第6話 不幸のエレノアール

 ジョセフが浮かれて今後の生活に思いをはせている頃、ラザフォード家の家人は優美館にいた。

 遣手のブリギッタにエレノアールのことを聞いているのである。

 その聞き方は警爵家の家人らしく、警察が尋問するかのようであった。

 ブリギッタは内心でエレノアールが何かの事件に巻き込まれたかと、気が気でなかった。

 ジョセフはまだ身請けの許可を得たということを言いには来ておらず、まさか目の前の男がエレノアールの身請け前の身辺調査だとは思わなかったのである。


「なるほど。十四の時に実家の借金のかたに売られてきたというわけか。実家は?」

「なにぶん昔のことで覚えてはおりませんが、たしか男爵家だったかとは思います」

「嘘、隠し立てするではないぞ」

「しやしませんよ。ですが、あの子が何かしたっていうんですか?この妓楼から出ちゃいませんけど」

「それについては、そのほうが知るようなことではない」


 家人はぴしゃりと言って、質問に答えなかった。

 警爵家の当主が身請けするなどとは言えなかったのである。

 その後も、どんな客がついているのかとか、健康状態などを聞かれ、ブリギッタはそれに正直に答えた。

 それを聞く家人の顔はこわばったものであり、それがブリギッタをなおのこと不安にさせたのだが、家人はこれをクリスティーナに報告することを考えると胃が痛く、それが表情に出ていたのである。

 そして、家人が一通り聞き取りをして帰った直後に、ジョセフが優美館を訪れた。

 今までで一番良い笑顔で。

 彼はブリギッタに声をかける。


「明日、エレノアールを身請けする。身請けに必要な金を教えてくれ」

「彼女は長いこと務めてくれたから、残っている借金なんてないよ。まあ年季明け前の身請けだから、無料ってわけにもいかないがね。楼主と相談するよ。あたしとしても、エレノアールをこんな苦界から早いところ出してやりたいから、あんまり高額を要求しないように言っとくよ。若旦那の懐具合も想像つくしね」

