第11話 隠された竜妃の記録

 虹淳コウシュン様のことを知っている人が一人増えた。しかも下っ端下女だったわたしよりもずっと頼りになる存在でもある。


(そう考えるとありがたいはずなんだけど、何となく釈然としないのは何でだろう)


「ともに竜妃様をお守りしましょう」と力強く宣言した弘徳こうとく様を思い出す。話は通じるし、三日後には新しい服も数着届いた。どうやら仕事も早いらしい。

 それでも微妙な気持ちになるのは、虹淳コウシュン様を見る情熱的すぎる目つきのせいだろうか。


(生きる目的とまで言い切るくらいだからな……)


 あふれ出す熱意のせいか、ちょっと危ない人に見える。


(ま、変な意味で熱心なわけじゃなさそうだし、虹淳コウシュン様のことをちゃんと考えてくれるならかまわないけどね)


 もし変な気でも起こしたら「少女趣味の変態!」とでも叫べばいい。頭でっかちな学者たちは案外そういう言葉に弱いから、元は学者だという弘徳こうとく様にも効果があるはず。それで駄目なら実力行使だ。


(と言っても、殴るか蹴るかくらいしかできないけど)


 念のために足腰でも鍛えておくか。

 そんなことを考えながら台所を掃除していると「阿繰あくり」と呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、いままさに思い出していた弘徳こうとく様が立っている。あまりの偶然に思わず「ひゃっ!?」と飛び上がってしまった。


「何ですか、その反応は」

「な、何でもありません。ちょっと驚いただけで」


 眼鏡の奥がじとっとした眼差しに変わる。うっかり変態呼ばわりしたことに冷や汗をかきながら「どうかしたんですか?」と無理やり笑いかけた。わたしの不審な様子に眉をひそめながらも「百年前のことが少しわかりましたので、一応知らせに来たのですよ」と話し始める。


「といっても、わずかな記述しか見つけられませんでしたが」


 その記録は後宮の書庫の一番奥、しかも後宮に収められた反物や装飾品を記録した書物の間に挟まっていたらしい。「敢えてそこに置いたのか、偶然紛れ込んだのかはわかりませんが」と話す弘徳こうとく様の表情が硬くなる。


阿繰あくりは百年ほど前に帝都を襲った大災害のことを知っていますか?」

「大災害……って、合轟ごうごうの竜巻のことですか?」


 わたしの質問に弘徳こうとく様がゆっくりと頷いた。


「百年ほど前に起きたとされる合轟ごうごうの竜巻では帝都の半分が破壊され、後宮も三分の一ほど消失したと言われています。その竜巻を起こしたのが、どうやら竜妃様だったようなのです」

「え……?」

「何かしらが逆鱗に触れ、怒り狂った竜妃様が帝都を破壊した……と明確に書かれていたわけではありませんが、そう解釈するのが妥当といった内容でした。あのとき発生した竜巻は大小合わせて五十ほどと記されています。当時の帝都はいまより大きかったですから、半分が吹き飛んだとすれば相当な範囲が被害にあったことになります」

「……竜妃様って、本当に竜になれたんですね」

「実際に竜の姿になったのかはわかりません。『竜妃の力により』と書かれているだけでしたからね。それでも実際に天候を操ることができたという証ではあります」


 不意に桃の絵を描く虹淳コウシュン様を思い出した。十八歳とは思えない幼い様子と子どものように熱心な眼差しを見ると、そんな恐ろしいことをするような存在には思えない。


(それに虹淳コウシュン様は元は蛇だったって言うし)


 蛇でも竜になれば竜の力が使えるようになるんだろうか。


「……本当に前の竜妃様が合轟ごうごうの竜巻を起こしたんですか?」

「学者としても高名な宦官による記述ですから、まるきり嘘ということはないでしょう。それにもし嘘なら書き残す意味がありません。ああやって隠すように置いてあったということは、残すべき内容だと誰かが考えたからでしょうからね」

「おおっぴらには残せないけど、残しておかないといけない内容ってことですか」


 わたしの言葉に弘徳こうとく様が「おそらくは」と答えた。


「しかし、そうなると一つ大きな疑問が出てきます。もし合轟ごうごうの竜巻が本当に竜妃様が起こした天変地異だったとして、なぜその原因が記録に残っていないかということです。残さなければ後の世で同じ過ちを犯してしまうかもしれません。そのことを百年前の宦官たちが考えないはずがない。それなのに詳細な記録はどこにも見当たりません」


