第7話 竜の化身に仕える
竜妃様の不穏な言動を追いやるように、ひとまず朝餉を食べることにした。相変わらず「いらない」と言う竜妃様には桃を切ったものを用意し、自分用には食材の中にあった肉饅頭を潰して湯をかけたものを準備する。
(やっぱり見張っておいたほうがいいよね)
膳を持っていっただけでは昨日のように食べないに違いない。それならそばにいて食べるように促したほうがいい気がする。主と侍女が一緒に食事をするのはあり得ないと知ってはいるけれど、それを注意するほかの侍女はいない。
(それに、あの竜妃様なら不敬だとか言い出したりしないだろうし)
目の前で食事をするわたしを見れば食べてくれるかも、という淡い期待を抱きながら膳を運んだ。そして「食べてください」と竜妃様の前に桃が載った器を置き、わたしは肉饅頭で作った粥もどきをかき込む。
(やっぱり食べないか)
それどころか桃を見ることすらない。わたしがかき込む姿をぱちくりとした黒目で見つめているだけだ。
粥もどきを食べ終わったわたしは、食べてもらうためには多少強引なほうがいいかもしれないと考えた。おっとりした雰囲気にああいった話し方だからわかりにくいけれど、竜妃様はおそらく頑固者だ。そういう相手には多少なりと強引に出たほうがいい。
「さぁ、竜妃様も食べましょうか」
竜妃様の隣に座り、手に取った匙に切った桃の果肉を載せる。そうして「桃、おいしですよ?」と言いながら匙を口元に運んだ。
「……いらない」
やっぱり。しかも顔まで背けている。
(よっぽど強く言われたんだろうな)
そうでなければ桃のいい香りがしているのに食べないはずがない。何か言ったに違いない過去の侍女にムカッとしながら、同時に「わたしが何とかしなくては」と思った。
(それに竜妃様にもし何かあったら、わたしの衣食住がなくなるわけだし)
だからこれは仕事のうちだ。そう言い訳しながらも近所に住んでいた子どもたちの顔がよぎる。
(竜妃様を見てると、どうしてか昔のことを思い出すんだよなぁ)
後宮に来てからは思い出さないようにしてきたのに、近所の子どもたちのことがいろいろ蘇った。きっと竜妃様の幼い雰囲気や奇妙な様子のせいに違いない。
(そのせいで、わたしが何とかしてやらなきゃって思っちゃうんだよね)
姉はわたしの面倒すら見なかった。その反動からか、妹や弟のような近所の子どもたちのことが気になってしょうがなかった。おかげで世話を焼きまくり、一緒に蛇の肉を食べたことだって何度もある。
『食べて』
不意に竜妃様の言葉を思い出した。とくに切羽詰まった表情や声色だったわけでもないのに、思い出すとなぜか背中がぞわっとする。慌ててその言葉を消し去りながら「おいしいですよ」と匙をさらに口に近づけた。
「これは桃です。天に住む女神様も食べるという果物です」
「……めがみさま」
「この蟠桃は女神様が育てている桃と言われているそうです。だから竜の化身である竜妃様が食べてもおかしくありません」
昔どこかで聞いた話に後宮で耳にした話をまぜこぜにしながら、とにかく一口でもいいから食べてほしいと匙を口に近づける。すると、竜妃様の唇がそうっと開いた。
(よし!)
