第6話:そんなもの、さっさと捨てちゃえばいいのに

 秋の肌寒い夜、立ち呑み「半蔵」の店内には、いつもの温かな空気が漂っていた。かすみさんは、シックな紺色のエプロンを身につけ、髪を少し長めにしたショートカットで、優しさと気品を漂わせている。彼女の表情には、何か気がかりなものが浮かんでいた。


 この夜、カウンターには五人の常連客の姿があった。


 まず、赤いニットのカーディガンを羽織った貴船紹子が立っている。出版社勤務らしい知的な雰囲気を纏いながらも、少し疲れた表情を浮かべていた。


 その隣には、グレーのスーツ姿の高梨さんが立っていた。やせ型の体に似合わぬ存在感を放ち、ウイスキーのグラスを手に黙々と酒を楽しんでいる。


 向かい側には、カジュアルなポロシャツ姿のよしおくんが立っていた。スウェーデンと日本人のハーフらしい整った顔立ちながら、純日本的な仕草で酒を楽しんでいる姿が印象的だ。


 その隣には、派手な柄のワンピースを着た茨木ちゃんが立っていた。恰幅の良い体型ながら、目は輝いており、何か面白い話を期待しているようだ。


 そして、端の方には黒いTシャツにジーンズという気取らない姿の「叔父貴」が立っていた。厳つい風貌だが、優しい目つきで周りを見渡している。叔父貴というのは勿論あだ名で、まるでヤクザのような見た目なのと、任侠映画が好きなところからきている。


