第5話 竜妃様の正体1
竜妃様から衝撃的なことを聞かされたわたしは、きっと混乱していたに違いない。「取りあえず夕餉を食べてください」と言って膳を勧め、「あとで片付けに来ます」と言い残して部屋を出た。それから台所に戻って自分の分を食べたところまでは覚えている。
ところがその後の記憶がない。目が覚めたのは自分の部屋にしようと思っていた部屋の寝台で、そのとき初めて「あ、わたし寝てたんだ」ということに気がついた。少しぼんやりしたまま身だしなみを整え、取りあえず台所に向かう。
(竜妃様の食器も洗ってあるってことは、膳を下げに行ったってことなんだろうけど)
台所を見てそう思っただけで何も覚えていなかった。出入り口から外に出て、ゴミを入れる桶を覗き込むと蒸した鶏肉や貝なんかが捨ててある。量から「竜妃様は食べなかったんだな」ということがわかった。
台所に戻ると棚に今日一日分の食材が置いてあった。朝食を作ろうと思っていたけれど、先にやることがある。土間に置いてあった椅子にどかりと座ったわたしは昨日のことを一つずつ思い返した。
(竜妃様は竜の化身、
それなら天に住まう神・
(……それはないな)
さすがにそう思った。もし皇帝陛下が神なら人の世はもっと幸せに満ちているはずだ。飢えに苦しむことも病に怯えることもないに違いない。
でも現実は違う。帝都であっても裏道に入れば飢えと病に苦しむ人たちが大勢いる。そういう世だから人々は神に救いを求め、皇帝陛下でさえ力を求めて竜の化身を妃にするのだ。そして竜妃様が子を生み、その子が次の皇帝陛下になる。そうすれば神と竜の血を引く最強の皇帝陛下が誕生し、世は平らかになると言われていた。
(そして皇帝陛下にますます権力が集中する、と)
そんな構図くらい少し後宮にいればわたしでもわかる。現にいまの皇帝陛下も神と竜の血を引いていると言われていて、だから強い力を持っていると誰もが思っていた。
(……そっか、そう思わせることができれば竜妃様は誰でもいいってことか)
権力を維持するために必要な妃なら、竜妃様は「竜の化身」であればいいだけだ。本物の竜かどうかなんて関係ない。きっとあの竜妃様は鱗っぽい肌を持っているから竜の化身に選ばれただけで、余計な知識を与えたくないから字を教えなかったのだろう。
食事を与えない理由はわからないけれど、子を為せば役目は終わりということだ。そうでなければ、あんな状態にしてまで後宮に留めておくはずがない。そして、そういうことを考えるのは大抵身分の高い男たちで、彼らが一番に思っているのは自分たちのことばかりだ。
(やっぱり男ってのはろくでもない)
そんな男に縋ることでしか生きられない女もどうしようもない。五歳上の姉のことを思い出し、「男に頼るなんてろくなもんじゃないな」と改めて思った。
姉は昔から男に媚びて生きようと考える人だった。それが一番楽ができる生き方だと信じて疑わない人だった。
最初は金貸しの息子に言い寄って捨てられた。次は役人に近づいたものの、もてあそばれるだけで終わった。その後も商人や武官、しまいには貴族の屋敷で働く下男に近づいてご隠居に気に入られようとまでした。
(六人目の男に捨てられたところまでは知ってるけど、その後どうなったのやら)
二年前、わたしが人買いに買われる直前は花街の片隅にいた。そこで金持ちを捕まえようとしていたみたいだけれど、後宮に来た後どうなったのかは知らない。
(姉さんからはいろいろ学ばせてもらったけど、こういうのを反面教師って言うんだろうな)
男に縋る生き方をしていた姉を見て、つくづく思ったことがある。男に媚びを売る人生なんてまっぴらご免だ。媚びたところで大事にされることはなく、貧乏から抜け出すことも金持ちになることも絶対にない。
(それどころかいいように使われて捨てられるだけだし)
そんな目に遭うくらいなら自分で働いて銭を稼いだほうがいい。稼いだ銭を男に取られることもなく、親に奪われることもない人生のほうがよほど安心できる。
そうなるためにはどうすればいいかずっと考えてきた。考えた結果、後宮勤めが一番だとひらめいた。だから人買いに後宮の下女として売ってくれと自分から頼んだ。
それが十四歳のときに自分で選んだわたしの人生だ。後宮なら一生雇ってもらえるから衣食住に困ることはない。後宮には皇帝陛下以外の男は入れないし、宦官は男じゃないから見初められる心配もない。
(そう思ってたんだけどなぁ)
まさか下っ端下女のわたしが竜妃様の侍女になるとは思わなかった。しかも、どう考えても訳ありな妃だ。字が読めないことや自分を竜だと言うこと以外にも何かありそうな気がしてならない。
(……やっぱりちゃんと確かめておくか)
本当に竜なのか確かめておこう。もしかしたら昨日のあれは竜妃様の悪戯だったのかもしれない。そういう人だから侍女や下女が長続きしなかった可能性もある。
(うん、確かめておいたほうがいい)
わたしには後宮以外に行くところがない。ということは、このまま一生竜妃様に仕えることになるかもしれないということだ。自分の行く末のためにも竜妃様のことを知っておいたほうがいい。
椅子から立ち上がったわたしは「よし」と気合いを入れて竜妃様の部屋に向かった。「まずは鱗のことを確認して、ついでにどのくらい痩せているのかも見ておくか」なんて考えながら扉の前で「竜妃様」と声をかける。
(やっぱり返事はないか)
そもそも返事をするという習慣がないのかもしれない。そう思うと胸に苦いものが広がる。
(妹がいたらこんな感じだったのかもな)
たどたどしい話し方や痩せた体から、居もしないかわいそうな妹という存在を想像してしまった。そのせいか「わたしが何とかしなければ」と妙な気概までわき上がってくる。
「入りますね」
返事を待っていてもしょうがないと思い、扉を開けて中に入った。窓が全部閉まっているからか部屋の中は薄暗い。「おはようございます」と声をかけながら窓を二カ所開けて寝台のほうを見る。
「……何やってるんですか?」
寝台のそばに竜妃様がしゃがみ込んでいた。何かを熱心に見ているようで声をかけても反応がない。
「竜妃様……って、蛇じゃないですか」
背後から覗き込むと竜妃様の少し先に蛇がいた。よく見れば鳳凰宮の台所に現れたのと同じ模様の蛇で、あの蛇よりずっと大きく丸々と太っている。
「竜妃様、近づかないでください。毒は持ってませんけど噛まれたら痛いですよ」
横目で籠のようなものがないか探すが見当たらない。捕まえるより先に竜妃様を遠ざけるべきかと思い「離れてください」と声をかけた。
「大丈夫」
「竜妃様?」
「噛まないから」
「はい?」
「ちょっと話してただけ」
「……はい?」
動きを止めたわたしの前で、竜妃様が「じゃあね」と手を振った。すると言葉を理解しているかのように蛇の頭が小さく頷き、しゅるしゅると床を張って開きっぱなしだった扉から出て行く。
「ね?」
振り返った竜妃様が小さく首を傾けた。昨日のことも意味がわからなかったけれど、いまのもまったく理解できない。わからないことばかりが続くからか「竜妃様は蛇と話せるんですか?」なんてことを口走っていた。
「わたしも蛇だったから」
「……はぁ?」
いやいや、昨日は竜だって言ったでしょうが。思わず口にしかけた言葉を呑み込みながら竜妃様を見つめた。
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