「そりゃどうも。で、エレノアールは?」

「お茶を引いてるよ」

「じゃあ、案内してもらおうか」

「はいよ」


 ブリギッタは先ほどの来客のことをジョセフに言おうか悩んだが、そのせいでジョセフが二の足を踏んで、身請けの話が流れてはエレノアールがかわいそうだと思い黙っていた。

 エレノアールのところに案内されたジョセフは開口一番、


「親の説得が終わったよ。良ければ明日一番に迎えに来るけど」

「本当でございますか。ここには私の私物など殆どありませんし、持ちきれない分については後で届けてもらいます。えっと、帝都でしょうか?」

「帝都だよ。詳しいことを言えば――――」

「ようございます。明日どこに連れていってもらえるか楽しみにしておりますので」


 警爵家の当主であると明かそうとしたジョセフであったが、その途中でエレノアールに止められた。

 まあ、明日になればわかることだしとジョセフもそれ以上は言わなかった。

 二人がイチャイチャしていると、部屋の前にブリギッタがやってきた。


「若旦那、楼主と話がつきました」

「そうか。で?」

「百万キュリーでございます」

「わかった。では明日持参しましょう」


 エレノアールについた値段は百万キュリー。

 妓楼側がジョセフを値踏みして、ギリギリ払えそうな金額にしたのである。

 ジョセフの給料では数か月分ではあるが、そのほかに帝国より貴族に支払われる俸禄がある。

 俸禄はクリスティーナが管理しているが、百万キュリー程度であればジョセフの権限で使用することはできる。

 警爵家では急な捜査にかかる費用を支払うため、家の金庫に多額の現金が置いてある。

 そこから百万キュリー程度を持ち出したところで、どうということはないのだ。

 それでも、ジョセフは念のため確認しに家に帰ろうと思った。


「では、金を用意してくる。」


 そう言うジョセフの顔を、エレノアールは心配そうに見た。


「明日、必ず来てくださいますよね」

「もちろん。約束をたがえるようなことはしないよ」


 三度も身請けの話が不幸にも流れてしまえば、四度目もと思うのが人というもの。

 エレノアールは明日、ジョセフが無事に迎えに来てくれるのか不安でならなかった。

 ジョセフとエレノアールがそんなやりとりをしているころ、家人はクリスティーナに報告をしていた。


「十四の時に売られて、今年で三十三。ならば、その当時貴族が子供を妓楼に売った記録をあたれば、その話が真実かどうか、真実であった場合にはどこの家かがわかるのね。どうしてそこまで調べてこないの?」

