後宮に住まうは竜の妃

朏猫(ミカヅキネコ)

第1話 蛇食いの阿繰(あくり)

「まさか一晩でこんなことになるなんてなぁ」


 ため息をつきながら両手に抱えた風呂敷包みを見る。それでも前回、手荷物一つ持っていなかったのを考えればまだましかもしれない。


(まぁ人買いに売られて後宮に来たわけだし、手荷物なんてなくて当然だけど)


 今回はそれとは違って職場の変更、いや、実際は放逐というやつだ。行き先は後宮でも敬遠されている応竜宮おうりゅうきゅうで、わたしはそこに住む竜妃りゅうひ様に仕えることになっている。


(噂では竜の化身って話だけど本当かなぁ)


 竜妃様は竜の化身で、この国では皇帝陛下の次に尊ばれる現人神あらひとがみだ。天候と黄金を統べる竜の化身を妃に持つことは皇帝にとって揺るぎない権力を手にすることと同じで、先の竜妃様は百年ほど前に姿を現したと聞いている。


(そして皇帝陛下の子を生んで天に戻った、と)


 足を止めて空を見上げた。秋の空は空気が澄んでいるからか高く見える。見た目は美しいものの、これから厳しい冬がやって来ることを考えると素直に楽しむこともできない。


(あ、でも侍女になるなら少しはましになるってことか)


 応竜宮では下女ではなく侍女として働くのだと言われた。下女は大部屋で煎餅布団だけれど侍女なら小部屋が与えられる。二人部屋や三人部屋だったとしても火鉢の暖かさを感じることはできるはず。


(そう考えれば、一応は出世したってことかな)


 そう思うと高く澄んだ青空が清々しく思えてきた。「よし、行くか」と気合いを入れ直し、人気のない応竜宮への道をてくてくと歩く。

 わたしは昨日まで後宮の一つである鳳凰宮ほうおうきゅうの下女として働いていた。主な仕事は洗濯や掃除で、主である朱妃しゅひ様の顔を見ることはない。そんな下っ端のわたしだったけれど、台所に蛇が出たところに出くわしたのが運命の分かれ道になった。

 お昼をそこそこ過ぎた頃、台所の近くを通りかかったとき人の輪ができていることに気がついた。普段なら気に留めることなんてないのに、なぜか気になって輪に近づいてしまった。


「ねぇ、どうかしたの?」


 顔見知りの台所番の下女にそう尋ねると「それがね」と眉を寄せながら状況を説明してくれた。

 その子が言うには、どうやら台所に蛇が出たらしい。台所仕事の下女たちは蛇が苦手なようで、近づくことも追い払うこともできずに遠巻きにするしかなのだという。しかし、このままでは仕事ができない。夕餉の時間が迫るなかどうしたものかと困り果てている様子だった。


「蛇かぁ」

「そろそろ冬眠の時期が近いから、餌をたらふく食べるために台所に入り込んだんじゃないかって」

「あぁ、なるほどね」


 冬を前にしたこの時期、人家であっても蛇に入られることはよくある。わたしの生家は帝都の外れにあったけれど蛇なんてしょっちゅう出る場所で、父親は蛇の駆除なんて仕事もやっていた。そんなだから小さい頃から蛇は見慣れているし怖いと思ったこともない。


(毒には気をつけないと危ないけどね)


 しかし、帝都辺りに出てくる蛇のほとんどは毒を持っていない。これは経験して学んだことだ。


(あとは模様と口を見れば大体わかるんだけど)


 もし知らない蛇なら素手で触らなければいい。知っている蛇なら、まぁ大体は何とかなる。そう思って輪の中に入り台所のほうをひょいと見た。


(なんだ、籠に入ってるじゃない)


 誰かが籠を被せたらしく、蛇はおとなしく籠の中でとぐろを巻いている。それなのに怖いからと遠巻きにしているのだ。


(あの模様は……蒸し焼きにしたらおいしいやつだ)


 何度も食べたから間違いない。籠に閉じ込められている蛇は毒を持たないやつで、わたしたちにとっては貴重な食料の一つだ。

 どうしようもないほど貧乏だった我が家では蛇を捕まえて駄賃をもらい、その蛇をさばいて食料にしていた。なかには漢方の材料になる蛇もいて、そういう蛇なら売れば高値になる。


(あれは蒸すとふわふわな食感になるんだよね)


 それにちょっと塩をまぶして食べるのがおいしかった。肉なんて滅多に食べることがなかったから、近所の子どもたちと一緒に食べていたのが懐かしい。そんなことまで思い出してしまったからか、つい「おいしそうだなぁ」なんてつぶやいてしまった。


「おまえ、蛇をどうにかできるのかい?」

「え?」


 咎められるのかと思って口をつぐんだ。声がしたほうを見れば台所を仕切っている侍女がこちらを見ている。一瞬何て答えようか迷ったものの、深く考えていなかったわたしは「どうにかしろとおっしゃるのでしたら」と答えていた。


「このままじゃ仕事にならない。どうにかしておくれ」

「わかりました」


 輪の中から出たわたしは籠の前にしゃがみ、改めて蛇の種類を確認した。


(間違いない)


 小さい頃から、それこそ何十回と食べてきたあの蛇だ。確信したわたしは籠の編み目の隙間から棒を入れ、蛇が暴れる前に素早く頭を押さえつけた。これで万が一にも噛まれることはない。そのまま籠をずらして手を入れ、口が開かないようにしっかりと頭を掴んで持ち上げる。

