第10話 人間じゃない
「まさか、あれ、力の供給なしで展開してます?」
ヒトカゲを結界の中にひとまず収めたことで近くに寄れるようになった治療師たちが怪我をした勇士たちの処置をしているなか、ルーカスさんが話しかけてきた。
「ああ……そうだよ」
あれは術の発動時に込めた霊力だけで展開されている。結界術師のその場から離れられなくなるという弱点をなくすために作った術式だ。
「すごいですね。あの規模を一度の供給で……」
「日没くらいまでしか保たないだろうけど」
「いや、エクソシストの結界はたいていもっと早く壊れます。そして、そのときにはもう動けなくなっていますからね」
彼はエクソシストについてかなり詳しいらしい。気になっていたことを尋ねてみる。
「ルーカスは、エクソシストなのか?」
「まあ……元エクソシスト、ってところですね」
彼は手袋を脱いだ。
その手の甲にあったのは、丸の中に正三角形が描かれ、その中心に一本線が引かれた印。オフィーリアの手の甲にもある魔術師の印だ。しかし……オフィーリアのものとも少し違う。
「あらぬ疑いをかけられましてね。聖書と聖剣を剥奪されました。もはやエクソシストは名乗れません」
「これは……封じられている?」
もともと手元から妙な術の気配を感じていた。ルーカスさんの印は、オフィーリアのようなただの目印ではなく一種の呪いのような、封印のような……術だった。
「よく分かりますね。神力を使う能も封じられました」
神力とは、霊力のことだろう。
「それにしては……」
俺はちらと彼の剣を見た。
「さっきは剣にその……神力を纏わせているように見えたけど」
「封印を施したエクソシストの腕が悪かったので、少し漏れ出しているんです。うまく扱えば悪魔も倒せます」
封じられてはいるものの、その霊力……神力の量も多い。封印術師の腕が悪いというより、神力量が術師の想像以上だつたのたろう。
「そういえば、名前を伺っても?」
「ああ、俺は……」
トキだ、と名乗ろうとしたそのとき。
「テック、ルーカス! 怪我はない?」
オフィーリアが声をかけてきた。
「ふふ……なるほど、テックですか」
「……テックです」
諦めた。トキという名前は呼んでもらえない運命にあるのだろう。
「で、怪我はない?」
「怪我は僕もテックもありませんよ」
「そう。よかったわ」
ルーカスさんは返答ののち、俺の結界を眺めている。どこか、寂しいような、悔しいような、そんな顔で。
「その封印、解こうか」
なぜそんなことを言ってしまったのか、自分でも分からなかった。
「……冗談はよしてくださいよ。教会に見つかったら大罪人ですよ」
「あー……それはちょっと……まずいな」
流石に異国人の身で罪人なんて洒落にならない。
「というか、テックはこの封印を解けるんですか?」
ルーカスが訝しむような表情でこちらを見た。
「多分」
生家は解術を生業とした一族だった。
あまり興味のない術を叩き込まれる反動でますます結界術に傾倒していき、大人には叱られたが、ある程度成長してからは解術に幾度となく身を助けられたものだ。
「ところで、僕からも聞きたいことがあったんですが」
ルーカスさんの目がこちらを見た。
「テック、君は」
何もかもを見透かすかのような、黄緑色の瞳。それに映る俺の瞳は、鮮やかな黄色になっている。
「人間じゃないですよね」
しん、とあたりが静まり返る。少し離れた向こう側から治療を痛がる勇士の声と、ヒトカゲの暴れる音が聞こえた。
「ちょっと、ルーカス! なんてこと、言う、の……」
オフィーリアの声が尻すぼみになったのは、俺の薄く笑う顔が目に入ったからだと思う。
「どうしてそう思った?」
「魂の質が……人間のものじゃなかったので」
彼の術師としての腕は確からしい。
ひとり、未だ混乱しているオフィーリアにも分かるよう、単刀直入に言う。
「確かに、俺は人間じゃない」
「……どういうこと?」
「俺は魔物だよ。この国の言葉で言うとね」
「でも、ただ野で生まれた魔物じゃないでしょう? ……おそらく、元人間」
そのルーカスさんの言葉には驚いた。
「そこまで分かるのか」
「予想ですけどね。当たってました?」
「……ああ」
しかし、それはオフィーリアのさらなる混乱を招いた。
「どういうこと? 悪魔に魂でも売ったの?」
「まさか。ルーカスなら分かるだろ」
「ええ。君の中には確かに魂がある」
話について行けなくなったらしいオフィーリアが眉間に皺を寄せながら、ちょっと笑える顔で俺とルーカスさんを交互に見ていた。
「俺は、一回死んでるんだ。そのときにまあ……いろいろあって魔物として蘇った、みたいな感じかな」
「“生ける死体”ってこと?」
生ける死体、か。ある意味そうなのかもしれない。死にきれず、蘇り、異国の地をさまよっている。
「うーん、多分?」
「テック、オフィーリアの言っているそれはそういう名称の腐った死体の魔物ですから。それじゃないでしょう。オフィーリアはそのあたりの知識が皆無なので、丁寧に言ってあげてください」
「な、なによ」
「エクソシストを目指すなら座学も必要だって言っているじゃないですか」
「……もっともすぎて言い返せないわ!」
仲が良いのはいいことだ。
しかし、丁寧にと言われてこれほど難しいことはない。
「俺は……“
そもそも鬼なんて、身から出る瘴気さえ抑えれば角があるだけで大して変わらないし。強いて言えば少しばかり丈夫で霊力量が多いくらいか。
「悪かったな、黙ってて」
「まあ……いいんだけど。むしろ、ふたりだけで意気投合しているのが気に食わないわ」
話に置いてけぼりになったことが不服なようだ。それを見てクスクス笑うルーカスさん。
その後、ルーカスさんと結界術談義をしていたら、仲が深まったような感じがして少し嬉しかった。
一方、話に入れないオフィーリアは不貞腐れて彼に寄りかかって寝ていた。
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