第18話:やったー! ロン! 裏ドラ! 役満!

 秋の深まりを感じさせる夕暮れ時、立ち呑み「半蔵」の店内には、心地よい温もりが漂っていた。かすみさんのショートカットの髪が、軽やかな動きに合わせて揺れる。彼女の優しい笑顔が、店内の雰囲気を和ませていく。


 この夜、カウンターには四人の常連客の姿があった。


 まず、ゆったりとしたニットワンピースに身を包んだ貴船紹子が立っている。出版社勤務らしい知的な雰囲気を纏いながらも、今日は少し疲れた表情を浮かべていた。


「かすみさん、今日も一日お疲れさま。いつもの赤ホッピーをお願いします」


「はい、紹子さん。おかえりなさい。今日はお疲れみたいですね」


 かすみさんは紹子の表情を見て、優しく声をかけた。


「うん、今日は新人作家の打ち合わせでね。才能はあるんだけど、ちょっと扱いに困る子でさ……まあ、才能のある子って、えてしてそういう子が多いんだけどさ……」


 紹子が少し困ったような表情で答える。


 その隣には、チェック柄のシャツにジーンズという気取らない姿の心太(しんた)くんが立っていた。妙齢の女性でありながら、「くん」付けで呼ばれる彼女の目は、既に酒で少し潤んでいた。


「あら、紹子さん。新人さんって大変よね。でも、きっと紹子さんなら上手く導いてあげられるわ」


 心太くんが優しく声をかける。


「そうだといいんだけどね……。あ、心太くん。今日はいつもより早いのね」


「ええ、今日は早めに仕事が終わったの。だから、ゆっくり飲もうと思って」


 向かい側には、ピンクのブラウスにフレアスカートという華やかな出で立ちのさちこが小さな体を寄せ合うようにして立っていた。145センチほどの小柄な体型ながら、その存在感は抜群だ。手には、いつもの焼酎のお湯割りが握られている。


