!」

「ええ。犯人は捕まっていないけどね。で、そのポールが生前フィッシャー男爵を騙したという証拠を探していたのよ。フィッシャー男爵は奥様と離婚して、借金取りが用意した女を後妻に迎えたの。で、子供が生まれたんだけど、直後に男爵は二階から転落死。今は後妻が子供の後見人として家を取り仕切っているわ」

「父が亡くなったのですね」


 父親の死を告げられたジェシカの顔が曇る。


「貴族家の乗っ取りでしょうね。ポールは貴女のことを好きだったのよ。だから、何とかして借金は違法で無効だとしたかったの。貴族が自由恋愛できるわけもないから、私と離婚して貴女を迎え入れようってわけじゃないけど、好きな人が苦界に落とされたのが我慢できなかったみたいね。まさか、そんな貴女を息子が好きになって身請けするとは思わなかったけど。ポールは身請けは諦めていたみたいね。当時のフィッシャー男爵の借金額を考えると、身請けできるようなものじゃ無かったし」

「年季明け直前の今とは違いますから。当時どのくらいで売られたかはわかりませんが、十四の貴族令嬢ともなればそれなりの値が付いたことでしょうね」

「そういうこと。だから、借金自体が無効だっていうことにして、ジェシカを売った金を回収したかったんでしょうね。それが出来る前に殺されちゃったけど。まさか、その息子が同じ人を好きになって家に連れてくるとはねえ」


 クリスティーナは視線をジョセフに送った。

 ジョセフとしても初耳の情報であり、その内容に戸惑っていた。

 そして、やっと口から出た言葉が


「母上はエレノアール、いやジェシカに嫉妬していたりします?」


 だった。

 クリスティーナは首を横に振る。


「それはないわ。貴族の結婚なんて家と家でするもの。そこに個人の感情なんかないわよ。まあ、目の前でいちゃつかれでもしたらわからないけど」

「それではジェシカがここで暮らすことにも反対はしませんね?」

「もちろんよ。大体、私が許可したから身請けしたのでしょう。結婚でもなんでもしなさい。まあ、旦那様が嫉妬なさるでしょうけど」


 先ほどまで娼妓など追い出そうとしていたことはおくびにも出さないクリスティーナ。

 追い出されそうになっていたなどとは露ほども思わぬジェシカは礼の言葉を述べた。


「ご配慮くださりありがとうございます」

「いいのよ。旦那様が生きていればこうなっていたでしょうから。ただし、ジョセフ」

「はい」

「旦那様の遺志を継いでフィッシャー男爵家を陥れた輩の罪を暴いてみなさい。それはひょっとしたら危険かもしれないけど。なにせ、相手にとっては旦那様を暗殺するに十分な理由となるのだから」

「承知しました」


 思わぬ母からの指示に、ジョセフはかしこまって頷いた。

 ジェシカは改めてクリスティーナに問う。


「私のようなものがジョセフ様と結婚してもよいのでしょうか?」

「何か言うようなのはしょっ引くわよ。そうすれば、そのうち雑音も聞こえなくなるでしょう」


 クリスティーナはそう答えた。

 ジェシカのことについて、とやかく言う親戚や陰口をたたく他家など容易に想像できたが、クリスティーナはそれら全てを叩き潰すつもりであった。

 貴族などというものは、どこかしら叩けばほこりが出るのである。

 なお、貴族の刑事については貴族院という組織が担っているが、ジョセフが御免状を得たことで、警爵家が貴族家を捜査・逮捕できるようになったのである。

 ポールにはそれがなかったため、なかなかフィッシャー男爵家を調べるのが進まなかったのであった。


「さて、あとはマリアンヌにジェシカを紹介しなきゃならないんだけど、あの子潔癖だからどういう反応をするかしらね。治安を乱す遊郭の存在を嫌っているから」


 クリスティーナは娘の性格を考えると、ジェシカを受け入れるのは難しいかなと思っていた。

 それはジョセフも同様であった。

 まあ、ジョセフはマリアンヌが受け入れなくとも、そのうちマリアンヌは結婚して家を出ていくからいいかと考えていたのだが。


「あの、マリアンヌ様はそれほど厳しいお考えをお持ちなのでしょうか?」


 ジェシカが恐る恐る訊ねる。


「あの子は真面目が服を着てるようなものよ。風俗、酒なんかを毛嫌いしているわね。酒による喧嘩なんか、『酒の販売を禁止すればなくなる』って本気で考えているから。優秀なんだけどね。あれじゃあ嫁の貰い手もないわ」


