第3話 燃素使い

 この世界には神子というのが存在する。

 神から特別な力を与えられた人間という意味だ。

 あるものは力がとても強く、あるものは傷の回復が早く毒の効きが弱くなる。

 また、魔法がとても強いというものもあった。

 神子と呼ばれているが、そうした特別な力は本当に神が与えたかどうかはわからない。

 なにせ、神が人間界に示現したということはないのだから。

 それでも人は人知を超えたその現象に、神子という名前を与えたのだ。

 そして、ジョセフもそんな特別な力を持った神子のひとりであった。

 ある日突然、その力が使えることを感じたのである。

 その力とは、燃素、フロギストンを意のままに操るというものであった。

 燃素とはつい数十年前までは信じられていた存在である。

 物が燃えるのには酸素が必要なのはこの世界でも同じなのだが、酸素が発見されるまでは燃素が燃焼にかかわっていると考えられていた。

 物質には燃素が含まれており、燃焼するとその燃素が放出され、その燃素がなくなると燃え尽きるという説である。

 燃焼した物質は、燃焼後に質量が軽くなることから、その存在が証明されたと思っていたのだが、燃焼後に質量が重くなる物質が発見され、否定されてしまったのだった。

 が、それは本当に存在したのである。

 ジョセフの能力においてだけだが。

 そして、ジョセフはこの燃素フロギストンを指向性粒子として扱うことが出来る。

 今、ジョセフは個室へと向かう通路で、そのフロギストンを生成した。

 最初は男の衣服の背中部分に、そしてそこから細く糸のように伸ばして、廊下を照らすロウソクへと。

 その糸のように伸びたフロギストンは、ロウソクにより着火し、火のついた導火線の役割をはたし、男の背中へと火を運ぶ。

 そして、背中から大きな火の手が上がった。


「あちい!」


 突然かちかち山のタヌキのような状態になった男は、自分の状況が理解できなかった。

 数秒して、背中が燃えていることに気づいた。

 そこはタヌキよりも早いが、だからといって火傷をしないわけではない。

 既に背中には火傷を負ってしまったが、それでも火は燃え続けている。

 慌てて床に転がって火を消そうとした。

 その時、袖の中に隠していたナイフが落ちる。

 ジョセフはそれを見逃さずに、すぐにナイフを拾い上げると、男ののど元に突き付けた。


「何をしやがった?」


 男はジョセフを睨んだ。

 が、それ以上は何もできなかった。


「何もしてないよ」

「嘘をつけ。魔法を使っただろう」

「詠唱をしていなければ、触媒も持ってないのに?」


 ジョセフはそう言い返した。

 魔法を使うには詠唱と触媒が必要である。

 無詠唱で手から炎が出るなどということはないため、接近戦では魔法使いに有利なところはない。

 それは一般常識として知られていることだ。

 男はジョセフが本当のことを言うつもりはないとわかり、それ以上は何も言わなかった。

 そうしているうちに、トニーが仲間を連れてやってきた。


「終わったのか」

「うん。体当たりしたら背中に火がついてね。それで怯んだところをこうして取り押さえたっていうわけ」


 ジョセフはそうトニーに説明したが、その目線は男を見ていた。

 トニーたちからしてみれば、男の動きを観察しているように見えるのだが、その実余計なことを言ったらのどを切るぞという意味を込めた視線を送っていたのである。

 男もそれがわかり、事実を口にするようなことはせずに黙っていた。

 ジョセフはフロギストンの力のことを隠しており、誰にも教えていなかった。

 神子だとわかれば色々と面倒なことになりそうな予感がしたからである。

 実際に、神子だとわかった人間は国家により厳しく管理される。

 反乱をおこされたり、他国に出奔されては大変だからである。


「この男は僕が尋問するよ。ほかの人はさっきの男で忙しいだろうからね」

「わかった。取調室に連れて行こうか」


 トニーがそういうと、男はここが警察の手が入った店だと理解した。


「お前も警察官か」

「そういうこと。さて、痛い思いをしたくなれば本当のことを言ってね」


 警察官が拷問するのは合法であり、犯罪者たちもそれを知っていた。

 男は観念しておとなしく縄で縛られ、取調室へと連行された。

 取調室にはジョセフともう一人の警察官、オークリーと男がいる。

 オークリーはがっしりとした体型の中年男性であり、力の弱いジョセフを補佐する役目だ。

 男の背中には痛み止めの薬が塗られ、多少の手当てはされていた。


「名前を教えてもらえるかな?」

「ハドソン」

「職業は?」

「盗賊。仲間内じゃ音無しのハドソンと呼ばれている」

「どうして雷鳴のステファンを探していたのかな?」

「俺は不可視のアルフレッド親分のところにいた。ちょっと前までは雷鳴のステファンも一緒だった。だが、雷鳴のステファンはあろうことか、不可視のアルフレッド親分を殺して、その金を奪って逃げたんだ。俺は親分の仇をうちたかった」


