第18話 皇帝の気持ち
男の苦々しい表情がさらに歪んだ。心底不快だという顔で睨むようにわたしを見ている。
「誰がそんなことを願うか。百年前の厄災を自らの手で起こしたいと思う皇帝がいるはずないだろう」
「でも、子どもを作らないと駄目なんですよね? どのくらい駄目なのかわたしにはわかりませんけど、次の百年を待つわけにはいかないってことですよね?」
「……理解していない割には的確なことを言うな」
やっぱり。もしかして百年前のようなことを起こさないために
(それに
そうして何もわからないまま出産までいってしまいそうな気がする。
そこまで想像して気分が悪くなった。思わず男を睨みつけると「その気はないと言っているだろう」と睨み返された。
「竜妃を妃にしたいと思ったことなど一度もない。そう思っていたのに十年前、突如幼い姿の竜妃が現れた。百年前のことを何も知らない周囲の者たちは大いに喜び、『これで竜の血を引く新たな皇帝が誕生する』と騒ぎ立てた。竜妃が成長したあかつきには子を作るのだと誰もが口にした」
男が苦々しい表情のまま宙を睨む。
「子のことばかり口にする周囲にどれほどうんざりし、そんな状況をどれだけ恨んだことか。そうした思いがにじみ出ていたのだろう。次第に誰も竜妃のことを口にしなくなった。皆が皇帝の様子を窺い、気持ちを汲み、忖度し始めた。その結果がいまというわけだ」
「だからみんなして
「皇帝の考えや気持ちを慮るのも側近や宦官たちの仕事だからな」
宙を睨んでいた顔に嫌な笑みが浮かぶ。まるで何かを蔑むような顔は自分自身を嘲笑っているかのように見えた。
「皇帝に竜妃との間に子を作る意志はない。周囲は何が何でも子を作らせたいのだろうが、そんなことをすれば百年前と同じことが起きる。そうなれば帝都はさらに小さく、いや、復興さえ叶わなくなるだろう。あの厄災はそれほど凄まじいものだったのだ。だが、記録のほとんどが禁書にされているせいで詳細な事実を知る者はほぼいない。……そのことはわかっている」
話しながら口元がまた歪む。
「それでも周囲を恨まずにはいられなかった。呪わずにはいられなかったのだ。帝都を、国を滅ぼす存在になれと言われているようで腹も立った。この国の皇帝だというのに、竜の血を引く子を為すために国を滅ぼせというのか? 冗談じゃない」
右手で顔を覆いながら男が「はは」と力なく笑う。
「流れてもいない百年前の竜の血を感じろと言われても感じられるはずがない。そもそも百年前に竜妃は子を生んでいないのだからな。それなのに竜の血を継ぐ皇帝、竜の化身を妃に迎えた皇帝、竜に愛されし皇帝、竜の皇帝、竜、竜、竜ばかりだ。そんな中で竜の化身に好意を抱けるはずがないだろう」
声を荒げているわけでもないのに耳がビリビリした。あれだけ腹が立っていた相手なのに、違う意味で胸に苦いものが広がっていく。
(皇帝陛下ってのも大変なんだな)
皇帝陛下は神と竜の血を引く強いお方だと誰もが話していた。帝都だけじゃなく、この国に生きる人は誰もがそう思っているはずだ。わたしも皇帝陛下はてっきりそういう強い人なんだろうと思っていた。
ところが目の前で力なく笑う男はそんな強い男には見えなかった。わたしの周りにいくらでもいた普通の人にしか見えない。
「大変そうですね」
「……これだけ聞いておきながら、そんなひと言で済ますのか」
「すみません。わたしにはよくわからない世界すぎて、うまく言えませんでした」
「おもしろい奴だな」
手を退けた男は呆れたような笑みを浮かべながらわたしを見た。その顔はやっぱり神と竜の血を引く強い皇帝陛下には見えない。見えないけれど、この男はたしかにこの国の皇帝陛下なのだろう。
「ところで、そんな大事な話をわたしなんかにしてよかったんですか?」