 驚いた蛇が長い体をのたうち回らせて腕に絡みついてきた。少し離れたところで見物していた侍女がギョッと目を見開いたけれど、このくらい慣れっこのわたしにはどうってことない。周りで小さな悲鳴が上がるなか、そばにいた下女に「すみません、魚用の籠を取ってくれませんか?」と声をかける。


「え? あ、ええと」


 驚いた顔の下女が、わたしと蛇を交互に見ながらおろおろした。別に蛇を渡そうなんて考えていないから落ち着いてほしい。


「そこにあるやつでいいので」


 指をさすと、ようやく我に返ったらしい下女が魚を入れる徳利のような籠を取ってくれた。蓋を開けて蛇を突っ込み、手を抜いたら素早く蓋を閉める。この手の籠には蓋が開かないように引っかけるものが付いているから、それを締めれば蛇が逃げ出すことはない。


(さて、どうしようかな)


 蒸して食べたい気持ちもあったけれど、さすがに後宮で蛇をさばいたら叱られそうな気がする。そう思ったわたしは籠を持ち、後宮の外れに持っていって林のほうへ逃がしてやることにした。

 こうして無事に蛇を退治したものの、翌日わたしはなぜか鳳凰宮を追い出されることになってしまった。感謝されることはないだろうと思っていたけれど、まさか追い出されるとも思っていなかったから、職場替えだと言われたとき思わず「は?」と不遜な態度を取ってしまった。


阿繰あくり、その態度は何ですか!」

「あ、すみません」


 台所の下女たちを仕切る侍女に叱られ、慌てて口を閉じる。わたしの態度に呼び出した上級侍女の一人が眉をひそめた。その隣に立っているもう一人の上級侍女は表情を変えることなく言葉を続ける。


「おまえが蛇を見て『おいしそう』と口にしたと聞きましたが本当ですか?」

「……あ、」

「どうやら事実のようですね」

「あー……小さい頃、親が蛇を捕まえる仕事をしてまして、その蛇を食べることもあったので」

「まぁ!」


 大袈裟なほど驚いた声を出したのは眉をひそめていた上級侍女だ。服装からして朱妃様のそばに仕える侍女だろう。顔を見れば「とんでもない」と言わんばかりに大袈裟なほど眉を寄せている。


「なるほど、それではやはり鳳凰宮には置いておけません」

「え?」

「朱妃様は蛇のように手足のない体の長い生き物を嫌っておいでです。その蛇を素手で掴み、あまつさえ食するような下女を鳳凰宮で働かせるわけにはいきません」


 上級侍女は冷たい眼差しでそう宣言した。眉を寄せている上級侍女も当然だという顔で頷いている。


(なるほど、最初から決まってるってやつか)


 こうしてわたしは鳳凰宮を追い出されることになった。

 新しい職場は応竜宮で、いわゆる行き場のない下女や侍女の左遷先と呼ばれているところだ。なかには「後宮の墓場」と噂する人たちもいる。そこで働くのが嫌なら後宮を出ていけということなんだろうけれど、出たところで生家に帰る選択肢なんてないわたしには応竜宮に行くしかない。


(気をつけてはいたんだけどなぁ)


 後宮に来た二年前、これまでの生活のことは忘れるようにときつく言われた。たとえ下女であっても品位に関わる……とか何とか言っていたような気がする。

 当時十四歳だったわたしには後宮以外に行くところがなかった。後宮を追い出された年頃の貧乏娘が行き着く先は花街だと相場は決まっている。花街に行くくらいなら下っ端下女であり続けたい。だから生家での暮らしは思い出さないように、おかしなことはしないように気をつけてきた。


(花街に行くなんてまっぴらご免だからね)


 体を売ることより男に媚びる人生が嫌だった。だからおとなしく目立たないように下女として粛々と働いてきた。


(それなのに蛇一匹でこんなことになるなんてなぁ)


 いまさらながらそう思う。しかし、やってしまったものは仕方がない。まだ勤め先があるだけましだと思うことにしよう。

 風呂敷包みを抱え直し、鳳凰宮と同じくらい立派な門に足を踏み入れる。そうして正面から建物に入ったところで「すみません」と声をかけた。


(……変だな)


 もう一度「すみませーん!」と大声を出したものの、出てくる人影はない。こういう場合は鳳凰宮から応竜宮に使いが来ているはずで、少なくとも下女を取りまとめている侍女くらいは姿を見せるのが普通だ。それなのに、しばらく待っても人っ子一人現れないのはどういうことだろう。


(まさか、誰もいないとか……?)


 いや、そんなはずはない。応竜宮には竜妃様が住んでいると聞いている。竜妃様は現人神あらひとがみであり皇帝がもっとも大事にしている妃だ。その妃が住む宮が無人のはずがない。


「あのー!」


 もう一度大声を出したけれど、やっぱり誰の返事も聞こえてこなかった。


「参ったなぁ」


 もしかして下女も侍女も数が少ないのだろうか。それなら声をかけたところで出てこないのもわからなくはない。「誰も行きたがらない後宮の墓場って噂、本当だったのかな」なんて思ったところで、それなら台所に行ってみるかと考えた。

 台所は妃だけでなく宮で働く侍女や下女たちの食事も作っている。いかに人数が少なくても妃がいる限り台所には人がいるはずだ。

「よし、行ってみるか」と踵を返しかけたところで「誰?」という声が聞こえてきた。振り返ると、少し離れたところにわたしとそれほど背丈の変わらない少女が立っていた。

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