 かすみさんは、五人の前で軽快に動きながら、少し困ったような表情で口を開いた。


「みなさん、実は昨日の夜、ちょっと困ったことがあって……」


 その言葉に、全員の視線がかすみさんに集中した。


「どうしたの? かすみさん」


 紹子が心配そうに尋ねる。


「実はね、昨日の夜、お店を閉める時に忘れ物があったんです。でも、それが誰のものかわからないし、そもそもそれが何なのかもわからなくて……」


「えっ? 忘れ物の正体がわからないって?」


 よしおくんが驚いた様子で言う。


「そうなんです。今まで見たことも触ったこともないもので、そもそもそれが何なのかわからないんです」


 かすみさんの言葉に、みんなが興味深そうな表情を浮かべた。


「それ、どんなものなの?」


 茨木ちゃんが好奇心いっぱいの様子で尋ねる。


「それが……」


 かすみさんは言葉を選びながら、ゆっくりと話し始めた。


「形は、まるで宇宙人の卵みたいな感じなんです。でも、触ると少し柔らかくて、光っているんです」


「へぇ、面白そうじゃないか」


 叔父貴が興味深そうに言う。


「それ、どこにあるんだ?」


 高梨さんが冷静に尋ねる。


「今は厨房の奥に置いてあるんです。みんなで見てもらおうと思って」


 かすみさんはそう言って、厨房の奥に向かった。


 その間、かすみさんは新しいお酒を用意し始めた。


「みなさん、この不思議な忘れ物の話にぴったりのお酒があるんです。スペインの『ビノ・アズール』という青いワインなんですよ」


 かすみさんは、青く光る液体が入ったボトルから、それぞれのグラスに注いでいく。


「このワインは、特殊な製法で青く着色されているんです。味わいは爽やかで、ほのかな甘みがあります」


 五人が一斉に口をつけると、驚きの表情が広がった。


「わぁ、本当に青いワインだ!」


 紹子が感嘆の声を上げる。


「不思議な色だけど、味は普通のワインだね」


 よしおくんも満足そうに頷く。


 その時、かすみさんが厨房から戻ってきた。手には、確かに宇宙人の卵のような、光る物体があった。


「こ、これが……」


 かすみさんが恐る恐る見せる。


 五人は、目を丸くしてその物体を見つめた。


「うわぁ、本当に不思議な形だね」


 茨木ちゃんが驚いた様子で言う。


「触ってもいいのかな?」


 高梨さんが慎重に尋ねる。


「はい、どうぞ」


 かすみさんがうなずくと、五人は順番にその物体に触れてみた。


「確かに、ちょっと柔らかいね」


 叔父貴が感想を述べる。


「でも、これって一体何なんだろう?」


 紹子が首をかしげる。


 その時、よしおくんが突然声を上げた。


「あっ! もしかして、これ……」


 全員の視線がよしおくんに集中する。


「昨日、姪っ子とゲームセンターに行ったんだけど、そこで見たおもちゃに似てるんだ」


「えっ? おもちゃ?」


 かすみさんが驚いた様子で言う。


「そう、最近流行ってる『ギャラクシー・エッグ』っていうおもちゃなんだ。光って、柔らかくて、不思議な形をしてるんだよ」


 よしおくんの説明に、みんなが納得したような表情を見せた。


「そうか、おもちゃだったのか」


 高梨さんがほっとしたように言う。


「でも、誰が持ってきたんだろう?」


 茨木ちゃんが疑問を投げかける。


「そうだね。子供連れのお客さんはここ最近いなかったよね」


 紹子が思い出そうとする。


「まあ、そんなもの、さっさと捨てちゃえばいいのに」


 叔父貴が笑いながら言った。


 その言葉に、みんなが笑い出した。


「そうだね。でも、せっかくだからもう少し調べてみようよ」


 紹子が提案する。


「そうそう、ミステリーを解くみたいで面白いじゃない」


 茨木ちゃんが目を輝かせて言う。


 かすみさんは五人の様子を見ながら、新しい肴を用意し始めた。


「みなさん、この不思議な話にぴったりの一品を用意しました」


 彼女は、小さな皿を持って戻ってきた。


「これは、『宇宙卵の謎解き前菜』です。見た目は普通の卵のようですが、中身が青く、ほのかに光るんですよ」


 五人は、目を輝かせながらその一品を見つめた。


「わぁ、これも本当に青く光ってる!」


 よしおくんが驚いた様子で言う。


 皿の上には、半分に切られた卵が並んでいた。白身の中に、淡く青く光る黄身が見える。その周りには、星型に切り抜かれた野菜が散りばめられていた。


「いただきます」


 五人が口を揃えて言うと、一斉に箸を伸ばした。


「うまい! 見た目は不思議だけど、味は普通の卵だね」


 高梨さんが感心したように言う。


「でも、この青い色素は何なんだ?」


 叔父貴が興味深そうに尋ねる。


「実は、青いワインで染めたんです。安全な食用色素なので、安心して食べられますよ」


 かすみさんが笑顔で説明する。


「さて、この卵を食べながら、あの忘れ物の謎を解いていきましょう」


