第9話 来訪者
竜妃様を
「あなたが応竜宮に勤める
「はい」
背の高い宦官だから見下ろされるのはしょうがない。それでも、まるで何かを探るようにジロジロ見られるのは気分がよくなかった。思わずつっけんどんに「何かご用でしょうか」と尋ねると「竜妃様の衣服について尋ねたいことがあります」と返された。
「新しいものを数着作りたいとのことですが」
「はい」
「それなのに採寸はしないそうですね」
「必要ならわたしが代わりに行きます。わたしと竜妃様は背丈がほとんど一緒ですから」
「しかし、それでは好みの生地や形はわからないでしょう?」
「そんなの気にしな……ええと、前もって確認しておきます」
(まぁ、少しは意思疎通ができるようになった気はするけどね)
名前を呼べば反応してくれるようになった。何か尋ねれば、意味がわからないときもあるけれど答えてはくれる。食事も勧めるだけ食べてくれるし、嫌なことは顔を背けるようにもなった。
それでも
「竜妃様は妃のなかでもとくに大事な方です。それなのに侍女のあなたがあれこれ決めるのはいかがなものかと思いますが」
済ました宦官の顔と話の内容にカチンときた。侍女どころか下女もいない状況でどの口が言っているのだ。
「大事とおっしゃる割には下女すらいませんけど」
わたしの言葉に宦官の目がすっと細くなる。
(……しまった。余計なこと言ってしまった気がする)
いくら応竜宮の侍女になったとはいえ、もとはただの下っ端下女だ。そんなわたしが宦官相手にこんな口を利いていいはずがない。「後先考えないのは直らないままだな」と自分に呆れながら、そっと宦官の様子を伺う。すると小さく「はぁ」とため息をついてからわたしを見た。
「それは竜妃様が本当にはいらっしゃらないからですよ」
眼鏡をクイッと上げながらそう言い切った宦官に、思わず「は?」と聞き返してしまった。
「そんなわけないじゃないですか。竜妃様は応竜宮にちゃんといますけど」
「そのような記録はありません。いま応竜宮にいらっしゃるのは身代わりの宝珠のはずです」
ほうじゅという言葉に「またか」と眉が寄った。
「……どういうことですか?」
「ここ百年ほどは宝珠が竜妃様の代わりを務めていると記録にあります。実際、その間に竜妃様の食事や衣服のことが問題になったことはありませんし、侍女がいたという記録もありません」
「そんなはずありません。わたしは二年と少ししか後宮にいませんけど、応竜宮にいた侍女の話というのをいくつも聞いたことがあります」
「そういう噂話があることは知っていますが、応竜宮に仕える侍女も下女もいないのは事実です。この宮に人が入るのも、年に一度、新年を迎える前の大掃除のときだけです。大方そのときに見たことをおもしろおかしく話したのが噂として流れているのでしょう」
思わず白目を剥きそうになった。それじゃあ、わたしが毎日世話をしているあの少女は幽霊とでもいいたいのだろうか。
(……なるほど、それで“墓場”って呼ばれているってことか)
あれは比喩でも何でもなく幽霊が出る宮という意味だったのだ。だから食材の相談に行ったとき宦官たちが変な顔をしたのだろう。
(それなら
きっと大掃除のときにしか姿を見ないからわからなかったに違いない。掃除をしているということもわかっていない気がする。竜妃様について書かれたあの書物のことも掃除のときに侍女たちのお喋りを聞いただけで、蛇と話しているのを見られたのも大掃除のときだったのかもしれない。
(ってことはわたし、幽霊憑きだと思われてるかもしれないってこと?)
……最悪だ。でも、この際わたしのことは後回しでいい。それよりも、どうして竜妃様はいないなんてことになっているのかが気になった。
(それに、どうしてこの宦官はわざわざここまで来たんだろう)
服は作らないと言うだけなら、食材を届けるついでにそう言えばいいはず。
「服のことを言うためだけに、わざわざここまで来たんですか?」
「食材の件で何度かあなたがやって来たという話を聞きました。しかも今度は衣服を作りたいと言ってきた。居もしない竜妃様を語ってあれこれくすねようとしているのでは、という疑いがありましてね」
「はぁ?」
思わず「盗っ人だと思われてたんかい!」と突っ込みそうになった。いくらわたしが貧乏人の下っ端下女でもそんな大胆なことはしない。やるならもっと姑息に上手にやる。そのくらいの知恵はわたしにだってある。
眉を寄せながら「そんなことしませんけど」と言うと、宦官は「あぁ、わたしの見解は違います」と口にした。
「もしや本当に竜妃様がいるのではと思ったのです。だから自分の目で確かめようとここまで来ました」
「……どういうことですか?」
「本気でくすねるつもりなら食材のような生ものは選びません。売りさばくのに向いていませんからね。今回の衣服だって装飾品も一緒にというのなら換金目当てだと考えられますが、数着の衣服では大した金にはならない」
そう言って眼鏡をクイッと持ち上げた。
「ということで、本当に竜妃様がいらっしゃるのではないかと思ったのです。それならきちんと確認し、応竜宮の環境を改善しなくてはいけません。わたしは宦官になる前から竜妃様の研究をしていたので、今回の件の担当に抜擢されたというわけです」
本当だろうか。これまで散々放置してきたのに、わたし一人の行動で急に考えを改めたりするものだろうか。「胡散臭いなぁ」と上目遣いで見ていると「ゴホン」と咳払いされてしまった。
「ほかの宦官はわかりませんが、少なくともわたしは竜妃様に興味が、あぁいえ、状況を確かめるべきだと思っています」
思わず「いま興味があると言いかけましたよね?」と心の中で突っ込んだ。
(っていうか、興味があるってどういうことよ)
そのためだけにわざわざ応竜宮に来るというのも怪しい。そう思って宦官をじっと見つめてみたものの冗談を言っているようには見えなかった。
(まぁ、無視されるよりはいいか)
少なくとも話が通じる宦官がいたほうが都合がいいに決まっている。そう考えたわたしは「竜妃様にお会いになりますか?」と尋ねた。途端にすまし顔だった宦官が眼鏡がずれるほど慌て出す。
「えっ!? お姿を見てもいいんですか!? あっ、いえ、もし拝謁できるのならぜひ確かめ、いや、お目通りしたいと思ってはいましたが」
確かめたいと言ったのはそっちだというのに、何をそんなに慌てているのだろう。それに目元も若干赤くなっている気がするし、眼鏡をクイクイと何度も上げているのも胡散臭すぎる。まさか
(……さすがにそれはないか)
これまでいないとされてきた存在に邪な気持ちを抱くはずがない。そもそもこの人は宦官だから懇ろになることもできない。一応とはいえ皇帝が大事にしている妃に手を出せば首が飛ぶことも知っているはず。
(それなのに何をそんなに慌ててるんだか)
落ち着かない様子は気になったものの、会わせなければ衣服の調達を断られるかもしれない。さすがにそれでは
「ちょうど朝餉が終わったところなので、いま頃はたぶん絵を描いていると思います。で、お会いになりますか?」
「ぜひ」
やけに力の籠もった返事に「本当に大丈夫かなぁ」とほんの少し不安になった。それでも会ってもらうしかない。
(ええと、こういうときってどうするのが正解なんだっけ?)
別室で待機させて云々という話を聞いたような気もするけれど、よくわからない。考えてもわからないなら直接
「
扉の外から声をかけて扉を開けた。それにギョッとしたのは隣にいた宦官で、目を剥きながらわたしを見る。「返事が返ってこないんだからしょうがないでしょ」と心の中で言い訳をしながら部屋に入った。
予想どおり
「
「
振り返ると、扉の外で両手を組んだ宦官が深々と頭を下げている。
「宦官の
わたしの声に
「
「竜妃様に拝礼申し上げます。このたびはご尊顔を拝する機会を賜りまして、光栄の極みに……え……?」
何やら難しい言葉が途中で止まった。わずかに上がった顔が驚いたように目を見開いている。きっと想像していた人物像と違っていたのだろう。たしかに「竜の化身がいるに違いない」と思っていたら驚くだろうなというくらい
(これで十八歳って言ったらますます驚きそうだけど)
驚き固まっている
「こちらが竜妃様です」
もう一度そう言うと、組んだままの
わたしは「は?」と目を見開き、顔を上げた
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