「さぁて、どうだろうな。……いや、本当は誰かに話したかったのかもしれない。周囲の煩わしい声を聞くたびに胸の内を叫んでしまいたいと何度思ったことか」
「やっぱり大変そうですね」
わたしの言葉に、力のない笑みを浮かべていた目がスッと細くなった。そうしてギロッと睨むような鋭い眼差しに変わる。
「おまえ、最初からわたしが皇帝だと知っていたな?」
一瞬首をすくめたものの、いまさらどう言い繕ってもしょうがない。最初からわかっていて罠を仕掛けたのも本当のことだ。それなのに、なぜか目の前の男……もとい、皇帝陛下を恐ろしいとは思わなかった。わたしがよく知る普通の人のように見えたからだろうか。
(てっきりもっとすごい人なんだと思ってたけど、そんなことなさそうだし)
不敬にもそう思い、そう考えると怖いという気持ちもわき上がらない。
「あー……まぁ、そうですね」
「知っていて縄を張っていたということか」
「ええと、そこは何と言うか……あはは」
思わず笑ったわたしに皇帝陛下が渋い顔をした。「やっぱりまずかったかな」と密かに冷や汗をかいていると、渋い顔にフッと笑みが浮かぶ。
「なるほど、さすがは竜妃の侍女を務めるだけのことはある」
「どういう意味でしょうか」
「これまで何人かが竜妃に接触したという報告は受けていた。竜妃の存在を偶然知り、あわよくば自分のために使えないかと考えたのだろう。しかし接触した者は全員すぐに後宮を去った。逃げ出したくなるような目にでも遭ったのだろうな」
もしかして蛇と話をしているところを見たのかもしれない。それとも赤い目を見てしまったのだろうか。
「百年前の竜妃にも仕える侍女がいなかったと聞いている。ところがおまえは何日経っても応竜宮に居続けた。そのうえ宦官まで手懐けていると聞いた。だから直接見に来たのだが、なるほどな」
これは褒められているんだろうか。よくわからず曖昧な表情でいると「
「
わたしの声に気づいた
「おまえが応竜宮に出入りする宦官か」
いつの間に立ち上がったのか、皇帝陛下がわたしの隣に立っていた。
「こ、皇帝陛下に、は、拝礼申し上ぐ、上げますこと、ぼぼ、望外のよろ、喜びにて」
「よい」
そう告げた皇帝陛下の声が微妙に笑っているような気がする。わたしも噛みまくる
「おまえたちが竜妃に仕えていることはわかった」
「え……?」
「今後もよく仕えるように」
「……本気ですか?」
「
ついさっきまでと同じ口調で問いかけたわたしに
「おまえなら平気だろう。それに竜妃との閨を勧めてくることもなさそうだしな。よくよく思い出せばアレな侍女だと噂されているようだから、呼び出しだとしても問題ないだろう」
「……最悪です」
思わずつぶやいた言葉に、またニヤリと悪そうな笑みを浮かべる。
「おまえもよく仕えよ」
「へ、陛下……!」
皇帝陛下の言葉に
「なんとありがたい……ありがたきお言葉でございます……!」
(取りあえずお咎めがなかったのはよかったと思うことにしよう)
そう思いながら土間を歩く皇帝陛下の豪華な背中を見る。すると視線を感じたのか、くるりと振り返り「竜妃に伝えよ」とわたしを見た。
「余は今後も竜妃に近づくつもりはない。安心しろと伝えよ」
「……ありがとうございます」
自然とそんな言葉が出てきた。頭を下げるわたしに「おまえはいい侍女だな」という声が聞こえてくる。
(皇帝陛下って、案外いい人なのかもしれない)
去って行く背中を見ながらそんなことを思った。同時に皇帝陛下に会いたくないとそっぽを向いた
(皇帝陛下はきっと
胸に燻っていた苦いものが少しだけ晴れたような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます