燃素使い事件帳

工程能力1.33

フィッシャー男爵家

第1話 ジョセフ・ラザフォード

 ジョゼフ・ラザフォードの父親の記憶は、その葬式で終わっている。

 ラザフォード家はオキシジェン帝国初代皇帝より警爵という特別な爵位を与えられていた。

 帝国建国のおり、時の当主が初代の警察庁長官に任命されたことによるものだ。それ以来警察の有力な役職に就くことを繰り返してきた。

 ジョセフの父親であるポールも、警察庁に就職して将来を期待されていたが、出世する前に何者かによって暗殺されて、その生涯を閉じたのであった。

 それが10年前のことである。

 この時はまだ存命であったジョセフの祖父が当主に返り咲いたが、その祖父も五年後に他界したため、ジョセフが未成年のうちに当主となり、母親が後見人となったのである。

 そして今、ジョセフは16歳となり警察庁に就職した。

 双子の妹であるマリアンヌとともに。

 このマリアンヌは天才として幼いころより名をとどろかせていた。

 剣と魔法の存在するこの世界において、その両方で子供とは思えぬ実力を発揮。十歳にして並の大人では勝てぬほどであった。

 そんなマリアンヌと比べてジョセフは目立ったところがなく、また、容姿もマリアンヌにそっくりで、同じ服を着ればマリアンヌと勘違いされるほど女性的であり、親戚や使用人たちに陰で男女逆であればとか、女でも当主にすればよいなどと言われていたのである。

 なお、文明のレベルは産業革命前程度であるが、未発達の科学技術を魔法が補っているところもある。

 そんな二人は帝都の配属となった。

 マリアンヌは本庁勤務であったが、ジョセフは十三番署であった。

 本庁と所轄、この違いが二人の能力差を物語っている。

 そして、マリアンヌは双子の兄であるジョセフを嫌っていた。

 同じ顔をしながら、評価の低い兄が嫌だったのである。

 警爵といえども、いきなり役職がつくわけではない。

 実績を積んで実力で出世しなければならないのである。

 そうすることで、したのものが従うだろうというのが、初代からの考えであった。

 そして、その配属された十三番署の管轄は遊郭である。

 遊郭は二キロ四方を壁で囲い、その中に所謂飲む打つ買うの三拍子がそろった地域である。

 酒に関しては厳しく管理する必要はないが、博打と風俗に関しては管理したい国が、そうした地域を作ったのだ。酒以外は遊郭の外では違法となっている。

 遊郭はそんな地区であるがゆえ、治安は悪くなりがちであり、また、犯罪者もそれに吸い寄せられるように集まってきていた。

 そこを警備する一般の警察官もいるが、ジョセフの仕事は一般人のふりをして情報を集めるものであった。

 犯罪で大金を得ても、遊ぶところは遊郭に限られている。そして、拷問などしなくとも、酒が入れば自然と人の口は軽くなるものである。

 そんな彼らがうっかり口にした情報を得るのもまた、警察の仕事であった。

 ジョセフは妓楼、優美館の娼妓エレノアールのところにいた。客として。

 ジョセフは十三番署に配属され仕事を始めてすぐに、エレノアールと知り合った。

 エレノアールは三十三歳になる。顔は美姫のように整っており、出るところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいるといった体型と艶のある長い黒髪の婀娜な女性である。

 ジョセフは彼女で童貞を捨ててからというもの、三日とあげずにエレノアールの元に通っていた。

 まあ、それも彼の仕事であり、良いところのボンボンが妓楼通いをしているというのを装う役割も果たしていたが。

 ジョセフがエレノアールに抱く好意は、童貞を捨てた相手という以上のものがあったが、それが何なのかはわからなかった。

 まあ、好きになってしまえばそんな理屈などどうでもよく、ただただエレノアールの顔が見たかったのであるが。

 二人は窓から差し込む太陽の光で目を覚ましたところだ。

 いわゆる後朝(きぬぎぬ)である。


「おはよう」


 とジョセフはエレノアールの顔を見てほほ笑みながら挨拶をした。

 エレノアールも微笑み返す。


「おはようございます。そろそろお帰りの支度をいたしましょうか。お召し物をお着せいたしましょう」

「いいよ、自分でできるから」


 妓楼であるので当然服を脱ぐ。そして、そのまま寝てしまったために、ジョセフは裸であった。

 エレノアールは服を着せようとしたが、ジョセフは恥ずかしさからそれを断ったのである。

 そして服を着る。


「またのお越しをお待ちしております」

「うん。ところで、僕が身請けすると言ったらどうする?」


 身請けのことを言われると、エレノアールはクスクスと笑った。


「こんなおばさんを身請けしたところで、三日で飽きますよ」


 その言葉にジョセフは反論する。


「三日で飽きるようなら、これほど通わないって」

「一盗二婢三妾四妓五妻っていうじゃないですか。まだ独身でございましょう?ならば妾ともなりませんので、飽きるのも早うございます。いつでもお待ちしておりますので、またいらしてください」