「みんな、こんばんは。今日はね、北海道から取り寄せた珍しいお酒があるの。あとで飲んでみる?」


 さちこが嬉しそうに言う。


「おお、それは楽しみだね」


 紹子が興味深そうに答える。


 そして、端の方には黒いスーツ姿の徳栄さんが立っていた。IT技術職らしい知的な雰囲気を漂わせながら、少し疲れた表情を浮かべている。


「かすみさん、いつもの酎ハイをボトルでお願いします」


 徳栄さんが静かに注文する。


「はい、徳栄さん。今日はお疲れみたいですね。何かあったんですか?」


 かすみさんが心配そうに尋ねる。


「ああ、今日はシステムトラブルでね。一日中対応に追われてたんだ」


 徳栄さんが少し疲れた様子で答える。


 かすみさんは四人の前で軽快に動きながら、新しい酒の説明を始めた。


「今日はね、みなさんにぴったりの日本酒が入ったんです。長野の『真澄』っていう蔵元の『槽場詰め』なんですよ」


 彼女は、雪景色が描かれた美しい徳利から、それぞれの酒器に注いでいく。


「わぁ、香りがいいわね」


 心太くんが、鼻を酒器に近づけながら言った。


「ほんとだね。なんか、雪解け水のようなクリアな香りがする」


 さちこも、目を細めて香りを楽しんでいる。


「この『槽場詰め』は、搾りたての新鮮な風味をそのまま瓶詰めした生酒なんです。フレッシュな味わいと、ほのかな発酵香が特徴なんですよ」


 かすみさんが丁寧に説明する。


 四人が一斉に口をつけると、驚きの表情が広がった。


「うまか! これは確かにフレッシュばい!」


 あまりの旨さに紹子の博多弁が飛び出す。


「ほんとに美味しいわ。さっぱりしてるけど、旨みもしっかりあるのね」


 心太くんが、舌で余韻を味わいながら言った。


「かすみさん、この酒に合う肴は何かありますか?」


 徳栄さんがゆっくり尋ねる。


「はい、実は今日はいいものを用意しているんです」


 かすみさんは厨房に向かい、小さな皿を持って戻ってきた。


「これは、信州サーモンのカルパッチョです。長野県産の山葵と柚子を使ったドレッシングをかけてみました」


 四人は、目を輝かせながらその一品を見つめた。


「わぁ、美しい……」


 さちこが思わず声を漏らす。


 皿の上には、薄くスライスされたピンク色のサーモンが、花びらのように並べられていた。その上に、淡い緑色のドレッシングが滴るように添えられ、香りと彩りを添えている。


「「「「いただきます」」」」


 四人が口を揃えて言うと、一斉に箸を伸ばした。


「うん! これはうまか! バリうまばい!」


 紹子の声が弾んだ。


「サーモンの脂の甘みと、山葵の辛さが絶妙だわ」


 心太くんがしみじみと言う。


「日本酒との相性も抜群ですね。さすがかすみさん」


 徳栄さんが、満面の笑みを浮かべた。


 かすみさんは、四人の反応を見て満足そうに微笑んだ。


「みなさんに喜んでもらえて、私も嬉しいです」


 その時、店の入り口の風鈴が秋風に揺られ、涼やかな音を響かせた。新しい客が入ってきたのだ。


「おかえり~」


 かすみさんの温かな声が、帰宅するような安心感を与える。


 入ってきたのは、四人組の高齢の男性たちだった。

 紹子が心の中で勝手に「麻雀四人衆」と呼んでいるグループだ。


「やったー! ロン! 裏ドラ! 役満!」


 一人の男性が大きな声で叫んだ。


「うるせえな、お前。たまたま運で勝っただけで調子に乗りやがって」


 別の男性が苦々しい表情で言い返す。


「まあまあ、今日は楽しく飲もうぜ」


 三人目の男性が仲裁に入る。


「そうだな。勝負は水物だしな」


 四人目の男性が深々と頷く。


 紹子たちは、この賑やかな四人組を見て、思わず笑みがこぼれた。


「かすみさん、いつもの焼酎を4つロックで頼むよ」


 四人組の中でもリーダー格らしい男性が注文する。


「はい、かしこまりました」


 かすみさんは笑顔で答え、すぐに注文の準備を始めた。


「あの、失礼ですが……」


 紹子が麻雀四人衆に声をかける。


「お聞きしたいんですが、どなたが優勝されたんですか?」


「ああ、今日はこの爺さんがな」


 リーダー格の男性が、先ほど大声を上げた男性を指さす。


「へへへ、今日は調子がよかったもんでな」


 その男性が照れくさそうに笑う。


「すごいですね。みなさんお幾つなんですか?」


 心太くんが興味深そうに尋ねる。


「わしらは全員70代後半だよ。最高齢は85歳だがな」


 別の男性が答える。


「へぇ、素晴らしい! その年齢でまだ麻雀を楽しめるなんて」


 さちこが感心したように言う。


「麻雀は頭の体操にもなるしな。ボケ防止にもいいんだよ」


 リーダー格の男性が誇らしげに言う。


「それにしても、随分と盛り上がってますね」


 徳栄さんが少し驚いたように言う。


「ああ、麻雀が終わった後のこの時間が一番楽しいんだ」


 四人目の男性が嬉しそうに答える。


 かすみさんが焼酎を持ってきて、麻雀四人衆に配る。


「みなさん、お待たせしました。今日の肴は何にしましょうか?」


「そうだな、今日は勝った奴のおごりだ。思い切り頼むぞ!」


 リーダー格の男性が大きな声で言う。


「おいおい、そんな……」


 優勝した男性が困ったような顔をする。


「冗談だよ、冗談。今日は俺がおごるよ」


 リーダー格の男性が笑いながら言う。


 その言葉に、他の三人が喜びの声を上げる。


「かすみさん、じゃあおまかせで頼むよ。旬のものを頼むね」


「はい、わかりました。では、秋の味覚を集めた盛り合わせを用意しますね」


 かすみさんは嬉しそうに答え、厨房に向かった。


