第三章 静かな村−王都
第27話 疑念
「あ、ルーカス……!」
オフィーリアが声を上げる。慌てて確認すると、まだぼんやりと焦点が定まらない瞳がこちらを見ていた。
「……オフィ、リア……?」
身を起こそうとするルーカスを俺は静止した。
「まだ動くな。不得意なりに治療のジュツを使ってるんだから」
やはりぼんやりしているルーカスは、再び目を閉じる。打ちどころがかなり悪かったのだ。生きているのが奇跡。妙な少女が応急処置をしてくれていなければ今頃……。
再び目を開いたルーカスは幾分かすっきりした顔をしていた。
「ここ、どこです?」
「ここは……」
と、そのとき老婆が部屋に入って来る。
「お前さん、気がついたかい。よかったねぇ、ほんとうに死にかけだったからねぇ。まだ寝ておかなきゃいけないよ。ああ、今じゃがいものスッピを作ってるからねえ! 食べるだろう?」
突然の鉄砲玉のような勢いの発言にやや気圧されているルーカス。間抜けにええ、と返事をした。
「えーっと、ここはルーへ村、らしい。このピトニラさんが部屋を貸してくれている」
「……そうでしたか。ピトニラさん、すみません」
「いいのよぉ、娘夫婦もいなくなっちゃったからねぇ、寂しくて」
病み上がりに悪かったねえと言い、彼女は部屋を出ていく。おしゃべりで賑やかな人だ。
「どのくらい経ちました、魔術人形と戦ってから」
「丸一日と半分だ」
そう言い終わるか否かのうちに、じわじわと実感が伴ってきたのか、オフィーリアが身を起こしたルーカスの首にしがみついた。痛、とルーカスが小さく呟く。
「生きててよかった……!」
「そう簡単には死なないって、ずっと言ってるじゃないですか……」
呆れたように言いながらも、ルーカスはどこかほっとしたような表情だ。
まあ目を覚まして本当に良かったと思う。オフィーリアがずっと上の空でこちらの話も聞いていないような状況だったのだ。多分ふたりは昔からの付き合いなのだろう。うまく言い表せぬ関係値がふたりの間にはある。
二日後、ルーカスは回復も兼ねて俺の肩を借りながら家の外に出た。
「……さびれてますね」
「……そうだな」
向かいにはボロボロになった空き家が並んでおり、畑も一部を残して荒れていた。人が住んでいないことは明らかだった。
今、家ではオフィーリアとピトニラさんが夕食を作っている。木々の隙間から橙色の光が漏れ出ていた。
「生死を彷徨ったからですかね。死んだら世界はどうなるんだろう、なんて考えましたね」
「さあな。きっと、多くの人生は変わらない。ただ、ルーカスの場合ひとりは間違いなく変えることになるだろう」
しばしの沈黙。
「それは、オフィーリアのことです?」
何も答えなかった。答えるのが正解とは思えなかった。
「君は……魔物として生き返って、一番最初に何を思ったんですか」
風が吹いてザワ、と木々が擦れる。
「何も。……全部忘れていたから」
「忘れていた?」
「自分の名前も、大事な人のことも全部」
「……思い出せたんですか?」
「いや。もう一度死ぬまで思い出せなかった」
ルーカスは口をつぐんだ。陽が落ちて空が淡い色を帯びる。それは、黄昏時。
「あれは、俺だったんだろうか。あの人に恋をしていた
人を構成するものはなんなのだろう。その人たらしめるものとはなんなのだろう。肉か、魂か、記憶か。あるいは周りの人間か。
「難しいこと言いますね。……でも、記憶がその人たらしめるのなら、今の君は間違いなく人間だった頃の君で、そしてオニだった頃の君だ。今まで抱いた感情はテック、確かに君のものですよ」
「……そうかな」
「そうだと思いますよ」
日が沈んで少し涼しくなったような気がする。爽やかな風が吹き抜けた。
「まあ、それは再会してから考えよう」
「君は……いや。なんでもないです」
「なんだよ」
「いえ。病み上がりですからね。少し、変な想像をしてしまっただけです」
「あなたたちは、魔術師様なのかい?」
夕食の席でのピトニラさんの発言に俺たちは凍りついた。
そうだった。すっかり失念していた。ルーカスの治療に必死で、俺は普通に術を使ってしまっていた。咎めるようにふたりがチラと俺を見る。お前らも気づいてなかっただろう。
術。それをどう定義するかによって話は変わってくる。結論からいうと、術、魔術、女神の力に違いはない。本質的には同じものだ。これは勇者の遺跡……孤高の賢者アドルフの封印魔術によって分かったことである。
しかし、ここに隠蔽された可能性のある歴史が関わってくると、これは実に厄介な問題だ。
かつて魔王を倒した勇者一行……“十英傑”には魔術師がいたと思われる。というかそう書いていた。しかし、その事実は知られておらず、同じ一団にいたはずの魔術師と祓魔師……つまり、後のエクソシストは現在どういうわけか敵対組織となっているのである。
というのを、例えば木の葉から雫が地面に落ちるまでのような短い時間の間に思考した。一番初めに発言したのはルーカスだ。
「僕たちは魔術師ではないです」
「なら、エクソシスト?」
「エクソシストでもない、です。ほら、彼、東洋顔でしょう」
指差されてどきっとする。
「彼は極東の魔物や悪魔退治の専門家でして。僕たちは彼に師事しているんですよ」
何を言うかと思えば、ほとんど嘘だ……。いや、ルーカスには水を冷やす術と解術を教え、オフィーリアには俺の術の一部を教えたが、それだけだ。
「そうなんだねぇ。魔術師様かと思っちまったよ」
「あの、魔術師様っていうのは? 魔術は禁忌になっていると思うんだけれど」
オフィーリアが尋ねる。
「んー、まあ異国の人たちならいいかねぇ……。この村、荒れ果てているだろう?」
お世辞にも荒れ果てていない、とは言えない見た目であることは確かだった。
「古くは魔術師様のいる村だったらしいのだけれどねぇ。私のお祖父さんのお祖父さんくらいの代のときの話だよ。それが、三十年ほど前のことだったかねぇ、村人たちが魔術師の末裔だからとか言って、みんなひっ捕らえられちまったようでねぇ」
「村人、全員です?」
「そうだよ」
当時ピトニラさんは娘夫婦について王都で暮らしていたらしく、捕まらなかったと言う。知らせを聞きつけ、ひとり戻るも誰もおらず、あるのは荒らされた村だけ。
「代々の墓守りの役目があるからねぇ。先も長くないし、留まっているんだよ」
「……教会は」
ルーカスが拳を強く握りしめる。
「一体、何をやっているんだ……!」
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