第6話 竜妃様の正体2
「ええと、竜妃様は竜なんですよね?」
尋ねるとこくりと頷く。
「ということは、竜の前は蛇だったってことですか?」
またこくりと頷いた。
(……意味がわからない)
そういえば滝を上った鯉が竜になる、なんて話をどこかで聞いたことがある。もしかして蛇も滝を上って竜になったりするんだろうか。
(いやいやいや)
そもそも目の前でしゃがんでいるのは自分と年も背丈もほとんど変わらない少女だ。竜でも蛇でもない。
(取りあえず一旦落ち着こう)
大きく息を吸って「はぁぁ」と吐き出した。もう一度深呼吸をしたところで竜妃様がじっと見上げていることに気がつく。
「どうかしましたか?」
「……逃げないの?」
「はい?」
「ほかの人、みんな逃げた」
「……もしかして、前にも蛇と話しているところを見られたんですか?」
またこくりと頭が動いた。
(なるほど、それでみんな辞めたのか)
鳳凰宮の台所での出来事を見た限り、後宮で働く下女や侍女たちは蛇が苦手なんだろう。いや、街に住む人たちも大抵はそうだった。だから父親の蛇退治なんて仕事が成り立っていたのだ。
そんな後宮で「蛇と話をしていた」なんて言えば驚かれるに決まっている。それどころか気味悪がられ、迷信深い侍女からは「悪いものに憑かれている」なんて恐ろしがられたに違いない。その結果が侍女も下女もいないこの状況というわけだ。
「逃げないの?」
じっと見上げている黒目を見つめ返しながら「逃げませんよ」と答えた。
「小さい頃から蛇は見慣れていますからね。父親が仕事で取ってきた蛇を食べるなんてこともしょっちゅうでした。さすがに毒蛇は嫌ですけど、さっきの蛇は何十回と食べてきた種類なんで怖いどころかおいしそうに見えました」
「……おいしそう」
そうつぶやいた竜妃様が「ふふっ」と笑った。初めて笑った顔を見たけれど……思っていたより可愛い。
(いや、よく見たらなかなかの美少女じゃ……?)
話し方のせいで幼く見えるけれど、よく見たら美少女と言ってもいい顔立ちをしている。これで適齢期ならすぐにでも皇帝陛下のお渡りがありそうだ。
(さすがに皇帝陛下が少女趣味なんてことはないだろうから、お渡りはまだないだろうけど)
そんなことを思ったからか、急に竜妃様の年齢が気になった。見た目はこんなふうだけれど、もしそれなりの年齢だったら本当にお渡りがあるかもしれない。そうなると困るのは世話をしなければいけないわたしのほうだ。
「つかぬことを聞きますけど、竜妃様はいくつですか?」
「……いくつ?」
「年齢です」
「……十八?」
「は!?」
「竜になって、十八年」
最後の言葉は無視するとして、まさか十八歳だったとは……。十六歳のわたしより二歳も年上だ。
(それじゃあ、お渡りの可能性もあるってことじゃないの)
そう思うと目眩がしてきた。
いま後宮には四人の妃がいる。目の前の竜妃様は別として、鳳凰宮の朱妃様は当然陛下のお渡りを受けていた。
(ってことは、竜妃様にも限りなくその可能性があるってことだよね?)
