第8話:こんな話、ここだけの秘密ですからね

 秋の深まりを感じさせる夜、立ち呑み「半蔵」の店内には、温かな灯りと笑い声が満ちていた。かすみさんは、深緑のエプロンに白のブラウスという装いで、髪に小さな紅葉の髪飾りをつけ、秋の訪れを感じさせる雰囲気を醸し出している。彼女の表情には、いつもの優しさと共に、何か楽しい話を聞きたがっているような好奇心が宿っていた。


 この夜、カウンターには五人の常連客の姿があった。


 まず、赤いチェックのシャツにジーンズという、カジュアルながらもセンスの良い装いの貴船紹子が立っている。出版社勤務らしい知的な雰囲気を纏いながらも、ちょっとリラックスした表情を浮かべていた。


 その隣には、派手な柄のワンピースにレザージャケットを羽織ったさくちゃんが立っていた。アラフィフの物まね芸人らしく、周囲を和ませるような雰囲気を漂わせている。


 向かい側には、真っ白なワイシャツにネクタイという、いかにも仕事帰りといった姿の金田さんが立っていた。いつもの紳士的な雰囲気を漂わせつつ、少しほっとした表情を見せている。


 その隣には、シンプルな黒のドレスに赤いストールを巻いた杏奈さんが立っていた。ガールズバーのママらしい華やかさと大人の魅力を醸し出している。


 そして、端の方には派手な柄のアロハシャツを着た大澤さんが立っていた。ロン毛で太った体型だが、音楽に詳しい彼の目は輝いていた。


 かすみさんは、五人の前で軽快に動きながら、新しい酒の説明を始めようとしたその時、紹子が突然話し始めた。


「ねえ、みんな。最近、有名人に会った経験とかない?」


 その言葉に、全員が興味深そうな表情を見せた。


「おお! それええ話やな」


 さくちゃんが関西弁で答える。ほんまは和歌山弁やけど。


「実はな、先週、あの大物俳優の……」


 さくちゃんが話し始めると、みんなが身を乗り出した。


「おや、それは面白そうですね」


 金田さんも静かに興味を示す。


 かすみさんは、みんなの様子を見ながら、新しいお酒を用意し始めた。


「みなさん、この話にぴったりのお酒があるんです。フランスの『シャンパーニュ・デ・セレブ』という、セレブ御用達のシャンパンなんですよ」


 かすみさんは、金色のラベルが貼られた優雅なボトルから、それぞれのグラスに注いでいく。


「このシャンパンは、特別な年にしか作られない希少なもので、芳醇な香りと繊細な泡立ちが特徴です」


 全員が一斉に口をつけると、驚きの表情が広がった。


「わぁ、本当に贅沢な味わいね!」


 杏奈さんが感嘆の声を上げる。


「これは確かに、セレブの話にぴったりだ」


 大澤さんも満足そうにグラスを見つめる。


 かすみさんは、みんなの反応を見て満足そうに微笑んだ。


「さくちゃん、続きを聞かせて」


 紹子が促す。


「そうそう、実はな……」


 さくちゃんは、少し声を落として話し始めた。


「先週、新宿の某高級ホテルのバーで仕事があってん。そしたら、隣のテーブルに座ってはったんが、あの超大物俳優の○○さんやったんや!」


 みんなの目が一斉に大きくなる。


「えっ! マジで?」


 紹子が声を上げる。


「ほんまや。しかも、めっちゃ気さくで、ワイに話しかけてきはったんよ」


 さくちゃんの話に、全員が聞き入っている。


「それで、どんな話をしたの?」


 杏奈さんが興味深そうに尋ねる。


「まあ、最初は世間話やったんやけど、ワイが物まね芸人やって知ったら、『一発やってよ』って言われてん。それで、その場で○○さんの物まねしたんや」


「えっ!? 目の前で本人の物まねを?」


 大澤さんが驚いた様子で言う。


「そうそう。でもな、○○さん、大笑いしてくれはってん。『うまいなぁ』って」


 さくちゃんの話に、みんなが感心したように頷く。


 かすみさんは、話を聞きながら新しい肴を用意し始めた。


「みなさん、この話にぴったりの一品を用意しました」


 彼女は、小さな皿を持って戻ってきた。


「これは、『セレブリティ・キャビア・カナッペ』です。最高級のキャビアを使ったカナッペに、金箔をあしらってみました」


 皿の上には、小さなブリニに乗せられたキャビアが、金箔をまとって輝いていた。


「わぁ、豪華!」


 紹子が目を輝かせる。


 みんなが口にすると、贅沢な味わいに感嘆の声が上がる。