 エレノアールにそういわれてジョセフは引き下がった。

 妓楼を出れば、朝日が往来に燦燦と降り注いでいた。

 一度だけ妓楼を振り返ったが、その後妓楼を背にして歩き出す。

 身請けの誘いに乗らなったエレノアールを思い出して、やれやれと後頭部を右手で掻いた。

 そして、そのまま家へと帰った。

 家に帰ってきたジョセフを待っていたのは、母親であるクリスティーナの小言であった。


「朝帰りとは良い御身分ですこと。少しは賊の手がかりでも掴んできたのでしょうね。まさか、妓楼で遊んで手ぶらということではないでしょうね」


 警爵家の当主夫人であったクリスティーナは、警察の情報が容易に入手できた。

 当然二人の子供の仕事ぶりを把握している。

 ジョセフに監視がついているわけではないが、狭い遊郭の中に警察関係者は多く、その中の誰かしらがジョセフを目にし、その情報を得ていたというわけである。


「潜入捜査の情報は、実の母親とて話せるものではございません」

「話せるような内容ではないのでしょう」

「そういうことではありませんが。今度是非とも大手柄を持ち帰って見せましょう」

「嘘だったらマリアンヌと当主を交代してもらいますよ」

「まあ、僕自身は当主にこだわるつもりはありませんので、マリアンヌが望むのであれば」

「そうした不甲斐なさがよくないと何度言ったら!」


 クリスティーナは大声を出した後、自分の額に手を当てた。

 そこに叔父であるマッカーシーがやってきた。

 二人の会話が耳に入ってきたマッカーシーはニコニコしながら、クリスティーナに話しかける。


「義姉さんも、当主があれでは悩みも尽きないでしょう。それに、マリアンヌは女。過去に警爵家の当主が女だったことはありません。この際ですから、分家から養子を迎えては如何ですかな?」


 マッカーシーは暗に自分の息子を本家に迎え、当主にしろと言っているのである。

 その話をしに来たのだった。

 当然彼も息子も警察官僚である。


「そう結論を急ぐものではありません」


 クリスティーナはマッカーシーの提案をきっぱりと断った。


「そうですか。では、気が変わったら言ってください」

「そうなればね。それにしても、ここは貴方の家ではないのよ。気軽に入って来ないでもらえるかしら」

「使用人に声はかけましたよ。それに、兄さんの日記を読み返して、犯人の手がかりがつかめればと思ったから寄ったのです」


 クリスティーナに注意されたマッカーシーは、ムッとなって言い返した。

 ラザフォード家でそんな会話がなされているとき、警察には賊がとある商会に押し入った情報が届けられていた。

 被害にあったのはエマニュエル商会。

 そこに押し入ったのは「雲のレオ」と名乗る盗賊団の頭目とその手下たちである。

 商会の会頭とその家族、使用人を皆殺しにして金を奪って逃げたのだった。

 日が昇っても商売が始まらないことを不審に思った取引先が、開いていた裏口から中に入ると、そこで血の海を発見したので、慌てて警察に届けたというわけである。

 なお、盗賊団はいくつもあり、皆自分たちの犯行であることを知らしめるため、現場に痕跡を残していくのだった。

 今回は雲のレオと書いた木札が置かれていたことで、犯人が特定されたというわけである。

 この情報は直ちに王都の警察にばらまかれた。

 十三番署は盗み仕事の後で大金を持った盗賊団のメンバーが遊びに来る可能性が高いため、ジョセフのような密偵たちには、何としても手がかりをつかむようにという指示が下ったのである。

 ジョセフも午後に出勤したときに、その情報を裏で警察が経営している酒場で聞いた。

 酒場の店員に扮しているトニーは、雲のレオたちの仕事をジョセフに伝えた。


「昨夜エマニュエル商会に賊が押し入った。雲のレオとその一味だ。商会の者は皆殺しにされ、金蔵には1キュリーコインも残っちゃいないそうだ」


 キュリーはオキシジェン帝国の通貨単位である。その最小単位のコインが1キュリーであり、それすらも残さなかったということである。


「雲のレオといえば、ここ数年帝都を荒らしまわっている、残虐非道な大盗賊じゃないか」


 雲のレオの名前はジョセフも知っていた。

 それほどまでに名の売れた盗賊なのである。

 そして、警察はそのメンツにかけて、何としても捕まえたかったのだが、いまだにその手がかりすらつかめていないのであった。


「そうだ。そんな連中が大金を手にしたとなれば、遊びに来るのはここの可能性が高い」

「そうだよね」

「というわけで、どんなささいなことも見逃さないようにと、署長からの指示があった」

「そう言うのは簡単だけどね。やる方は難しいんだよ」

「そういうなって。みんなわかっていることだから」


 ジョセフの不平にトニーは苦笑した。

 トニーの苦笑につられて、ジョセフからも笑みがこぼれる。

 そして、外の方へと目をやった。


「妓楼へは一緒に入れるわけもないから、行くなら酒場か賭場だなあ」

「賭場はいくらかかるかわからんから、行くやつが少ないんだよな。ジョセフなら大丈夫だろうけど」

「やるものにもよるさ」


 捜査にかかる費用は満額警察により負担されるわけではない。

 となると、酒場であれば飲み食いするペースを調整すればよいが、賭場となるとずっと見にまわるわけにもいかないので、適度に張る必要がある。

 そこで負け続ければ自己負担の出費が増えることになるのだ。

 ジョセフには博才があり、今までのトータルはプラスであった。

 それを知っているからこその、トニーの発言なのである。

 こうしてジョセフは遊郭の中にある賭場を見張ることにしたのだった。

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