第30話 新たな日々・終
新年の祝賀行事の準備が進むなか、皇帝陛下から重要な発表があった。
“応竜宮に住まう竜妃の子を後宮にて育てることになった”
貴族たちはもちろんのこと後宮の誰もが驚き、しばらくは応竜宮の門前も少しだけ騒がしくなった。それでも大騒ぎにならなかったのは、皇帝陛下が「応竜宮に許可なく立ち入ることは禁じる」とお触れを出し続けているからだろう。
(それでも覗きに来る侍女はけっこういたなぁ)
中には明らかに上級侍女らしき服装の人たちもいた。何となく見覚えがあった顔は鳳凰宮の侍女だったのかもしれない。
しばらくは宦官の詰め所に行くときに呼び止められるんじゃないかと冷や冷やした。ところが想像していたようなことは起きず、遠巻きに「ほら、あの蛇遣いの人が竜妃様の」と囁かれていることで「尾ひれのおかげか」と納得した。
(それにしても蛇遣いって)
思わず吹き出しかけたけれど、
そんなことを思い出しながら庭を掃いていると、頭から襟巻きをすっぽり被った
「どうでしたか?」
「変わらずお美しかったわ。それにお元気そうだった」
「そうですか。よかったですね」
それには答えず「朝餉の準備するわね」と言って足早に台所へと向かう。
(帝都から少し離れた離宮に行くんだっけ)
今日、早朝に後宮の門をくぐったのは麒麟宮の主人だった黄妃様だ。元妃としての地位を与えられた黄妃様は皇帝陛下が持つ離宮に移り住むのだという。これからは黄妃様ではなく
今朝出て行くことを
(ふた月後には新しい妃が来るのかぁ)
いろんなことが起きたけれど、わたしたちの毎日は変わらず過ぎていく。今日も朝から掃除をして朝餉の後には洗濯をし、昼餉が終われば字の練習と髪結いの練習をした。夕餉の時間が近づいてきたから、煮卵を持った
トントン。
来た。相変わらず律儀に戸を叩く音がし、
「今度は何があったんですか?」
また何か起きたのだろうか。「大変なことじゃないといいんだけど」と思いながら声をかけると「陛下が……」と掠れた声でつぶやいた。
「はい?」
「陛下が……陛下がいらっしゃいます」
「皇帝陛下が応竜宮にですか?」
「陛下が
「ちょっと、
わたしの声が聞こえていないのか、喚くように声を上げながら台所へと去って行った。わたしはというと「あれだけ応竜宮には来ないって言ってたのに」と首を傾げる。
とりあえず髪はちょうど結い上がっているから、これでいいだろう。「着替えますよ」と
「それじゃ、座って待っててください」
「卵は?」
「それは皇帝陛下に会ってから食べましょう」
「……皇帝陛下」
「大丈夫ですよ。皇子様を連れて来るそうですから、きっと
「おうじさま」
「ええと、いろいろ省略しますけど、
「……子ども」
「皇子様がいるので、もう
「そう」
返事は少ないけれど、状況は理解できたらしい。「おうじさま」とつぶやきながらも大人しく椅子に座っている。
それを見届けたわたしは急いで門へと向かった。ちょうど皇帝陛下が宦官たちを連れて到着したところで、門の手前で止まった宦官たちの間から小さな男の子が出てくる。見た目は小さな皇帝陛下そのもので、黒目は凛々しく前を見ていた。
(
「やっぱり竜の血を引く皇帝陛下の血のほうが強いのかな」なんてことを思いながら、
「あの、お聞きしてもいいですか?」
「なんだ?」
気になっていることがあると、相手が皇帝陛下でも聞かずにはいられない。いつもどおりの言葉遣いでは怒られるかと思ったものの、あのときと同じように「無礼者」なんて言うことなくわたしに視線を向けた。
「皇子様がこの五年間、どこにいたという話になっているのかなと気になって」
「竜妃の子なら、あそこだろう?」
「あそこ」と言いながら天を指さした。「いやいや、なに言ってんですか」と内心突っ込みながら、そんな言い訳を貴族や後宮の人たちは信じるのかと少しだけ呆れてしまう。
(そっか、竜妃様に関することは何でもありってことか)
そのおかげで最初から食材も届いたし、何だかんだあってもこうして応竜宮の侍女として働き続けられている。
「
そう声をかけてから戸を開けた。
わたしに続いて部屋に入った皇帝陛下が息を呑むような音を立てたのがわかった。ちらっと見ると、初めて見る惚けたような顔をしている。
(そりゃそうでしょうね。だって、前よりずっと完璧な美少女だもん)
毎日湯浴みをし食事も取っている。皇帝陛下が覗き見ていたときとは違い、今日は濃い紅色に白や淡い桃色の重ね着姿だ。簪は桃を象ったもので、大ぶりの白真珠の耳飾りも青い宝石と真珠の首飾りも似合いすぎるほど似合っていた。
(うん、完璧な美少女だ)
性別は男でも女でもないけれど、どこからどう見ても美少女にしか見えない。そのことに満足したものの、あまりに凝視している皇帝陛下を見ているうちに不安になってきた。
(まさか、いまさら
あのときの話から絶対に大丈夫と思っていたけれど、目の前の顔を見ると心配になってくる。今日のせいでお渡りが始まったらどうしようと背中を冷たい汗が流れ落ちた。
(お渡りなんてことになったら、
……でも、それなら子どもが生まれることはないということだ。つまり
(でも、竜は皇帝陛下に会えって言ってたのよね?)