「さくちゃんの話といい、このおつまみといい、今日はなんだか特別な日になりそうね」


 杏奈さんが笑顔で言う。


「俺も昔、ある大物ミュージシャンと飲んだことがあるんだ」


 音楽に詳しい大澤さんの話に、みんなが興味津々の表情を見せる。


 次々と有名人との思い出話が飛び出し、店内は笑いと驚きの声で賑わった。


「実は私も、編集の仕事で面白い経験があるんです」


 全員の視線が紹子に集まる。


「ある超大物推理作家の○○先生の担当になったときのことなんですが……」


 紹子は、グラスに口をつけてから続けた。


「先生って、締め切り間際まで原稿を書かないことで有名なんです。で、ある日、締め切り当日になっても全然連絡がつかなくて」


「おお、それは大変やったやろ?」


 さくちゃんが身を乗り出す。


「そうなんです。しかたなく、先生の自宅に向かったんですよ。そしたら……」


 紹子は、一呼吸置いて続けた。


「なんと、先生が庭で全裸で日光浴してるんです!」


「えっ!?」


 店内に驚きの声が響く。


「しかも、『ああ、紹子ちゃん。良かった。ちょうどいいところに来てくれた』って」


「それってセクハラじゃ?」


「それで、原稿は?」


 杏奈さんが興味深そうに尋ねる。


「それが、『実は昨日書き上げたんだけど、プリンターのインクが切れちゃってね。紹子ちゃん、買ってきてくれない?』って」


 店内に笑い声が広がる。


「それで、慌ててコンビニでインク買って戻ったら、今度は先生が全裸で逆立ちしてるんです。『血液の巡りを良くすると、アイデアが浮かびやすいんだよ』って」


「それってセクハラじゃん!」


 かすみさんは、笑いながら新しい肴を用意し始めた。


「みなさん、この奇想天外な話にぴったりの一品を用意しました」


 彼女は、小さな皿を持って戻ってきた。


「これは、『逆さまトマトのカプレーゼ』です。モッツァレラチーズを下に、トマトを逆さまに乗せて、バジルソースをかけてみました」


 皿の上には、まるで逆立ちしているかのような斬新なカプレーゼが並んでいた。


「わぁ、面白い! まさに○○先生みたい」


 紹子が笑いながら言う。


 話はさらに盛り上がり、杏奈さんがガールズバーに訪れた某有名政治家の意外な一面を語ったりした。


 大澤さんは、ある伝説のロックスターと酔っ払って歌った思い出を、さくちゃんは大御所俳優の知られざる特技を物まねを交えて紹介した。


 かすみさんは、それぞれの話に合わせて、「政治家の裏表サンドイッチ」や「ロックンロール巻き」など、遊び心満載の創作料理を次々と提供した。


 店内は笑いと驚きの連続で、まるで有名人の秘密の集会のような雰囲気に包まれていった。


 最後に、紹子がしみじみと言った。


「でも、こんな話、ここだけの秘密ですからね」


 全員が頷き、グラスを掲げた。


「もちろん! ここだけの秘密や!」


 さくちゃんの声に合わせて、「乾杯!」の声が響いた。


 その夜の「半蔵」は、有名人たちの意外な素顔と、常連たちの秘密の思い出で満ちていた。それは、どんな華やかなパーティーよりも楽しく、心温まる時間だった。


 話が一段落したところで、かすみさんがふと口を開いた。


「みなさんの話を聞いてて思ったんやけど、結局、芸能人の本質は、『人間性』やな」


 その言葉に、全員が静かに頷いた。


「確かに。どんなに有名でも、結局は人間なんだよね」


 紹子が感慨深げに言う。


「そうそう。気さくな人もおれば、ちょっと変わった人もいる。でも、みんな同じ人間や」


 さくちゃんも同意する。


「かすみさんの言う通りですね。地位や名声よりも、その人の人間性が大切なんだと、改めて感じました」


 金田さんが紳士的に言葡を添える。


 その夜、立ち呑み「半蔵」では、有名人との思い出話を通じて、人間の本質について考える特別な時間が流れた。それは、華やかな世界の裏側にある、普遍的な人間性への気づきをもたらす、貴重な経験となった。


 最後に、かすみさんが笑顔で言った。


「でもな、こうやってみんなで呑んでる時間が、一番贅沢なんちゃうか?」


 その言葉に、全員が心から同意し、グラスを合わせた。


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