 クリスティーナはため息をついた。

 ジェシカはまだ見ぬマリアンヌに恐怖する。


「まあ、マリアンヌは僕が説得します」

「お前だと喧嘩になるでしょう。私の方から言い聞かせます」

「父上とのいきさつも?」

「ええ。そうすれば、より悪い方に目が向くでしょ」


 クリスティーナは娼妓などという違法性のないものより、投資詐欺の方がマリアンヌは許せないと思うだろうと考えた。

 なので、そちらに思考がいくように仕向けるつもりであった。

 話し合いはいったんそこで終了し、クリスティーナはジェシカに湯あみを勧めた。

 ジェシカはそれを受け、湯あみをすることにした。

 ジェシカの湯あみ中にクリスティーナは自分の持っている服で、ジェシカに似合いそうなものを選んだ。

 ジェシカが持っている服は平民向けのものであり、これから警爵家で暮らすには場違いだったので、とりあえずは自分の服を与えることにしたのである。

 クリスティーナのジェシカに対する感覚は、嫁姑よりも姉妹というものに近かった。

 ジョセフもクリスティーナがジェシカに対してよい感情を持っていることがわかって安心したが、マリアンヌがどうなるかという不安は残った。

 その後、勤務を終えたマリアンヌが帰宅すると、クリスティーナがジェシカを紹介した。

 帰宅早々に執事からクリスティーナが呼んでいると言われ、何事かと思って言ってみれば、母と兄の他に知らぬ女が一緒にいるではないか。

 その女の見た目は母と同じくらいであり、遠くの親戚がやってきたのかと思ったが、その後の紹介を受けてそうではなかったと気づく。

 そして、若干の怒りが沸いた。

 クリスティーナがジェシカのことを話したからだ。

 もちろん、ポールがジェシカをどう思っていたかを含めて。


「事情はわかりました。捜査が難航していて疲れていますので、いずれまた正式にお話をさせていただきます」


 マリアンヌはそういうと自室へと戻った。

 ジェシカが不安そうにクリスティーナを見る。


「随分と険しい顔をされていましたが、嫌われましたでしょうか?」

「心の整理がつかないのよ。私だって今日は情報が多すぎて混乱しているもの」

「それもそうですね。私も今日の情報を受け止めるのにもう少し時間が必要です」


 ジェシカはクリスティーナに同意した。

 今この家で困惑していないのはジョセフだけであった。

 能天気に好きなジェシカと一緒に暮らせるということだけを考えていたのである。


「今日はもうこれくらいにしましょうか」


 と言ったクリスティーナだったが、一つ思い出してジョセフに話しかける。


「そうそう、お前が連れてきたハドソンなる密偵。当家のルールと雇用条件を伝えて、簡単な研修が終わったから、明日から自由に使いなさい」

「はい」


 新規の警爵家の密偵については、先に警爵家に雇われている者が教育することになっていた。

 音無しのハドソンもその例にもれず、先輩の密偵からルールや雇用条件を聞いていたのである。

 また、研修は主に連絡の取り方であった。

 直接警爵家に入ったのでは、ほかの盗賊から狗になったとばれてしまうため、変装したり、トニーの勤めている酒場のような警爵家が裏で経営している施設などの使い方を学ぶのだ。

 それ自体はそんなに多くのことを学ぶわけではないので、すぐに研修は終わるのであった。

 こうして、ジョセフは音無しのハドソンを正式に手駒として使えるようになったのだった。

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