ということは、性別なんて関係なく竜妃様は子どもが生めるのかもしれない。それならやっぱりお渡りが始まったら大変だ。そもそもお渡りの準備なんてわたしにはできないし、
(そもそも男女の交わりはできないだろうし)
じゃあ、どういうことになるんだろう……? 考えてもよくわからない。難しいことはわからないけれど、これ以上皇帝陛下に
そんなことを考えていたわたしの耳に「この人を妃にしたいです」という幼い声が聞こえてきた。ハッとして声のほうを見ると、幼い皇子様が
「これは竜妃、おまえの母だ」
「違います。わたしの母上は銀の髪に青い目の人です。この人は母上ではありません」
「それでも竜妃はおまえの母だ。母を妃にすることはできぬ」
「嫌です! わたしはこの人を妃にしたいです! この人じゃなきゃ嫌です!」
「我が儘を申すな」
「嫌です!」
頬を真っ赤にした皇子様が「この人がいいです!」と必死に訴えている。思わず「美少女っぷりが過ぎると五歳児までも惑わすんだ」と気が遠くなりかけたところで「ならぬ」と強い声が響いた。
「そもそも竜妃はわたしの妃だ。おまえの妃にはせぬ」
「……っ」
皇子様の目に涙が浮かんでいる。それを皇帝陛下は冷たい表情で見下ろしていた。色恋沙汰には詳しくないわたしでも、皇帝陛下がいまどんな気持ちなのかは想像がつく。
(あの目は間違いなく男の目だな)
まさか幼い息子相手に本気になっているんだろうか。「大人げなさすぎるでしょ」と呆れたものの、やっぱり皇帝陛下も惑わされているのではと心配になる。
「竜妃はわたしの妃だ。それを
「……っ」
皇子様が俯いた。思わず「皇帝陛下、ちょっと厳しく言い過ぎじゃありませんか?」と囁くと「契約の始まりに戻すわけにはいかぬのだ」と厳しい声が返ってくる。
「どういうことですか?」
「
「……最悪ですね」
「最悪だ。だから呪いだと言っただろう?」
わたしに難しいことはわからない。それでも竜に酷いことをした挙げ句、交換条件まで出すなんて最悪だと思った。もしそのことをいまの竜が知っていたとしたら、蛇を身代わりにするのも納得できる気がする。
「その契約も、いつの間にか蛇を身代わりにされていたとはな。つくづく人とは愚かなものだ。その最たるものが皇帝というわけだ。竜の血どころか蛇の血を尊び必死になっていたのだからな」
「そこまで言わなくても……」
「愚かとしか言いようがあるまい?」
「でも、こんな美少女が現れたら誰だって竜の化身だと思いますよ」
返事はなかったものの、
(あー……
あの顔は間違いなく惑わされている。ただでさえ陶酔しているところで完璧な美少女妃姿の
ため息をつきながら
「桃のお茶」
好物ににこりと笑った
(……まぁ、きっと何とかなるでしょ)
(わたしももっとがんばろう)
そして
(いよいよ本当の蛇遣いっぽくなってきたなぁ)
そんなことを思いながら、
後宮に住まうは竜の妃 朏猫(ミカヅキネコ) @mikazuki_NECO
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