 弘徳こうとく様が眼鏡を外し「ふぅ」とため息をついた。目頭を何度か揉むように押さえながら言葉を続ける。


「しかも再び竜妃様が地上に現れたというのに、誰もその存在を知らない。いえ、おそらく上層の一部は知っているのでしょう。そうでなければ隠し通せるはずがありませんからね。ということは、おそらく陛下もこのことをご存知のはず」


「となると、なかなか厳しい状況ではありますね」と言いながら眼鏡をかけ直した。

 弘徳こうとく様の話を聞いても学のないわたしにはよくわからない。ただ、虹淳コウシュン様は偉い人たちによっていないものとして扱われているのだということはわかった。そのくせ応竜宮に閉じ込めたままにしようとしている。


(いてほしくないなら閉じ込めたりしなければいいのに)


 何も知らされず、食事をすることさえ妨げられていた虹淳コウシュン様が不憫でならない。竜の化身ならどんな目に遭っても死んだりしないのかもしれないけれど、あまりにも酷い仕打ちだ。


「もしかして、前の竜妃様への罰をいまの虹淳コウシュン様が受けてる、なんてことはありませんか?」

「それはどうでしょう。そんなことをして逆鱗に触れれば今度こそ帝都は消滅してしまうかもしれません。そんなことは誰も望んでいないでしょうし、そう考えれば別の意図があると考えるのが妥当です」

「何か理由があって閉じ込めているってことですか?」

「おそらくは。引き続き調べてみますが、もしかすると竜妃様の記録は禁書扱いになっているのかもしれません。あの書庫に入るには陛下のお許しが必要ですから、これ以上はわからないかもしれませんが……」

「そこまでして隠したいことがあるってことなんですね」


 弘徳こうとく様がこくりと頷いた。


(これはそこそこ大変なことに巻き込まれたかもしれないなぁ)


 下っ端下女だったわたしには想像もつかない世界の話になってきた。だからといって、いまさら虹淳コウシュン様を放り出すのも嫌だ。


「この先も竜妃様のことは伏せておいたほうがよいでしょうね」

「わかりました。といってもわたしにできることはないような気もしますけど、いろいろ気をつけるようにします」


 そう返事をしたわたしを、なぜか弘徳こうとく様がじっと見下ろしてきた。


「何ですか?」

「あなたはどうしてそこまでして竜妃様に仕えるのです?」

「どうしてって……」


 そんなことを聞かれてもわからない。ただ、いまここで虹淳コウシュン様を放り出すのが嫌なだけだ。それではわたしを捨てた姉と同じになってしまう。


「昔、近所の子どもたちの世話を焼いていたんです。虹淳コウシュン様を見てるとあの子たちのことを思い出すからかもしれません」

「子どもですか」

「あ、竜妃様を子ども呼ばわりするのは不敬ですね。すみません、聞かなかったことにしてください」


 とってつけたような言葉に弘徳こうとく様が小さく笑った。


「いえ、そういうあなただから竜妃様もそばに置いているのかもしれませんね」

「それはちが……ええと、そうだったらいいんですけど」


 まさか「単に蛇を怖がらないからだと思いますけど」とは言えない。それでは余計におかしな奴だと思われそうだ。


(そういえば「食べて」の意味もわからないままだな)


 それに皇帝陛下が竜を殺すという物騒な言葉の意味もわからない。そのあたりも調べてもらったほうがいいだろうかと口を開きかけたところで、やっぱりやめることにした。


弘徳こうとく様を信じてないわけじゃないけど、あまり言わないほうがよさそうな内容だし)


 それにいますぐ調べないといけないことでもない。調べる前に虹淳コウシュン様が教えてくれる……ことはないような気もするけれど、やっぱり口にすることはできなかった。


「そういえば、あなたは竜妃様のことをその、名前で呼ぶんですね」

「はい?」

「いつも竜妃様ではなく名前で呼んでいるじゃないですか」

「あぁ、はい。教えてもらいましたので」

「……羨ましい」


 顔を背けながらぼそっとつぶやかれた言葉に口元がひくっと引きつった。


(悪い人じゃないけど、やっぱり変な人のような気がする)


 さすが竜妃様のことを調べるために宦官にまでなった人だ。わたしが男だったら書物を読むためにアレを捨てるなんて選択はしない。


(まぁ、それだけ竜妃様を思っている人なら大丈夫か)


 きっとこれからも心強い味方でいてくれるだろう。そう思いながら夕餉に出そうと思っていたゆで卵を作るべく湯を沸かすことにした。

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