金鏡〈三〉五月二十二日-二十三日

「結界術『椿つばき』を教えてくれ?」


 永信えいしんが白髪の青年に聞き返した。彼の右の額からは一本、角が生えている。まさしく、白夜びゃくやだ。


「んなもん俺ちゃうやろ。明孝あきたかに聞いたら?」


 白夜は少し伏せていた顔を上げる。夕闇の中で光る蝋燭の灯りで説明がつかないほど黄色い瞳で戸惑ったように永信を見た。


「明孝は……教える気がないみたいで」


「ああ……まあ、そうか」


 確かに、と永信は言う。


「……なあ白夜。お前は寧のことどう思ってる?」


「何だ、突然」


「これはお前にとって大事なことやと思う」


 尋ねられた白夜と呼ばれた青年は、困惑しながらも、頬を赤らめて目を逸らし掠れるような声を出した。


「……大事な人。寧姫からも悪く思われていないはずだ。でも」


「でも?」


 白夜はなかなか続きを話さない。永信はとくに急かすこともなく影を見ながら待った。


「寧姫が想っているのは俺じゃない」


 その答えに永信は拍子抜けした様子だ。


「……いや? 俺が言うのもなんやけど、お前が一番大事にされてるやろ」


「でも……違うんだよ」


 ジジっと蝋燭の火がゆらめく。


「何が違うんや」


「寧姫は、俺の向こうに暁孝ときたかを見ている。寧姫だけじゃない。永信や、志堂や、明孝もそう」


「……それは……そう、やな」


 白夜のその顔だちは、暁孝のそれだ。


「みんなが……“白夜”ではなく、“暁孝”を見ていると思ったら胸が張り裂けそうになるんだよ」


 永信は黙った。


 今の白夜には死ぬ前の……暁孝としての記憶がない。皆が自分を見ていない、いや確かに自分を見ているのだが、どこかそうではない、という感覚を理解するのは、到底永信には難しかった。


