第11話:あんたやから言うんやで
秋の肌寒い夜、立ち呑み「半蔵」の店内には、いつもの温かな空気が漂っていた。かすみさんは、深緑色の割烹着姿で、髪に小さな紅葉の髪飾りをつけ、秋の訪れを感じさせる雰囲気を醸し出している。
この夜、カウンターには五人の常連客の姿があった。
まず、青いブラウスに黒のスキニーという凛々しい姿の貴船紹子が立っている。今日は少し疲れた表情を浮かべていた。
その隣には、派手な柄のスーツを着たきりんさんが立っていた。首の長さが際立つ彼は、こてこての大阪弁で周りを和ませている。
向かい側には、カメラを首から下げたたかしくんが立っていた。最近太ってきたのを気にしているらしく、おつまみを選ぶ手が少し躊躇している。
その隣には、左手でグラスを持つ小春ちゃんが立っていた。旅行代理店勤務の彼女は、今日も楽しそうに酒を楽しんでいる。
そして、端の方には田山さんが立っていた。いつもの緑茶を手に、周りの様子を見ながらゆっくりと過ごしている。田山さんは医者から酒を止められているが、半蔵がすきなのでこうして緑茶を「緑茶ハイの気になって」飲んでいるのだ。
かすみさんは、五人の前で軽快に動きながら、新しいお酒の説明を始めようとしたその時、店の入り口が開いた。
「おかえり~」
かすみさんが振り返ると、そこにはよろよろとした姿の叔父貴こと遠藤さんがいた。
「お、おう……ただいま」
叔父貴の声は普段より随分と大きく、呂律も怪しい。
「叔父貴、どないしたん? 随分酔うてはるみたいやけど」
かすみさんが心配そうに尋ねる。
「い、いや……ちょっとな、会社の奴らと飲んできてな……」
叔父貴は言葉を濁しながら、よろめきながらカウンターに近づいた。
「もう一杯! かすみちゃん、いつもの焼酎を……」
かすみさんは眉をひそめた。
「あかんわ、叔父貴。もう帰った方がええで」
「なんだよ、ケチくさいこと言うなよ! 客商売だろ?」
叔父貴の声が更に大きくなる。店内の空気が一瞬凍りついたように感じた。
かすみさんは深呼吸をして、静かに、しかし毅然とした態度で叔父貴に向き合った。
「叔父貴、あんたやから言うんやで。一見さんやったらつまみだしてるとこや!」
その言葉に、叔父貴は一瞬言葉を失った。
「わ、わかってるわ……でも、もう一杯くらい……」
「あかん言うたらあかんのや。うちは叔父貴の体のこと考えてるんや。それに本当に困るのは明日のあんたやで」
かすみさんの声は厳しいながらも、温かみがあった。
叔父貴は反論しようとしたが、かすみさんの真剣な表情を見て、少しずつ自分の状態を理解し始めたようだった。
「そうだな……ごめん、かすみちゃん。迷惑かけちまった」
叔父貴の声がしおらしくなる。
「ええんや。叔父貴が元気でおるから、みんな安心して半蔵に来られるんや。だから、ちゃんと自分の体大事にせなあかんで」
かすみさんの言葉に、叔父貴は静かに頷いた。
「わかった。もう帰るわ。すまんな」
「そうや。今日はタクシー呼んどくから、ちゃんと乗って帰ってな」
かすみさんは優しく微笑みながら、叔父貴を見送った。
店内に残った常連たちは、この一部始終を見守っていた。
「かすみさん、さすがっす! 叔父貴をあんなにうまくなだめるなんて」
たかしくんが感心したように言う。
「当たり前やろ。叔父貴のことを本当に思うてるから言えるんや」
きりんさんが頷きながら言った。
紹子も静かに言葉を添えた。
「かすみさんの愛のある叱り方、素敵でしたね。私たちも見習わないと」
かすみさんは少し照れくさそうに笑った。
「みんなそれぞれに大切な常連さんやからね。みんなの体調を気遣うのも、私の仕事やと思ってる」
その言葉に、全員が温かな気持ちになった。