もし皇帝陛下のお渡りがあるとしたら、準備はわたし一人ですることになる。そんな準備を下っ端下女だったわたしにできるはずがない。
(……でも、このままお渡りがない可能性もなくはないか)
下女も侍女もいない状態で放置するくらいだから、皇帝陛下にその気はないという可能性もある。文字どおり竜の化身を手元に置いているだけかもしれない。だから宦官すら気にかけることがなく、下女も侍女も「後宮の墓場」なんて噂して寄りつかないのだ。
「……よし、それならいける」
「いける?」
「あぁいえ、こちらの話です。それでですね、ちょっと確認しておきますけど、竜妃様は皇帝陛下のお渡りを受けたいですか?」
「……おわたり?」
「あー、ええとですね」
そうだ、この少女は妃なのに何の教育も受けていないのだ。「お渡り」なんて言葉を知っているはずがない。それ以前に男女の交わりさえ知らないような気がする。
「いろいろ省略しますけど、皇帝陛下に会いたいと思ってますか?」
「……こうていへいか」
「まさか皇帝陛下を知らない……なんてことは、さすがにないですよね」
「皇帝は、えらい人。……そして、竜を殺す人」
「は?」
何やら物騒な言葉が飛び出した。どういうことか聞こうとしゃがみ込むと「会いたくない」と顔を逸らされてしまう。
物騒な言葉の意味を知りたいと思ったものの、竜妃様の表情を見る限り聞かないほうがいい気がした。それにはっきり意思表示を見せたのは初めてだ。きっと本心なのだろうし、本人が会いたくないのならそれだけで十分だ。
(わたしは竜妃様に仕える侍女なんだし、主が会いたくないと言ってるなら無理に会わせる必要はないはず)
それなら問題ない。わたしは今後も衣食住と仕事を失わなくて済む。
「竜妃様、皇帝陛下に会いたくないのなら無理に会わなくていいと思います。会わなくて済むようにわたしも協力します」
「……会わなくていい?」
「はい」
「……会わないと駄目って、言われた」
「大丈夫です。それにこれまでお渡りがなかったということは、これからもきっとありません」
「……よかった」
こっちを向いた顔がまたふわりと笑った。さっきよりも間近で見る美少女の笑顔は破壊力がある。思わず「か、可愛い」と胸を押さえたところで竜妃様が「蛇」とつぶやいた。
「蛇? さっきの蛇ですか?」
「蛇、おいしい?」
「……あ」
うっかり蛇を食べていたと白状してしまったことを思い出した。しかも竜妃様がしゃべっていた蛇を食べたことがある、と言った気がする。
(もしかして気分を悪くしたとか……)
顔色を窺ったものの表情に変化はない。眉をひそめるでもなく目をつり上げるでもなく、ただじっとこちらを見つめている。
「蛇、おいしい?」
「あー……ええと、わたしの家はとても貧乏でして、それで蛇を食べていたというだけで」
「おいしい?」
「……おいしかったです。蒸すとほろほろとした食感で、ちょっと塩を振りかけて食べるとおいしいです」
純粋な眼差しには勝てず、ついポロッと感想を言ってしまった。それを聞いても竜妃様の表情は変わらない。
「そう」
「もしかして気を悪くしましたか? その、さっき話していた蛇が友達とかだったなら、さすがに嫌かなと思って」
竜妃様がふるふると頭を横に振る。そうしてわたしの顔を覗き込むようにグッと体を近づけてきた。
「助けたり食べたり、おもしろいね」
「助けたり……って、鳳凰宮の蛇のことですか?」
小振りな頭がこくりと頷いた。その話は竜妃様にはしていない。ということは、さっきの蛇から聞いたということだろうか。「まさかな」と思っていると、竜妃様が「食べてくれる?」と口にした。
「え?」
「おいしいなら、食べてくれるかなと思って」
「……はい?」
「いまは竜だけど、前は蛇だから、きっとおいしい」
「ちょっと待ってください。それってわたしが竜妃様を食べるってことですか?」
しっかりと頭が縦に動く。
「いやいや、さすがにそれはどうかと」
「おいしく食べてくれる人が、いい」
冗談だと思って笑い飛ばそうとした。でも、できなかった。じっと見つめてくる黒目が吸い込まれそうなくらい純粋で本気に見えたからだ。
「食べて」
「……それはちょっと、考えさせてください」
「うん」
頷く竜妃様を見ながら「逃げ出した侍女たちの気持ちが少しわかったかも」と思わず天井を見上げてしまった。
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