すぐさま狙いを定め、匙の先を口に入れてから果肉をするっと滑らせた。随分熟れた果肉だったから、そのまま飲み込んでも問題ないはずだ。
そう思いながらじぃっと口元を見ていると、かすかにモグモグと動いているのがわかった。視線を上げれば黒目をハッとしたように見開いている。
「どうですか?」
「……おいしい」
「ですよね! それなら全部食べてしまいましょう!」
こくりと頷くのを確認し、まるで親鳥のようにせっせと果肉を口元に運んだ。よほど気に入ったのか、最後は自分で皿を手に取り残っていた果汁まで飲み干している。
(こういうのは行儀作法がなってないって言われるんだろうけど、まぁいいか)
行儀作法より食べることのほうが大事だ。それにここにはわたししかいないのだし、わたしに高貴な人たちの行儀作法はわからない。だからこれでいいのだと思うことにした。
昼餉には桃と葡萄を用意した。よほど桃がおいしかったのか、「これも桃と同じ果物ですよ」と葡萄を差し出すと自ら手にとって全部平らげた。それを見たわたしは「果物ならいけるかも」ということに気がついた。
夕餉の前に宦官の詰め所に行って翌日からの食材を変えてもらうことにした。調理が必要な食材を減らしてもらい、代わりに果物を多めに揃えてもらう。理由が必要かと思って「竜妃様は果物がお好きなようなので」と告げると、宦官がまたもや変な顔をした。
(そんなに驚かなくてもいいのに)
それとも竜妃様が食事をすること自体が気になるんだろうか。
(そう思うくらい竜妃様に食事を出してなかったってことか)
もしかしたら長い間まともな食事にありつけていなかったのかもしれない。そのうえ、そのことを誰も変だと思っていない。それとも「竜の化身はこんなものだ」とでも思っているんだろうか。
(だからって、何も食べないでいいはずない)
桃を食べる姿を見て、食べることを知らないだけなんじゃないかと思った。不思議そうな顔で葡萄を摘むのを見て、ますますそう確信した。
夕餉には桃と柿を出した。どちらもわたしが促す前に竜妃様自ら手にとって平らげた。おいしそうに食べる姿を見て「きっと食べる楽しみも知らなかったんだ」と思うと胸に苦いものが広がる。
翌日からは一度に出す量を増やすことにした。確実に食べる桃を中心に、それ以外の果物を一つ二つ追加する。段々と食べる量が増えてきたところで果物以外も出してみようかと考えたりもした。
果物だけの食事を出すようになって五日間が過ぎた。毎日綺麗に平らげるのを見て「そろそろ粥でも出してみるかな」と思いながら竜妃様の部屋に入る。
(今日中に竜妃様の部屋を片付けてしまいたいんだけど……やっぱり寝てたか)
寝台を見ると、予想どおり竜妃様がぐっすりと眠っている。昼餉が済んでしばらくすると、どうやら眠くなってしまうらしい。
竜妃様はこうして昼寝をするのが日課のようで、この姿を見るのはこれで四度目だ。そして、わたしが部屋に入っても物音を立てても目を覚まさない。だから寝ているそばでも気にせず片付けに取りかかる。
(まずは服をどうにかしないとなぁ)
竜妃様の衣装箱は中くらいのものが一つしかない。しかも中に仕舞ってあるのは子どもが着るような大きさのものばかりだ。ほかの服が小さいからいつも同じ濃紺色の服を着ているのだろう。肩掛けもよく見ると赤ん坊の体を包む布のように見える。
しかも衣装箱に収められていた服は全部古臭い形のものばかりだった。随分前に準備されたものらしく、下の方に入っていた服には少しだけ虫食いの跡がある。そうなるくらい服のことを気に留める人がいなかったということだ。
(背丈は同じくらいだし、わたしの体にあわせて用意してもらえばいいか)
苦々しい気分になりながらそんなことを考えた。本当はお針子たちに採寸してもらうのがいいんだろうけれど、竜妃様がどんな反応をするかわからない。そもそも「後宮の墓場」と言われるような応竜宮に来てくれる人はいないような気がする。食材を運ぶ宦官でさえ嫌な顔をするくらいだ。
(竜の化身とか言ってる割には、なんでそんな態度なんだろう)
下っ端下女を二年勤めたくらいでは、各宮の詳しい内情なんてものまではわからない。でも、きっと何かがある。そのせいで竜妃様はこんな状態で暮らすことになったんだろう。そのあたりも追い追い調べるとして、まずは服をどうにかするのが先だ。
「そういえば湯はどうしてたんだろう」
ふと漏れたわたしの声に竜妃様が寝返りを打った。起きていないことを確認しつつ、そっと忍びより長い黒髪を手に取る。匂いはしないけれど少しべたついているように感じるのは気のせいだろうか。
(いや、気のせいじゃないな)
食事を用意しない侍女が湯浴みだけ手伝うなんて考えられない。皇帝陛下のお渡りがないのなら、なおさらだ。もしかしなくても湯浴みという行為自体知らないかもしれない。
(……沸かすか)
今日の大仕事は竜妃様の湯浴みだ。そう決めたわたしは湯殿を覗き、使えることを確認してから大量の湯を沸かすことにした。
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