 不可視のアルフレッドの名前はジョセフもオークリーも知っていた。

 盗みに入るのは悪名高い商人や教会、貴族のところであり、それに誰も殺さず、女性を強姦するようなこともしない、庶民からは非常に評判のよい盗賊である。

 最近盗みをしないと思っていたが、まさか手下に殺されているとは思ってもみなかったのである。

 そして、音無しのハドソンはその右腕であるというところまでは知っていたが、アルフレッドもハドソンも一度も捕まったことがないどころか、その犯行現場を目撃されるようなこともなく、手がかりが掴めていなかったのである。


「裏を取るか」


 ジョセフはオークリーにハドソンを任せて、ステファンの尋問をしている部屋へと向かった。

 入口を警備している同僚に挨拶すると、中に入れてもらえた。

 そこでは傷だらけの痛々しい姿になったステファンの姿を見ることが出来た。

 ステファンの目がジョセフを睨んだ。


「睨まないでおくれよ。こっちも仕事だったんだから。ところで、兄さんは不可視のアルフレッドって盗賊を殺して、その持ち金を盗んだって聞いたんだが、本当かな?」


 ジョセフの問いかけにステファンはぎょっとした。

 その反応を見て、ジョセフはこの話が本当であることを確信した。


「臣民殺しに身内の親分殺し。とんでもない悪党だね」


 ジョセフはステファンを見ながらため息をついた。

 同僚がジョセフに情報の出所を確認する。


「どこでそんな情報を?」

「不可視のアルフレッドの手下が、雷鳴のステファンを狙っているって情報があったものでね。出所はこいつの前じゃあ言えないけど」

「それもそうか」

「まあ、そういうことで、どうにかここを抜け出したとしても、外では同業に命を狙われている。どうにもならない状況なんだから、さっさとすべて吐いちゃえば。それとも、墓場まで持っていく?」


 ジョセフの言葉にステファンは黙って俯いた。

 その後、ステファンは観念してぺらぺらとしゃべり始めるのだが、それはジョセフが去ってからのことであった。

 ジョセフはハドソンのところに戻った。


「裏は取れたよ。雷鳴のステファンは死刑は確実。生きて娑婆を歩くことはないだろうね」

「この手で息の根を止められなかったのが残念ですがね。それと、親分の墓前に報告できないのも」


 ハドソンは警察に捕まった以上、自分も二度と娑婆には戻れないだろうと思っていた。

 しかし、ジョセフはそうは考えていなかったので、


「墓前への報告くらい行ってきたら?」


 と言った。

 ハドソンは何の冗談かと思う。


「馬鹿なことを言っちゃいけませんよ。どうやってここから逃げ出せるっていうんですか」

「別に逃げ出さなくていい。堂々と出られるようにしてあげるよ」

「どうやって?」


 ハドソンがそう質問すると、ジョセフはにんまりと笑った。


「密偵になるつもりはないかな?」


 元盗賊であるハドソンは、ステファンのように警察が知らない盗賊の顔を知っている。

 それは犯罪捜査においてはかなり重要なことであった。


「ありがてえ申し出だが、信じられねえよ。あんたはどう見たって下っ端だ。そんなあんたが、俺みたいな盗賊の罪を減じて、密偵にするなんて決定をできるはずがねえ。上のもんが許可しなきゃどうにもならねえだろう」


 ハドソンは値踏みするようにジョセフを見た。

 ジョセフもその質問は予想しており、すぐにそのわけを話す。


「警爵家当主ともなれば、そうした権限もあるものさ。警察所属じゃなくて、警爵家での雇用となるけどね」

「あんたが、当主だっていうのか!」


 これにはハドソンも驚いた。

 貴族との接点などないため、現在の警爵家の当主が誰であるかなどは知らぬが、きっと年配だろうと思っていたのである。

 そして、警爵家の当主であれば、そうした権限があるのは理解できた。

 帝国の治安を守る警爵家ともなれば、独自の情報網を構築するくらいは当然だとおもったからである。

 そして、実際にその情報網は存在している。

 今は母親のクリスティーナが管理しているが、いずれはそれをジョセフが管理することになるのだ。

 その情報網には元犯罪者も在籍しており、貴重な情報をあげていた。

 死刑か密偵かという二択に、ハドソンは迷わず密偵を選択したのだった。



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