元嫁

第23話 太公望

 春うらら、すべてのものが輝いて見えるような暖かい陽射しのなか、ハドソンは仕入れからの帰り道を歩いていた。

 魚市場は海辺にあり、そこからの帰り道では海に流れ込む川の水面が、陽射しを反射させて、行き交うものの視界を奪っていた。

 流石のハドソンも、そうした状況では周囲の状況に気が付くのが遅れる。

 河岸に座って釣り糸を垂らしている老人がいるのは見えていたが、その顔をきちんと捉えたのは、間近に迫ったときであった。

 それがハドソンのよく知る人物であったと気づく。


「あれ、リョショウさんではないですか」

「ああ、ハドソンかい」

「相変わらず太公望なようで」

「店も番頭に任せていて、わしの居場所なんざあないよ。隠居目前のおいぼれがいちゃあ邪魔になるからね」


 このリョショウという人物は、不可視のアルフレッド一味にいた元盗賊である。

 まだハドソンが若いころに引退して、帝都でコウユウという薬売りの店を始めたのだった。

 現役当時から釣り好きで、太公望として仲間内では知られていた。

 ハドソンは懐かしさと、密偵としての仕事とで、リョショウと言葉を交わす。

 ハドソンはアルフレッド親分が殺され、一味が解散して現在堅気となって、遊郭で屋台をやっていることを伝えた。

 会話の端々を確認するも、リョショウは堅気となって犯罪とは程遠いとわかると、これはジョセフに報告するまでもないなと判断した。


「それじゃあ自分は仕事がありますんで」

「はいよ」


 ハドソンはリョショウと別れて屋台へと向かった。

 丁度その時、リョショウの店には彼の元妻であるダッキが押しかけていた。


「うちの人に復縁する様に言ってもらえないかえ?」

「いやいや、大旦那様はすでに再婚されております。どうぞお引き取りください」


 と、番頭の態度はにべもない。

 その態度にダッキはカチンときた。


「下手に出ていりゃあ図に乗りやがって!痛い目見ないとわからないようだね!」

「暴力にうったえるなら警察を呼びますよ」

「ちっ!」


 ダッキは舌打ちすると店から出て行った。

 ダッキはリョショウが盗賊だったころから夫婦であった。

 リョショウが引退して店を始めてからも、しばらくは一緒だったのである。

 しかし、彼女も女盗賊。

 始めたばかりの店の経営は思わしくなく、金回りが悪くなったのでリョショウを捨てて、他に男を作って出て行ったのだった。

 が、それが数年もするとリョショウの商売が軌道に乗り、反対にダッキは男に捨てられた。

 昔取った杵柄で、スリや盗みをしながらなんとか食いつないできたが、近頃は歳のせいか動きも悪くなり、いつ捕まってもおかしくないような有様であった。

 そんな時、リョショウの店の前を通ると大繁盛しており、ならばと復縁を迫ったというわけである。

 もちろん今日が初めてというわけではなく、過去にも何度も店に押しかけて来ている。

 ただ、リョショウは再婚しており、後妻に子供も生まれており、今ではその子に店を継がせる気だったので、ダッキに復縁の目はなかった。

 ダッキは帰り道、通行人の財布を抜いて今夜の飲み代を作った。


「あたしだってまだまだやれるじゃないか」


 そう独り言ちる。

 そうして日が暮れるころに、ダッキは遊郭の門をくぐった。

 遊郭には、少ないが女性向けの飲み屋や風俗もあり、盗んだ金でそういった店で遊んでいたのだ。

 今日もそんな店に行こうとすると、不意に名前を呼ばれた。


「ダッキ姐さんじゃねえですか」

「誰だい?」


 ダッキが呼ばれた方を振り返る。

 自分を姐さんと呼ぶからには、同業で顔なじみの誰かであるはずで、きっとろくでもない方の知り合いだと思った。

 すると、そこには歳をとったが昔の面影があるハドソンがいた。

 ダッキはホッとする。


「おや、ハドソンじゃないか。こんなところで屋台とは、次のおつとめの準備かい?」

「いえいえ、自分も足をあらいましてね。今じゃあこうして堅気として店をだしておりやす」

「ああそうかい。頑張りな」


 ダッキは自分のひいきにしている男娼のキシのところに一刻も早く行きたいため、ハドソンとの会話はそれだけで終わらせた。

 いそいそと店を目指すダッキの後ろ姿を見て、ハドソンは苦笑するのであった。


 さて、そんなダッキが男娼のキシと店の席で隣同士に座って談笑する。


「しばらくぶりだなあ。中々会えないから捨てられたと思ったけど」


 キシは泣きまねをする。


「なに、ちょっとこっちの工面に手間取ってね」


 ダッキは親指と人差し指でで丸を作り、金のゼスチャーをする。


「じゃあ、今日は?」

「久しぶりに来たんだし、高い酒を入れようじゃあないか」

「ありがとう。大好きだよ」


 キシの営業スマイルにダッキは気を良くする。

 そんなところは男も女も関係ない。

 こうした店でおだてられると、誰でも良い気分になるものなのである。

 酒が進むとダッキの口も軽くなる。


「こう見えて、あたしゃもともとはコウユウって店の女将でねえ」

「へえ。あのシュウコウタンで有名な」

「そうだよ。ところが、旦那が若い女に目がくらんで追い出されちまったってわけさ。あの店の金を引っ張れりゃあ、いつでもお前さんに会いに来れるんだがねえ」


 それを聞くとキシの目つきが変わって鋭いものになる。

 が、ダッキはそれには気づいていなかった。


「ここじゃあなんだから、上で続きを聞かせてもらいましょうか」


 上とは上の階のことである。

 下の店で気に入った男娼がいれば、上の部屋で抱けるシステムなのである。


「今夜も頼むよ」


 ダッキは笑顔でそうこたえた。

 二人は階段を上っていくが、それを気にするものは店内にはいなかった。

 みんな似たり寄ったりの金持ちマダムであり、自分のお気に入りに夢中で、他人のことなど見ていないのである。

 そうして男女のことが終わり、キシはいよいよ本題のコウユウのことについて訊ねる。

 ダッキも盗賊なだけあって、穏健によりを戻すのが無理となれば、奪ってやろうという気持ちがあった。

 なので、キシに店のことを話す。


「コウユウのことならなんだって覚えているよ。それこそ店の間取りから、金のありかまでね」

「そいつぁいい。なら俺が仲間と押し込んで金を奪ってこよう。分け前は折半にするんで、そうすりゃあいつでもこの店に来れるでしょ」

「そうさねえ。やるなら早い方がいい。月末は支払いがかさむから、月末間近の今が一番店に金がある時だよ」

「で、いくらくらいかなあ」

「そうさねえ。今の商売規模なら5億キュリーは堅いだろうね。運べるだけの人を手配しないと」


 キシはそうした考えがすぐに浮かぶダッキを見て、こいつは単なる助平婆じゃないなと警戒した。


「夜中に5億もの金を運ぶってえのも大変だぜ。ちんたらしていたら警察に捕まっちまう」

「それなら運河を使いな。運河を使えば荷車の車輪跡も消せるし一石二鳥だよ」

「なるほど、そいつぁいい」


 こうしてキシは仲間を集めてコウユウに押し入ることにしたのだった。

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