 紹子たちは、この賑やかな四人組を見ながら、自然と笑顔になっていた。


「いいわねえ。あんな風に歳を重ねられたら」


 心太くんがしみじみと言う。


「ほんとだね。あの歳で、麻雀を楽しんで、お酒を飲んで。素敵な老後だわ」


 さちこも同意する。


「でもさ、じじいになると声がでかくなって困るよな」


 徳栄さんがずけずけと本音を言う。


 その時、かすみさんが戻ってきた。


「みなさん、麻雀の話で盛り上がるのは結構ですが、他のお客様のご迷惑にならないよう、少し声のトーンを落としていただけますか?」


 かすみさんは優しく、しかし毅然とした態度で麻雀四人衆に言った。


「あ、すまんすまん。つい興奮しちゃってな」


 リーダー格の男性が謝る。


「そうだな。気をつけよう」


 他の三人も同意する。


 かすみさんの一言で、店内の雰囲気が少し落ち着いた。


「さすがかすみさんだね」


 紹子が感心したように言う。


「ほんと。あんな風に優しく注意できるなんて」


 心太くんも頷く。


 その後、かすみさんは麻雀四人衆のテーブルに、色とりどりの秋の味覚を盛り合わせた大皿を運んできた。


「みなさん、こちらが秋の味覚の盛り合わせです。松茸の土瓶蒸し、秋刀魚の塩焼き、栗ご飯、秋鮭の焼き漬け、そして季節の野菜の天ぷらです」


 四人の目が輝いた。


「おお! これはすごい!」


「さすがかすみさん、気が利くねえ」


「「「「いただきます!」」」」


 四人は、声のトーンは抑えつつも、嬉しそうに料理に箸を伸ばした。


 紹子たちも、その様子を見ながら、自分たちの酒と肴を楽しんでいた。


「ねえ、私たちも歳を取ったら、あんな風に仲間と楽しく過ごせるかしら」


 紹子が少し物思いに耽るように言う。


「きっとそうよ。私たちにはもう、ここ半蔵という素敵な場所があるんだもの」


 心太くんが優しく答える。


「そうだね。ここで出会えた仲間たちと、これからもずっと一緒に飲んでいけたらいいな」


 さちこも笑顔で言った。


「ああ、そうだな。俺もそう思う」


 徳栄さんもうなずく。


 かすみさんは、そんな常連たちの会話を聞きながら、優しく微笑んだ。


「みなさん、これからもずっとここ半蔵で、楽しい時間を過ごしていただけたら嬉しいです」


 かすみさんの言葉に、四人は温かな気持ちになった。


 その時、麻雀四人衆の一人が立ち上がり、カウンターに近づいてきた。灰色の上着に黒のズボンという渋い出で立ちで、白髪まじりの髪を整えた紳士然とした雰囲気の男性だ。


「すみません、お嬢さんたち。少し話に加わってもいいかな?」


 紳士然とした男性が、紹子たちに優しく声をかけた。


「ああ、もちろんです。どうぞ」


 紹子が笑顔で答える。


「ありがとう。実はね、君たちの会話を聞いていて、私たちも若い頃を思い出したんだ」


 男性はゆっくりと話し始めた。


「俺たち四人も、最初は仕事仲間だったんだよ。毎日のように仕事帰りに一杯飲んで、時には麻雀をして。気がつけば40年以上の付き合いになっていたよ」


 その言葉に、紹子たちは驚いた表情を見せる。


「40年以上ですか! すごいですね」


 心太くんが感嘆の声を上げる。


「ええ。仕事を辞めた後も、この麻雀仲間だけは続いてね。お互いの人生の喜びも悲しみも、全部共有してきたんだ」


 男性の目に、懐かしさと温かみが浮かんでいる。


「素敵ですね。私たちもそんな風に……」


 さちこが言いかけたところで、麻雀四人衆の別の一人が声を上げた。


「おい、また昔話かよ! 酒が不味くなるだろ!」


 その言葉に、みんなが笑い出した。


「あ、すまない。つい長話になってしまって」


 紳士然とした男性が照れくさそうに言う。


「いえいえ、とても素敵なお話でした」


 紹子が優しく答える。


 その時、かすみさんが新しい料理を持ってきた。


「みなさん、こちらは秋刀魚の炙り刺しです。香ばしさと生の旨みが楽しめますよ」


 透き通るような薄切りの秋刀魚が、美しく盛り付けられている。


「わぁ、これは珍しいね」


 徳栄さんが興味深そうに言う。


「ぜひ、みなさんで召し上がってください」


 かすみさんが笑顔で言った。


 紹子たちと麻雀四人衆は、一緒にその料理を楽しみ始めた。世代を超えた会話が弾み、店内は温かな雰囲気に包まれていく。


「ねえ、麻雀のコツって何かあるんですか?」


 紹子が興味深そうに尋ねる。


「そうだなぁ。まずは基本をしっかり覚えることだな。あとは、相手の心理を読むことも大切だよ」


 麻雀四人衆の一人が答える。


「へぇ、奥が深いんですね」


 心太くんが感心したように言う。


「ああ、でも何より大切なのは楽しむことだ。勝ち負けにこだわりすぎちゃいけないよ」


 別の麻雀四人衆が付け加える。


 その言葉に、紹子たちは深くうなずいた。


「そうですね。人生も同じかもしれません」


 さちこが思わず言った。


「その通りだ。人生も麻雀も、楽しむことが一番大切なんだよ」


 紳士然とした男性が優しく微笑む。


 かすみさんは、そんな世代を超えた交流を見ながら、静かに微笑んでいた。彼女の立ち呑み「半蔵」が、こんな風に人々をつなぐ場所になっていることを、心から嬉しく思う。


「さあ、みなさん。もう一杯いかがですか?」


 かすみさんが優しく声をかける。


「ああ、お願いします」


 紹子たちと麻雀四人衆が口を揃えて答えた。


 秋の夜は、まだまだ長く、楽しい会話は続きそうだ。立ち呑み「半蔵」の温かな灯りが、今宵も人々の心を照らし続けている。


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