第15話 冷えた酒

 オフィーリアの言うように雨はすぐ止み、俺たちはさらに歩みを進めた。日も暮れようか、というとき、ようやく件のドレイトの街の門前までたどり着く。門番が閉めようとする門になんとか滑り込んだ。


「危なかったな」


「まあ、街の反対側にはもうひとつ門がありますからね。そちらは夜も開いているので、入れなかったということはないでしょうけれど」


 まあ、確かに夜間は出入りも少ないだろうし、管理する門は減らす方がいい、ということなのだろう。


 俺は、改めて街を見る。


 立体的な街だ。緑豊かな一階部分の居住区と店や教会、そして勇士連盟の支部が立ち並ぶ石造りの二階部分に分かれていた。ルーカスは俺たちを手招きし、居住区間に向かった。


「上の宿もいいんですけどね。下の宿のほうがあたたかみがあって僕は好きなんです」


 案内された宿は木造の宿で、石造りの建物より木でできた建物のほうに慣れている俺にとっても安心感のある造りだった。


 手続きを済ませたルーカスがこちらに戻ってくる。と、オフィーリアに鍵を渡した。


「ふた部屋取りました。僕とテックが二〇三、リアが二〇二でいいでしょう」


「ええっ、また仲間はずれにするの?」


「違いますよ。男女で部屋は別々のほうが楽でしょう。寝るまではこっちにいたっていいですけど」


「まあ……それなら」


 オフィーリアは術式に関する話になりがちな俺とルーカスの会話に入れないことも多く、疎外感を感じているらしかった。ちょっと悪いことをしてしまった。


 とりあえずみんなで二〇三号室に入る。


「窓に格子がない……」


「アレはラフボルトだけの特殊事例よ」


 前に泊まった宿は盗人の多い町ということもあってか窓に格子がはまっていたのだ。他にも利用者の逃亡防止とかいろいろあるのだろうが。


 ドレイトの街の宿にはそのような格子はなく、全体としてさっぱりとした小綺麗な部屋だった。


 そばの椅子にオフィーリアが勢いよく腰掛ける。歩き詰めたので相当疲れているのだろう。


「もうしばらくしたら酒場のほうにいきましょうか」


「酒?」


「夕食ですよ。酒場は情報も集まりますから、少し顔を出しておきたい」


「ああ……なるほど」


 ところで、宿というのは不思議な施設だ。もといた土地にはそういうものはなく、旅のときは野宿か民家に寄せてもらうのが一般的だった。旅人のための建物が無いということはないが、寝泊まりするような場所ではなくて、どちらかというと火を使って調理ができる場所という感じだ。


 対してこの国の宿泊施設はだいたい酒場が併設されていて、宿の主人が両方を切り盛りしているらしい。


 酒場に向かってみると、勇士はほとんどおらず、多くは街の人で賑わっていた。


「勇士はあまりいないのか」


「街にはいるんですけどね。多くは上の宿を利用するので、こちらにはあまり寄らないんです」


 三人揃って注文すると、しばらく後にビアが届いた。酒はあまり得意ではないが、店で提供されるのは薄い酒ばかりなので案外飲める。


 ふいに武士団の皆で酒を囲んだ日を思い出した。


 このような麦酒ではなく清酒だったが、戦を終えた日などには皆で飲み交わしたものだ。ふと、そのときに楽しんでいた飲み方を試してみようかな、と思った。


 周囲にバレないようにこっそりビードロの器に術を使う。


 ふむ、案外美味しい。


 飯が届いてからも術を定期的に掛けながら酒を飲む。


「……ん?」


 突然、ルーカスの目がこちらに、いや器に注がれた。


「テックのグラス、なんだか曇ってません?」


「え? ……いや? 気のせいだろ」


 なんだかやましいことがあるかのように器をこちらに寄せる。……と。ルーカスが俺の器を奪わんと手を動かした。俺は思わずそれを掴み、取られまいとする。


 突如始まった攻防にオフィーリアが目を白黒させた……いや彼女なら白青か。


 攻防はしばらく続いたが、痺れを切らしたルーカスが俺の手首を掴み器を奪い取った。


「ズルだ!」


「何がですか?!」


 器を奪い取ったルーカスは改めてその温度を確かめ、眉をあげる。


「……なんです、これは」


「……ちょっと冷たくしただけです」


 ルーカスは中身を少し啜る。そして目を閉じて何も言わない。時間が止まったか?


 再び目を開けると、聞こえるか聞こえないかくらいの声量で言うのだった。


「……僕のもお願いします」




「まさか冷やすなんてねぇ」


 部屋に戻ってすぐに、どこか満足げにオフィーリアが言う。結局、あのあとふたりのビアも冷やし、三人で冷えたビアを楽しんだ。もちろん、後で主人に怪しまれないよう常温に戻して席を立った。


「酒は結構冷やして飲むことが多かったんだ。あっちの酒は冷やした方が爽やかで飲みやすかったから」


 当然、好みにもよるが。団長の志堂しどうは逆に温めて飲むのを好んだ。


「テック、その力、僕にも教えてくださいよ」


 ルーカスは相当気に入ったらしい。


「いいのか? 聖職者が酒を飲んで」


「……? いいでしょう。逆にダメなんですか?」


 いいんだ……。宗教観の違いだろうか。


「でも、なんだろうな。ルーカスの言う、“女神の力”って言っていいんだろうか……」


「というと?」


「結構、その言い回しは“奇跡”みたいな意味を孕んでいるだろ?」


 女神による奇跡、女神への忠誠……そんな意味がその言葉の中にはあるように思う。


「まあ……そうですね」


「俺たちの考えではちゃんと手順を踏んだ“必然”なんだ。だから、神の力と言われると、違和感がね」


 俺たちは幼い頃から当たり前に術を使えるように訓練する。刀を振るのと、あるいは勉学に励むのと同じように。


「ああ……なるほど。じゃあ君の言い方に合わせましょう。どういうふうに言ったらいいですか?」


「別に呼び方にこだわりはないんだけどね。俺たちは“ジュツ”と呼んでいた。技とか能力とか、そういう意味だ」


「なるほど。いい呼び方ですね」


 彼はどこか含みを持たせたような言い回しで言う。


「で、どうやるんです」


 結局気になるのはそこらしい。


「ねえ、それなら簡単でいいから私にも分かるように説明してくれない?」


 オフィーリアは単純に術について興味がある様子。俺たちはしばらくの間術の話をして夜を過ごすのであった。

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