かすみさんは、この雰囲気を和ませるように、新しいお酒を取り出した。
「さて、こんな夜には特別なお酒が必要やね。これは、京都の『松井酒造』の『神蔵』という純米大吟醸や。洋梨やメロンを思わせるフルーティーな香りと、なめらかな口当たりが特徴なんや」
かすみさんは、透明感のある淡麗な酒を、それぞれのグラスに注いでいく。
「このお酒には、『思いやりの肴』をつけさせてもらうわ」
彼女は、小さな皿を持って戻ってきた。
「これは、京都の老舗おばんざい屋から教わった『九条ねぎの白和え』や。やさしい味わいの中に、ほんのりと辛みが効いてる。人と人との関係みたいなもんかな」
皿の上には、細かく刻まれた九条ねぎと豆腐が美しく盛り付けられていた。
「いただきます」
五人が口を揃えて言うと、一斉に箸を伸ばした。
「うまい! これ、酒にめっちゃ合うね」
小春ちゃんの声が弾んだ。
「そうそう、まるでかすみさんの叱り方みたいや。優しいけど、ちょっとピリッとする」
きりんさんが感慨深げに言う。
その言葉に、全員が静かに頷いた。
田山さんが、いつもの緑茶を手に取りながら、静かに口を開いた。
「わしも昔は叔父貴みたいやったなぁ。でも、かすみさんに叱られて、今じゃこうして緑茶で我慢しとる。ありがたいもんや」
紹子が興味深そうに田山さんを見つめた。
「そうだったんですか? 田山さんの緑茶には、そんな思い出があったんですね」
「せやな。かすみさんの叱り方は、痛いとこつくんや。でも、それがええんや」
かすみさんは、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「みんな、ようけ飲んで楽しんでもらうのが一番嬉しいんやけどな。でも、それ以上に大切なのは、みんなが元気で長く通い続けてくれることやからね」
たかしくんが、カメラを手に取りながら言った。
「かすみさん、その言葉、写真に撮らせてください! 半蔵の看板に飾りたいくらいですよ」
「あらあら、それはさすがに大げさやろ」
かすみさんは照れくさそうに手を振った。
小春ちゃんが、左手でグラスを持ちながら、にっこりと笑った。
「でも、本当にその通りですよね。半蔵って、お酒を楽しむ場所であると同時に、みんなで支え合う場所でもあるんだなって、今日つくづく感じました」
きりんさんも大きく頷いた。
「せやな。半蔵に来ると、なんだか家族みたいな気がするわ。みんな違うけど、みんないい」
かすみさんは、みんなの言葉を聞きながら、静かに目を細めた。
「みんな、ほんまにありがとう。こんな風に思ってもらえるなんて、店主冥利に尽きるわ」
そして、彼女は新しい肴を用意し始めた。
「さあ、こんな素敵な話の後には、もう一品いくで! これは『思いやりの茄子田楽』や。茄子をじっくり焼いて、特製の味噌だれをつけたんや。味噌には隠し味でほんのり蜂蜜を入れてる。甘さと辛さのバランスが、人間関係みたいやろ?」
五人は、目を輝かせながらその一品を見つめた。
「わぁ、美しい……」
紹子が思わず声を漏らす。
「いただきます」
五人が口を揃えて言うと、一斉に箸を伸ばした。
その夜の「半蔵」は、いつも以上に温かな空気に包まれていた。叔父貴への叱責から始まった夜は、常連たちの絆を再確認する特別な時間へと変わっていった。
閉店時間が近づき、常連たちが帰り支度を始める中、かすみさんは静かにつぶやいた。
「みんな、ありがとう。これからも、みんなの『ただいま』が聞けるよう、頑張るわ」
その言葉に、誰もが心の中で応えていた。半蔵は、単なる立ち呑み屋ではなく、みんなの心の拠り所なのだと。
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