第15話 犯人
もしこの人が本当に皇帝なら、ちゃんとした部屋に連れて行くべきだろう。でも、どれが高貴な人にふさわしい部屋なのかわたしにはわからない。部屋の様子も置いてあるものも似たり寄ったりで、どこが一番いい部屋かわからないのだ。
(まぁ、まだこの人が皇帝陛下だってわかったわけじゃないし)
そんなふうに自分に言い聞かせながら使い慣れた台所に連れて行くことにした。さすがに土間は失礼だろうと思い、隣にある下女が休憩する板張りの部屋に通す。「お茶を出すべきかな」と思ったものの、不審者として捕まえた相手をもてなすのも変だと思ってやめることにした。
「どうして
「
椅子に座った男の眉が寄る。
「竜妃様の名前です」
「……あれに名前があったのか」
いまの言葉ではっきりした。この人は間違いなく
(ってことは、この人はやっぱり皇帝陛下ってことか)
宦官にしては服が豪華すぎる。実際にどのくらい高価なものかはわからないけれど、わたしが鳳凰宮で洗濯していた生地よりずっと高価だろうことはわかった。刺繍の入り方なんて朱妃様の服よりも細かい。
それでも怖いとは思わなかった。というより現実味がなさすぎて恐怖も驚きもない。
(皇帝陛下がどのくらい偉いかなんて、いまいちよくわからないし)
この国で一番偉い人だということは知っている。でも、わたしにとっては物語に出てくる神様くらい現実味がない存在だ。だから恐怖も驚きも感じなかった。
(よし、怖くなる前に全部聞いてしまおう)
それで
「どうして部屋を盗み見てたんですか?」
皇帝陛下だと思われる男がわたしを見た。何か言われるかと一瞬身構えたけれど、黒い目は睨むでもなく怒っているようにも見えない。
(三十二歳って聞いてたけど、年齢よりずっと若く見える)
わたしの父親は三歳年上の三十五歳だけれど目の前の男よりずっと年寄りだ。「やっぱりいいもの食べてると違うんだな」なんてことを思いながらじっと見つめ返す。
「なぜここにいる?」
一瞬何を言われたのかわからなかった。「はい?」と聞き返すと男がムッとした顔をした。
「侍女を入れる必要はないと言っておいたはずだ。それなのになぜここにいる?」
「応竜宮へ行けと言われたからですけど」
「まさか、その言葉を鵜呑みにしたのか?」
「下っ端下女だったわたしに逆らうことはできません」
「……だから細かいことにも気をつけろと言っておいたのに」
どうやら皇帝陛下……と思われるこの男がこの状況を作り出しているのは間違いないようだ。この男が
「どうして
男の目が少しだけ細くなる。睨んでいることはわかったけれど「いまさら怖がっていられるか」と言葉を続けた。
「どうして
「質問が多いな」
「調べてわからないことは知ってそうな人に聞くのが一番ですから」
「なるほど、一理ある」
そう言いながら男の顔が不快そうに歪んだ。それでもわたしは口を閉じようとは思わなかった。
思っていたより頭に血が上っていたのかもしれない。それとも初めて見る皇帝陛下に興奮しているのだろうか。そういえば段々と夢の中にいるようなふわふわした気分になってきた。
「話したところでおまえに理解できることではない」
「聞いてみないと理解できるかできないかなんてわかりませんよね」
「……言うな」
「今度は一理あるとは言わないんですね」
男が大きなため息をついた。呆れたのか諦めたのか前髪をやや乱暴にかき上げながら、また「はぁ」とため息を漏らす。
「いいだろう。これまでの様子を
足を組み、一つに結んだ長い黒髪をばさりと振る様子は身分の高い人には見えない。本当に皇帝陛下だろうかと見ていると「おまえは竜妃を竜の化身だと本当に思っているか?」と尋ねられた。一瞬戸惑ったものの、はっきり「はい」と答える。
「その根拠は」
「鱗の肌を持っています」
「そういう記録があったな」
「目が赤くなります」
「ほう」
「それから卵が好物で、一番好きなのは煮卵です」
「……煮卵」
男が微妙な顔をした。もしかして、これまでの竜妃様の中に煮卵好きはいなかったのだろうか。「
「やはりって、信じてなかったんですか?」
「記録どおり竜の間に突然現れたのだから竜の化身だということはわかっている。だからこそ近づかないようにしてきた」
「でも盗み見てましたよね?」
「おまえの存在が気になったからだ」
「わたしですか?」
「竜妃に仕えることができる者はまずいない。少なくとも百年前の竜妃はそうだった。それなのにおまえは何日経っても応竜宮に留まっている。しかも竜妃の食事を作っていると言うではないか。一体どういう侍女か宦官に尋ねても要領を得ない。それなら自分の目で確かめたほうが早いと思ったまでだ」
つまり
「それならわたしを呼び出せば済むことじゃないですか」
「竜妃に関わる者を呼ぶわけにはいかない。それで周りがお渡りの合図だと勘違いしたら困る」
意味がわからなかった。もしこの男が本当に皇帝陛下なら、ただの侍女でしかないわたしを呼び出すことなんて訳ないはずだ。それにお渡りだと思われたら困るなんて、それはわたしと
「よくわかりませんけど、わたしを見てたってことは
男がスッと視線を逸らした。否定しないということは見ていたということに違いない。
「
男は目を逸らしたままだ。その態度にムッとした。
「どこからどう見てもただの少女ですよね? それなのに食事を取ってはいけないと思い込んでました。おかげで体はガリガリの痩せっぽっちです。字も教わっていません。まともな服もありませんでした。あんな状態で食事も服も与えないなんて、それが正しいことだと思いますか?」
男の眉がグッと寄っている。きっとわたしの言葉を不快に思っているのだろう。それでもここでやめるわけにはいかなかった。そう思いながら「正しくないですよね?」と続けると、男の目がわたしをジロッと見た。
「あれが竜妃なのが悪いのだ。あれのせいで生まれたときから振り回され続けている」
男の重苦しい声が板張りの部屋に響いた。
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