「しかしながら、その記録をあたるには時間がかかります。今少し、時間と人員をいただきませんと」

「弁解は罪悪と知りなさい。明日にでもあの子は身請けしてくるのですよ」


 家人は頭を下げた。

 クリスティーナはそうは言ったものの、すぐに調べられるようなことではないので、それ以上無理強いするようなことはなかった。

 そのうちにジョセフが帰宅し、鼻歌交じりに金庫の中を確認する。

 そして、キュリー金貨を手に取ると、


「ま、問題なくあるね」


 そうひとりごちた。

 その日、ジョセフは興奮して一睡もできなかった。

 朝日が昇るとすぐに部屋から出て身支度を整える。

 普段は朝か昼に帰宅し、夜出勤するのでメイドたちも今日ばかりは対応できなかった。

 が、上機嫌のジョセフはそれを咎めもしない。

 ジョセフの目には、朝日が照らす以上に世界が輝いて見えていた。

 今ならば大概のことは許せる心境であった。

 ジョセフは浮かれて、使用人どころか庭の草木にも挨拶をする始末であった。


「おはよう。世界は美しい」


 そう草木に語り掛けるジョセフを見た執事は、そのことをクリスティーナに報告した。


「あの子が庭の草木にまで語り掛けているですって。かなりの浮かれようね」


 クリスティーナは額に手を当てた。

 娼妓を身請けし、やがては結婚へという流れを考えただけでも頭が痛いのに、その悩みをわからずに浮かれる我が息子に、どこで育て方を間違えたのかと人生を振り返った。

 しかし、皆目見当がつかず、すぐに振り返るのを諦めた。


「どんなのがくることやら。まあ、当家に相応しくないとわかれば追い出すまでですが」

「旦那様に恨まれますが」

「家を守るのが優先です。いつかあの子もわかる日がくることでしょう」


 クリスティーナは結婚前に娼妓を追い出すつもりであった。

 花嫁修業にかこつけて、厳しく指導すれば逃げ出すだろうと思っていたのである。

 そんな風にクリスティーナが考えているとは思いもせず、ジョセフは上機嫌でエレノアールを迎えに行った。

 今日は徒歩ではなく馬車である。

 早朝の街を馬車の車窓から眺めると、往来に人はまばらであり、仕入れに向かう人々が散見される程度であった。

 それに紛れて、市中を監視する私服の警察官が少々。

 彼らは逃げた雲のレオを探しているのだった。

 特別休暇でもなければ、そこにジョセフも加わっていたかもしれない。

 そんな彼らに心の中でご苦労様と声をかけた。

 そのまま馬車は何事もなく、優美館へと到着した。

 エレノアールの心配が杞憂に終わったのである。

 ジョセフは走って妓楼に入った。


「ブリギッタ、金を持ってきたよ」

「これは、若旦那。おはようございます。では、あらためさせていただきますね」


 ブリギッタはジョセフから金を受け取ると、それを数え始めた。


「確かにお預かりいたしました。エレノアールを連れてまいります」

「僕も行くよ」

「今日はいつものお部屋じゃございませんので、ここでお待ちください」


 ブリギッタは鼻息の荒いジョセフを軽くあしらい、妓楼の奥へと歩いて行った。

 ほどなくして、エレノアールを連れて帰ってくる。


「よくぞ御無事で」


 エレノアールは深々と頭を下げる。


「ここに来るのにそんなに危険はないけど」

「実は、過去に三度身請けの話がございましたが、全て急な事情により流れてしまいました。そのような経験から、今日もそうなるのではないかと不安でございまして」

「そんなことがねえ。まあ、偶然が重なっただけでしょう。なにせ、僕はこうして今日ここに到着しましたので。さあ行きましょうか」

「はい」


 ジョセフがエレノアールに手を差し伸べ、彼女はその手をとった。


「荷物は運ばせるよ」


 ブリギッタはそういうと、妓楼の使用人に命じて荷物を馬車に運び込ませた。

 事前に言っていたように荷物は殆どなく、着替えが少々であった。

 妓楼から出ないので、私服も必要ないからである。

 エレノアールは外で待っていた馬車を見て驚いた。

 想像していた荷馬車と違い、貴族が使用するような四頭立ての馬車だったからである。

 

「これは?」

「うちの馬車だよ。妓楼の前に止めるにはちょっと目立つけど、これしかなかったから」


 照れながらそう説明するジョセフであったが、エレノアールの目は馬車にくぎ付けであり、ジョセフのことなど見てはいなかった。


「あの、お名前をうかがってはおりませんでしたが」

「僕の名前はジョセフ・ラザフォード。ラザフォード家の当主です」

「ラザフォード!」


 ラザフォードの名前を聞いたエレノアールは驚いた。

 それはブリギッタも一緒であった。

 ブリギッタはエレノアールのことを聞きに来た男を思い出していた。

 あれは警察官ではなくて、ラザフォード家からやってきた者だったと理解し、エレノアールが事件に巻き込またわけではなくてよかったと胸をなでおろしたのだった。

 が、それと同時にラザフォード家に身請けされた彼女がどんな扱いをされるか不安になった。

 警察の要職につく一族の本家である。

 彼女のことをよく思わない者たちがいるであろうことは容易に想像できた。

 そして、若いジョセフが彼女を守り切れるのか不安だったのである。

 事実、母親のクリスティーナはエレノアールを追い出そうと考えていた。

 ただ、今そのことを言うことも出来ず、馬車に乗り込むエレノアールの背中を見送るだけだった。

 ブリギッタ同様に、ラザフォード家に向かう道中、エレノアールは不安でいっぱいだった。

 自分のような娼妓がラザフォード家に受け入れられるのか不安だったのである。


「ジョセフ様、私のような娼妓だった女をよくご両親が受け入れてくださると言ってくれましたね」

「父は死んでいるから反対のしようもないね。母は説得したから大丈夫です」

「本当でございますか?」

「うん。僕が神子であると国に申請して、それが認められて陛下から御免状までいただいたからね。その功績を突き付けたら反対しなくなったよ」

「神子?ジョセフ様は神子なのですか」

「一応ね」


 照れながらジョセフはこたえた。

 ラザフォード家当主に神子という情報過多で、エレノアールの頭はパンクしそうであった。

 混乱が収まらぬうち、馬車はラザフォード家に到着する。

 ドアの前ではクリスティーナが険しい顔で待ち構えていた。

 どんな女がやってくるのか早く見たいという気持ちで、外まで出て待っていたのである。

 馬車から降りて、クリスティーナを見たエレノアールは


「クリスティーナ様?クリスティーナ・カッター様ですか?」

「そうよ。でも、今はクリスティーナ・ラザフォード。どうして私の昔の家の名前を――――」


 エレノアールが自分の実家の名前を知っているのが不思議であった。

 そして、どうもエレノアールの顔を見ると、昔見たような気がしたのである。


「どこかで会ったかしら?」

「はい。私の本当の名前はジェシカ・フィッシャーと申します。父はフィッシャー男爵家当主でございました」

「ジェシカ!」


 クリスティーナはエレノアールの名乗った名前を聞いて驚いたのだった。



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