第24話:左で書くって、字が汚くなるよね~
蒸し暑い夕暮れ時、立ち呑み「半蔵」の店内には、風鈴の涼やかな音色が響いていた。かすみさんは、淡い水色の浴衣姿で、髪に小さな朝顔の髪飾りをつけ、涼しげな雰囲気を醸し出している。
この夜、カウンターには五人の常連客の姿があった。
まず、シックな黒のワンピースに赤いストールを合わせた貴船紹子が立っている。首元にはさりげなくパールのネックレスが輝き、大人の女性の魅力を醸し出している。
「かすみさん、今日も暑いわね。いつもの赤ホッピーをお願いします」
紹子の隣には、鮮やかな花柄のシャツにベージュのリネンパンツという爽やかな装いの小春ちゃんが立っていた。髪を軽くアップにして、首元に小さな汗が光っている。
「紹子さん、お久しぶりです! 今日はなんだか特別な日の雰囲気ですね」
向かい側には、白のポロシャツに紺のショートパンツという涼しげな姿のやまさんが立っていた。首にはタオルを巻き、仕事帰りの疲れた様子が伺える。
「かすみさん、今日もフルーツ系の酎ハイで頼むよ。氷をたっぷりで」
その隣には、ノースリーブのブラウスにロングスカートという女性らしい装いの万秋ちゃんが立っていた。首にはスカーフを巻き、涼しげな印象を与えている。
「かすみさん、今日は何かスペシャルな飲み物ありますか?」
そして、端の方には黒のタンクトップにジーンズという筋肉質な姿の安谷くんが立っていた。額には汗が滲み、トレーニング後のような雰囲気を漂わせている。
「かすみさん、生ビールを一杯お願いします」
かすみさんは、五人の前で軽快に動きながら、注文を受けていく。その時、小春ちゃんが左手で箸を使うのを見て、紹子が思わず声を上げた。
「あら、小春ちゃん。左利きだったの?」
小春ちゃんは少し照れくさそうに笑った。
「はい、生まれつきなんです。でも、最近ちょっと困ってて……」
その言葉に、みんなの興味が掻き立てられた。
「どうしたの? 何か問題でもあるの?」
紹子が心配そうに尋ねる。
「実は、新しい職場で右利き用の道具ばかりで……」
小春ちゃんの言葉に、やまさんが同情的に頷いた。
「ああ、左利きって大変なんだよね~。うちの店でもお客さんから左利き用のハサミとか貸すことがあるよ」
かすみさんは、みんなの様子を見ながら、新しいお酒を用意し始めた。
「みなさん、今日はこの話にぴったりのお酒があるんです。これは、イタリアのシチリア島にある『マルサラ・レフティ』という珍しい蔵元のワインなんですよ」
かすみさんは、左手で器用にコルクを抜きながら説明を続ける。
「この蔵元は、左利きの職人さんたちが中心となって作っているんです。彼らの独特の感性が、このワインの個性的な味わいを生み出しているんですよ」
深い琥珀色の液体が、それぞれのグラスに注がれていく。
「香りは、オレンジピールやドライフルーツの甘い香りに、かすかなナッツの香ばしさが混ざっています。口に含むと、まず甘みが広がり、その後にほのかな酸味と苦みが追いかけてくる。最後に、スパイシーな余韻が長く続くんです」
五人が一斉に口をつけると、驚きの表情が広がった。
「わぁ、これは素晴らしい……」
万秋ちゃんが目を細めて言った。
「甘さと複雑さのバランスが絶妙ね」
小春ちゃんも満足そうに頷いた。
「このワイン、左手で造られているからこそ、こんな独特の味わいになるのかもしれませんね」
かすみさんは、みんなの反応を見て満足そうに微笑んだ。そして、新しい肴を用意し始めた。
「このワインに合わせて、特別な一品を用意しました」
彼女は、小さな皿を持って戻ってきた。
「これは、『シチリア風カポナータ 左巻き』です。通常のカポナータは右回りにグルグル巻きにするんですが、今日は左回りに巻いてみました」
皿の上には、茄子やズッキーニ、パプリカなどの野菜が、左回りにくるくると巻かれ、その上にトマトソースがかけられていた。
「見た目は普通のカポナータと変わらないけど、food pairingの妙で、このワインとの相性が格別なんです」
「いただきます」
五人が口を揃えて言うと、一斉に箸を伸ばした。
「うん! これはうまい! ワインと一緒に食べると、野菜の甘みがより引き立つね」
やまさんの声が弾んだ。
「左巻きだからか、なんだか新鮮な味わいがするわ」
紹子が感心したように言う。
話題は再び左利きの話に戻った。
「そういえば、左で書くって、字が汚くなるよね~」
安谷くんがポツリと言った。
安谷くんの言葉に、小春ちゃんが少し困ったような表情を浮かべる。