「確かに俺なのに、昔の俺に……暁孝に嫉妬しているんだと思う」


 永信は答えられず未だ黙ったままだった。


 そのとき、障子が開かれ、一際炎が揺れた。そして、鷹山武士団団長である志堂しどうが入ってきた。


「なんだ、お前たち。灯りがついていると思ったらこんな遅くまで話し込んでいるのか? 寂しいだろう、私も混ぜろ」


 ずかずかと立ち入って、そのまま胡座を描いて座る。乱暴な振る舞いだが、金の御髪と相まって絵になる仕草である。


「で、何の話だ」


「いや……大した話では」


「大した話ではないわけなかろう。どれ、当ててやろうか」


 志堂の瞳が真っ直ぐ白夜を射抜いた。


「記憶の話とみた。どうだ?」


「当たらずとも遠からずやな」


「なんだ、釈然としない言い方だな……まあいい。私はその話をしたかったんだ。いいか?」


 目線で白夜に問う。


「……ああ」


「まず、お前の話を聞こう。武士団に入ってひと月ほど経ったな。なにか分からない点はあるか?」


 少し考え込んで、幾分と経たず白夜は口を開いた。


「あの、転移術は……」


「『征鳥せいちょう』か?」


 『征鳥』は、あらかじめ設置しておいた術印まで転移する術式だ。


「それだ。あれは、俺が組んだ術式なのか?」


「その通り。お前が……ちょうど今くらいの季節だったか。作った術だ。今は、明孝あきたかがお前でなくとも使えるよう、少し変えているがな」


「そう……なのか」


 その反応を見て、志堂は何かに気がついたように眉を上げた。


「なるほどな。明孝とうまくいっていないか。……永信、お前から見てどうだ」


 突然話を振られた永信は少し遅れつつも答える。


「……ああ……まあ、ちょっと当たりは強いわな。しゃーないっちゃしゃーないんやけど」


「同意見だ。ただ、それがなぜ“しゃーない”のか、白夜は分からんのだろう?」


 永信の訛りを真似ながら志堂が問いかけた。そのどこか妙な調子に永信はげぇっ、と顔を顰める。


「俺が……死んだから」


「当たらずとも遠からず、だ」


 今度は白夜が志堂の目を真っ直ぐ見た。


「あいつが、お前の弟であることは知っているだろう?」


「ああ」


「あいつは、暁孝の願いを……言い換えるなら、原動力というものを、誰よりも知っていた」


「……原動力」


「そうだ。今のお前にそれはない。それがないお前に……なんだろうな」


「失望?」


 白夜が問いかけるように呟く。


「失望ではないわ。どっちかというと……まあ、悔しさというか、許せんというか、そっちやな」


「そうだな。やりきれない思いがあるのだろう」


 白夜はよくわかっていない様子だ。


「今は分からなくてもいい。記憶を取り戻して欲しいというのも私たちの勝手な望みだ」


 一呼吸おいて志堂が言う。


「いつか、それを思い出すことがあるのなら、そのときはまた、ともに戦って欲しい」


 鷹山武士団の将、“鷹の盾”こと一ノ瀬 暁孝。彼の十年以上に及ぶ信念を白夜は知らなかった。





 翌朝、白夜は、転移術『征鳥・改』の術印が書かれた部屋に立っていた。


「どうしたんだい、そんなところで」


 バッと振り返ると、明孝が薄笑いの顔で白夜を見ていた。その目は笑っていない。


「……この術印は、明孝が書き換えたのだと聞いた」


「そうだよ。暁孝君が死んだ後にね」


 その“暁孝君”という言葉は、確かに目の前にいる白夜に向けて言われた。記憶のない白夜は戸惑いの表情を見せる。


「記憶はやっぱりないかい?」


「……ああ」


 明孝は白夜の正面に回り、白夜の黄金の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「思い出せ、兄上」


「……」


「兄上の犯した罪を自覚しなければ」


「……罪?」


「そうだ。みんなは優しいから……優しすぎるから、それを暁孝君には教えないだろう。でも、僕は君がそれを知らずに、のうのうと生きていくことが許せないよ」


 白夜には全く心当たりが無かった。強いていうならば、妖の王と戦う前に死んでしまったことだろうか。


 全く見当もつかない白夜を見て、明孝は口を開く。


「暁孝君は、寧姫のことをどう思う?」


「……永信にも聞かれた」


「ああ、そうなんだ。暁孝君は何と答えたんだい?」


「……大事な人だと」


「はは、なるほどね。それが聞けたら安心するだろうね、永信殿は。でもそれは当たり前のことだからね」


 白夜はその言い草にムッとする。


 白夜は明孝のことが少し苦手だった。見透かすような話し方が居心地が悪かったのだ。実際、明孝は一方的に白夜の性格を知っているのだが。


「じゃあ、何が聞きたいんだよ」


「怒らない怒らない。本物の鬼の形相なんて見てられないからね」


 薄い笑みをたたえていた明孝の顔がふと冷たいものに変わる。白夜の心ノ臓が跳ねた。


「暁孝君が死んで、寧姫は壊れたよ」


「……壊れ、た?」


「そうだよ。君が帰ってくるまでずーっと、ずーっと、ずーーーっとね」


 壊れた、という言葉を白夜は反芻している。未だ飲み込めていないらしい。


「暁孝君はそれを知らなきゃいけない。その上で、記憶を取り戻さなきゃ、同じことを繰り返すだろう。何度でもね。君は、死にたがりだから」


「……思い出さなければ駄目なのか?」


 寧姫が壊れたと聞いて白夜は少し怖気付いた。しかし、厳しい口調で明孝は答える。


「そうだ。一刻も早く。……君は異形のものになってしまった。僕ら人間の時間感覚とは全く違う一生を送ることになるだろう。それまでに、寧姫が死ぬ前に……あるいはもう一度暁孝君が同じことを繰り返すまでに、思い出さなければ意味がない」


 その迫力に白夜は圧倒される。


「……覚悟ができたらおいでよ。僕の記憶を、君が死んだ後の寧姫を見せてあげるからさ」



◇◇◇


2024/11/16

前に投稿していた分の矛盾点や不必要な部分を再編集し、話数を減らしました。大きな流れは変わっていません。


近況ノートに【技能一覧】を更新しました。

https://kakuyomu.jp/users/hanadairo1000/news/16818093088728147508

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