 紹子が提案する。


「そうだね。まず、昨日来たお客さんを思い出してみよう」


 よしおくんが言う。


「昨日は……そうだ、霧ちゃんが来てたわね」


 茨木ちゃんが思い出したように言う。


「あと、無帽さんも来てたな」


 叔父貴が付け加える。


「でも、あの二人がおもちゃを持ってくるとは思えないな」


 高梨さんが首をかしげる。


「そうね……あ、そういえば昨日、お店のすぐ外で変な人を見たわ」


 紹子が突然思い出したように言う。


「え? どんな人でした?」


 かすみさんが興味深そうに尋ねる。


「えっとね、宇宙飛行士みたいな格好をした人だったの。最初はコスプレかと思ったんだけど……」


 紹子の言葉に、全員が驚いた表情を見せた。


「宇宙飛行士!?」


 よしおくんが声を上げる。


「そういえば、確かにそんな人見たな」


 叔父貴も思い出したように言う。


「でも、なんで宇宙飛行士の格好をした人がいたんだろう?」


 茨木ちゃんが首をかしげる。


「もしかして……」


 高梨さんが何かを思いついたように言う。


「もしかして、あの忘れ物は本当に宇宙人の卵なんじゃないか?」


 その言葉に、店内が静まり返った。


「まさか……」


 かすみさんが小さな声で言う。


 その時、突然店の外から奇妙な音が聞こえてきた。


「ピポパポ……ピポパポ……」


 五人とかすみさんは、顔を見合わせた。


「こ、これって……」


 よしおくんが震える声で言う。


「まさか本当に……」


 紹子も声を震わせる。


 その瞬間、店の入り口の戸が開いた。そこには……まさに宇宙飛行士の格好をした人物が立っていた。


「おかえりぃ~?」


 かすみさんが、驚きを隠しきれない声で言う。


 宇宙飛行士は、ゆっくりとヘルメットを脱いだ。すると、その下から現れたのは……


「えっ!? 小春ちゃん!?」


 五人が驚きの声を上げた。


 そう、宇宙飛行士の正体は、たかしくんの元カノで旅行代理店に勤める小春ちゃんだった。


「あ、みなさん、こんばんは」


 小春ちゃんが照れくさそうに言う。


「小春ちゃん、どうしてその格好してるの?」


 紹子が尋ねる。


「実はね、今度うちの旅行代理店で宇宙旅行のツアーを企画することになって。その宣伝のために、このコスチュームを着て街を歩いてるんです」


 小春ちゃんの説明に、みんなが納得したような表情を見せた。


「でも、昨日ここにいたのは覚えてるけど、あの忘れ物は……」


 かすみさんが言いかけたところで、小春ちゃんが急に思い出したように声を上げた。


「あっ! もしかして、青く光る卵みたいなやつ?」


「そう! それよ」


 かすみさんが頷く。


「ごめんなさい、それ私のなの。宣伝用のグッズで、光る卵型のストレスボールなんだ。昨日、酔っ払って忘れていっちゃったみたい」


 小春ちゃんの説明に、全員がほっとしたような表情を見せた。


「そうか、宇宙人の卵じゃなかったのか」


 高梨さんが少し残念そうに言う。


「でも、良かったね。謎が解けて」


 茨木ちゃんが笑顔で言った。


「そうだな。叔父貴の言うとおり、さっさと捨てちゃえばよかったのかもしれないけど、こうやってみんなで考えるのも楽しかったよ」


 よしおくんが言う。


「そうそう、たまにはこういうミステリーもいいもんだね」


 叔父貴も笑いながら言った。


 かすみさんは、ほっとした表情で小春ちゃんにグッズを返した。


「小春ちゃん、せっかく来たんだから一杯どう?」


 かすみさんが優しく尋ねる。


「ありがとう、でもこの格好じゃちょっと……」


 小春ちゃんが恥ずかしそうに言う。


「大丈夫よ、その格好のままでも。むしろ雰囲気出ていいじゃない」


 紹子が笑いながら言った。


 その言葉に、みんなが賛同の声を上げる。


「じゃあ、一杯だけ」


 小春ちゃんも笑顔になった。


 かすみさんは、小春ちゃんのために特別なカクテルを作り始めた。


「これは『ブルームーン』というカクテルよ。ブルーキュラソーとレモンジュース、ジンを使って、まるで月の光のような青い色に仕上げたの。今日は青づくしだわね(笑)」


 かすみさんが、美しい青いカクテルをグラスに注ぐ。


「わぁ、綺麗」


 小春ちゃんが目を輝かせる。


「さあ、みんなで乾杯しましょう」


 紹子が声をかける。


「今日の小さな冒険に乾杯!」


 六人が声を合わせて言った。


 グラスが触れ合う音と共に、店内に温かな空気が広がった。宇宙飛行士の格好をした小春ちゃんを囲んで、みんなの笑い声が響く。


 この夜、立ち呑み「半蔵」では、ちょっとした謎解きから始まった冒険が、いつもの仲間との楽しいひとときへと変わっていった。それは、日常の中にある小さな非日常を楽しむ、まさに「半蔵」らしい夜だった。

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