「そうなんです。特に筆記試験のときは大変で……」
万秋ちゃんが興味深そうに尋ねる。
「どんなところが大変なの?」
小春ちゃんは少し考え込むような仕草をしてから答えた。
「例えば、万年筆を使うと手が真っ黒になっちゃうんです。インクが乾く前に手が触れてしまって……」
紹子が驚いたように目を丸くする。
「そうか! 右利きの人は気づかないけど、確かにそうよね」
やまさんが頷きながら言った。
「うちの店でも、左利きのお客さんが箸を使うとき、隣の人とぶつかることがあるんだよな」
「あとあんまり知られてないですけど、自販機とか自動改札とかも右利きの人用に創られてるんですよね」
「あ~、そっか。お金入れるところとかスイカタッチするとことか全部右だもんな」
「そうなんですよ~」
安谷君の同意に小春ちゃんが嬉しそうに頷いた。
「あと、バイキングのスープバーのお玉も必ず右利きようなんです!」
「お玉が?」
立腹する小春ちゃんに紹子は首をかしげる。
「ほら、右手だとちゃんとスープを注げますけど、左だと……」
小春がジェスチャーをまじえて説明する。
「ほんとだ! 左だとめっちゃ注ぎにくくなる!」
紹子がぽんと手を打って納得する。
かすみさんは、みんなの会話を聞きながら、新しいお酒を用意し始めた。
「みなさん、左利きの話にぴったりのお酒をもう一つ紹介しますね。これは、スコットランドの『レフト・ハンド・ブリュワリー』という醸造所のクラフトビールなんです」
彼女は、深い琥珀色の液体を、それぞれのグラスに注いでいく。
「このブリュワリーは、全ての醸造設備を左利き用にカスタマイズしているんです。そのため、通常のビールとは少し違った風味が楽しめるんですよ」
五人が一斉に口をつけると、驚きの表情が広がった。
「おお、これは面白い!」
安谷くんが目を輝かせて言った。
「ホップの香りが強いけど、すっきりとした後味だね」
やまさんも満足そうに頷く。
かすみさんは、みんなの反応を見て嬉しそうに微笑んだ。そして、新しい肴を用意し始めた。
「このビールに合わせて、『左巻きソーセージのグリル』を用意しました」
彼女は、小さな鉄板を持って戻ってきた。
「普通のソーセージは右巻きが多いんですが、これは特別に左巻きで作られたものなんです。ビールとの相性が抜群ですよ」
鉄板の上には、ジュージューと音を立てながら焼かれるソーセージが並んでいた。その香ばしい匂いが店内に広がる。
「いただきます!」
五人が口を揃えて言うと、一斉に箸を伸ばした。
「うまい! ビールと一緒に食べると最高だね」
安谷くんの声が弾んだ。
「左巻きだからか、なんだか食感が違う気がするわ」
万秋ちゃんが感心したように言う。
話題は再び左利きの話に戻った。
「でも、左利きの人って器用な人が多いって聞くわ」
紹子が言うと、小春ちゃんが少し照れくさそうに笑った。
「そうかもしれません。私、料理は得意なんですよ」
やまさんが興味深そうに尋ねる。
「へえ、どんな料理が得意なの?」
小春ちゃんは少し考えてから答えた。
「和食が好きで、特に飾り切りとか細かい作業が得意なんです」
安谷くんが感心したように頷く。
「そういえば、左利きの人って芸術家や音楽家に多いって聞いたことがあるな」
万秋ちゃんが付け加える。
「そうそう、レオナルド・ダ・ヴィンチも左利きだったって言われてるわよね」
かすみさんは、みんなの会話を聞きながら、静かに微笑んでいた。彼女は、左手で器用にグラスを磨きながら言った。
「左利きも右利きも、それぞれの良さがあるんですよね。大切なのは、お互いの違いを理解し合うこと。それが、この『半蔵』の魅力でもあるんです」
その言葉に、全員が深く頷いた。
小春ちゃんは、少し勇気を出したように言った。
「みなさん、ありがとうございます。左利きのことを理解してもらえて、本当に嬉しいです」
紹子が優しく微笑んだ。
「小春ちゃん、これからも自信を持って左利きでいてね。それがあなたの個性なんだから」
その言葉に、店内は温かな空気に包まれた。
かすみさんは、みんなの様子を見ながら、静かにつぶやいた。
「こうして人と人がつながっていくんやね。半蔵がそんな場所であり続けられたら嬉しいわ」
その言葉に、誰もが心の中で同意していた。半蔵は、単なる立ち呑み屋ではなく、人々の心が通い合う特別な場所なのだと。
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