第18話 放火

 広い宿にハドソンは妻のアンナの二人だけで寝ていた。

 元アルフレッド一味の盗賊宿は客を選ぶ。

 一見さんお断りという条件であり、アルフレッド一味が解散してしまった今となっては、そこに泊まれる資格を持った客はほとんどいない。

 なので、夜ともなればとても静かで、虫の鳴き声かネズミの走る音くらいしか無い。

 だから、招かれざる客の来訪には気づきやすかった。


「誰か来たな」


 と気配で目を覚ましたハドソンは、隣で寝ているアンナに伝えた。

 アンナも訓練された盗賊であり、寝起きではあるがすぐに起き上がった。


「強盗かい?」

「それなら可愛いもんだ。昼間俺をつけてくる奴らがいた。そいつらなら狙いはこっちの命だな」

「なんかやったのかい?」

「まさか。今はもう堅気だぜ。狙われるのならたぶん昔のことだろうよ」


 と夫婦の会話をしていると、気配は去っていった。

 その代わり、外が明るくなる。

 火をつけられたのだ。


「火の回りが早いな。油を撒かれたか」

「あーあ。親分の残してくれた宿もお仕舞かい」

「逃げるぞ」

「はいよ」


 逃げると言ったハドソンは一階の床板を外す。

 ここは盗賊宿であり、警察が踏み込んできたときや、仕事のあがりをかすめ取ろうとする同賊対策として、地下通路を作ってあるのだ。

 ハドソンが外に飛び出さないのは、待ち伏せを警戒してのことである。

 

「俺は外で待ち伏せが無いか確認する。お前は警爵様のところへ走って、放火のことを知らせてくれ」

「はいよ。新婚家庭に夜お邪魔するのは気が引けるけどね」

「ちげえねえ」


 ハドソンは妻の言葉に笑ってしまった。

 が、気が緩んだのもそこまでで、二人は素早く地下通路を移動して外に出た。

 そこからは別行動となる。

 深夜、ジョセフはジェシカと深閨にて夫婦の行為をしたあと、心地よい疲れに身を任せて眠りについていた。

 ジェシカもその隣で寝息を立てている。

 そこに使用人がやってきた。



「旦那様、アンナが見えております」


 と、ドアの外から声を掛けられた。

 ジョセフは寝ぼけ眼をこすりながら体を起こす。


「今?」

「はい。宿が放火されたとのこと」

「えっ!?」


 その情報で一気に目が覚める。


「すぐに行く」

「ご案内いたします」


 ジョセフは寝間着姿で部屋を出る。

 アンナはジョセフの姿を見ると頭を下げた。


「夜分申し訳ございません」

「いや、いい」

「そうでございますか。鎖骨のところにあるキスマークを見せつけられますと、お邪魔でしたかなと」

「あっ」


 ジョセフは慌てて手で鎖骨付近を覆った。

 ジェシカに強く吸われて、あかひらく肌となっていたのである。

 いや、あかひらく肌はキスマークの赤ではないが。

 ジョセフはすっかり忘れており、隠さなかったのでアンナに見られてしまったというわけである。


「まあ、これはいいとして何事かな?」

「実はうちの宿が放火されました」

「放火?」


 ジョセフはカーテンを開けて宿の方向を見た。

 空が赤くなっているのが見える。


「あの明るいところが?」

「はい。いま、うちの亭主が放火犯を尾行しております。で、私には警爵様へこのことを報告する様にと言い残しておりまして」

「なるほどねえ。誰かにつけられたりはしなかった?」

「非常時の脱出口から出たときには、誰もいませんでした。その後もつけてくる気配は無く」

「わかった。今夜はここに泊まるといい。誰かに準備をさせるから」

「ありがとうございます」


 ジョセフは使用人にアンナを客用の寝室に案内する様に命じた。

 一方そのころ、ハドソンは放火犯をつけていた。

 彼らが戻った先は例の文房具屋、ブランディットであった。

 二階の窓から明かりがこぼれているのが見えたので、ハドソンは壁を伝って屋根に登り、聞き耳を立てた。


「サイラス様、宿を燃やしてきやした」


 サイラスと呼ばれた人物は上機嫌な声で労をねぎらう。


「よくやった。飛び出してきたところをやったか?」

「いや、出てこねえうちに火が回りやしたんで、焼け死んだことでしょう」

「寝ていて気付かなかったか、それとも待ち伏せを警戒して出てこれなかったかだな。いずれにしても、これであんちゃんの仇を討てたわけだ。ま、次は警爵の野郎をやるつもりだがな」


 あんちゃんという言葉で、ハドソンはサイラスが誰であるかわかった。

 雲のレオの一件で逮捕処刑されたティムの弟のサイラスであると。

 サイラスは帝都から離れて地方都市に支配基盤を作るために動いていたのだが、それがティムが逮捕されたことで帝都に戻ってきたのだろうと想像がついた。


「しかし、ハドソンって野郎がティム様を売ったんですかね?」

「ジークの野郎を痛めつけてみたら、そいつだけが捕まらなかったっていうじゃねえか。俺たちに証拠はいらねえ。状況が黒なら黒なんだよ」


 サイラスの言葉に怒気がこもる。


「あんなに優しかったあんちゃんの仇を討たねえんじゃ、俺は死んでも死にきれねえ。それに、あんちゃんがここまで大きくした組織を存続させねえと、あの世であんちゃんに顔向け出来ねえんだよ」


 ティムとサイラスは孤児であった。

 親に捨てられ教会で育ったのだが、その教会というのが児童愛好者の司祭たちの集まりだったのである。

 そこで虐待を受ける中、ティムがサイラスの心の支えだったのである。

 最期こそ悪党の限りを尽くしたティムだったが、幼いころは少ない食事を弟に多めに分け与えるような優しい兄だったのである。

 そんな二人は教会から逃げ出し、悪の道へと足を踏み入れる。

 そこからのし上がって裏社会の大物となるのだが、サイラスはずっと兄を慕って悪事を積み重ねてきたのだった。

 そんな昔話を子分に聞かせるサイラス。

 ハドソンは事情を把握したので、文房具屋を去ることにした。

 そして、ジョセフも狙われていることを伝えに、警爵家へと向かったのである。


 ジョセフはアンナと別れて深閨に戻ると、ジェシカの胸に顔をうずめて寝た。

 ジェシカもそんなジョセフの頭を優しく抱え込む。

 クリスティーナが見たら頭を抱えそうな状況であるが、ジョセフもジェシカも流石に夫婦の寝所を母親に見せるようなことはしないし、話もしない。

 ただ、ジェシカは時々思う。

 歳の近いクリスティーナはまだまだ女の盛り。

 若い燕でも見つけたなら、きっと同じようなことをするのではないかと。

 訊くわけにはいかないが。

 そんな二人がうとうとして来たとき、使用人がハドソンの来訪を告げに来た。


「旦那様、ハドソンが見えております」

「はやいなあ」


 ジョセフはそうぼやくと、ジェシカの腕からするりと抜け出して、ハドソンの待つ部屋へと向かう。

 そこで、ハドソンが仕入れてきた情報を聞くのであった。

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