第14話 謀りごと
「……は?」
「
意味がわからなかった。もしあの人影が本当に皇帝陛下だとしたら、どうしてコソコソ盗み見るようなことをしていたのだろう。
ここは皇帝陛下の後宮なのだから用があるなら正々堂々と来ればいい。それを咎める人はいない。それともやましい気持ちがあるということだろうか。
(そりゃまぁ、少しはそう思ってくれないと腹が立つけど)
以前、
そんな状態にしておいて盗み見ようとする理由がわからなかった。何か言いたいことがあるなら真正面から言いにくればいい。
(本当に姿を現したら、逆にこっちにも聞きたいことがいろいろあるし)
面と向かって尋ねるなんて考えたこともなかったけれど、もし人影が皇帝陛下なら
(前の主だった朱妃様にも会ったことない下っ端だけど……そこは気合いできっと何とかなる)
そもそも貧乏人には気合いくらいしかないのだ。気合いで何とかしなければ生きていくこともままならない。相手が皇帝陛下だったとしても気合いできっと何とかなる。それにまだあの人影が皇帝陛下だとはっきりしたわけじゃない。
そこまで考えてハッとした。
「
「はっきりとはわかりませんが、後宮へのお渡りの日時を擦り合わせると、おそらくそうではないかと」
「それでもいまはまだ確証がないってことですよね?」
わたしの言葉に
「何を考えているんです?」
「応竜宮の侍女はわたししかいません。そしてここは皇帝陛下の次に大事な竜妃様がいる宮です。たとえば竜妃様がいなかったとしても大事な場所であることには違いないんですよね?」
「たしかにそうですが」
「それなら不審な人影は捕まえるべきだと思うんです」
「……はい?」
「あの人影は竜妃様に害を及ぼすものかもしれません。もしかしたら盗っ人かもしれません。そんな輩を放置するわけにはいかないってことです」
「
「それに、捕まえた結果相手が貴族か誰かだったとして、コソコソ盗み見るようなやましいことをしているのは向こうです。捕まって当然ですし、捕まえたほうに咎はないと思うんです」
「いや、それは一般論であって、」
「一般論も何も、怪しい人影がいたら後宮であっても捕まえるのは普通ですよね? 主の危険を察知して不審人物を捕まえるんですから、侍女としてよくやったと褒めてもらってもいいくらいです」
わたしの言葉に
「というわけで、怪しい人影は捕まえてしまいましょう。そうだ、念のため罠を仕掛けるっていうのはどうですか?」
「罠を仕掛けるって、何を言っているんですか」
「相手が誰かわからないんですから、いろいろ準備しておいたほうがいいと思うんです」
「
「
(そもそも、このままでいいはずがないんだ)
今回の人影はただのきっかけだ。もし本当に人影が皇帝陛下なら現状を変えることができるかもしれない。それにわたしは
「止めても無駄ですからね」
「短いつき合いですが、何となくあなたの性格はわかっています」
「そうですか」
わたしの態度から止めるのを諦めたのだろう。何かを決意するように眼鏡をクイッと押し上げた
「あなたに何かあっても
「何かあること前提に話すのやめてくれませんか」
口に出した途端にブルッと身震いした。
(本当はわたしだって怖いんだから)
きっとあの人影は皇帝陛下に違いない。
それでも捕まえなくてはと思った。盗み見ていた理由より、どうして
(同じくらい腹も立っているし)
「何となくですけど、次も人影は
「縄?」
「後宮に来てわかったんですけど、高貴な人って足元に弱いですよね。まぁ、あんなにヒラヒラして足元が見えにくい服なら仕方ないと思いますけど。だからか、いつもゆっくり歩いてるじゃないですか。ってことは、慌てて走ったりしたら縄に足を引っかけると思うんです。それで転んでくれれば捕まえるのも簡単です」
「……なかなか恐ろしいことを考えますね」
「相手が誰かわからない不審人物なら、これくらいするのは当然です」
厳しい表情を浮かべる
庭には大きな池がある。そこを右回りに行った先に門があるから、人影はきっと右回りに逃げるだろう。あの人影が皇帝陛下なら、左側は途中に鬱蒼とした木々があって逃げづらいことも知っているはず。
「間違いなく右側に行くな」と判断したわたしは、池のほとりにある石の影に太い枝を深々と突き刺し縄を結んだ。縄の反対側は少し離れたところに生えている木に結びつける。地面から少し浮いたところに張った縄には、念のため落ち葉なんかを散らして見えづらくした。万が一左回りで逃げた場合を考えて、そっちには桶や外箒を置いて逃げづらくしておく。
(
もし近づく意志があるなら、とっくに窓から覗き見ているはずだ。そう考えて唯一の逃げ道になった場所に二本目の縄を張ることにした。一本を飛び越えてももう一本張っておけば絶対に引っかかる。
(こういうのを首を洗って待つっていうんだろうな)
もちろん首を洗うのはわたしのほうだ。
(人影が本当に皇帝陛下だったら、皇帝陛下を地面に転がす罠を仕掛けてるってことになるわけだし)
実際に縄に引っかかったのが皇帝陛下だったとして、「人影が皇帝陛下だなんて知りませんでした」という屁理屈が通じるだろうか。
(通じないだろうなぁ)
そんなことはわたしもわかっている。それでもやめるつもりはなかった。「後先考えずに行動する癖、いい加減どうにかしないと」と自分に呆れながら、ただひたすらそのときを待った。
子ども騙しの罠を仕掛けた二日後、朝餉の膳を下げようと廊下に出たところで人影があることに気がついた。予想どおり
予想どおり人影は縄を張ったほうへと走り出した。「誰なの!」と大声で叫びながら追いかける。というより気分は完全に獲物を追い込む猟犬だ。
わたしが侍女らしからぬ走りっぷりで追いかけるからか、人影が驚いたように振り返った。ちょうどそこは一本目の縄を張った場所で、人影の足が引っかかり盛大に転ぶ。
「竜妃様が住む応竜宮だと知っていて盗み見ていたの?」
敢えてそう口にしながら人影に近づいた。
(……やっぱり相当高貴な人っぽい)
上半身を起こした人物は高そうな服を着ていた。見間違いでなければ、それは鳳凰宮で三度見かけたことがある皇帝陛下の衣装によく似ている。
(
それでも恐怖心はなかった。恐れより尋ねなくてはという気持ちのほうが強い。わたしは振り返った男の視線に怯むことなく「ちょっと来てください」と静かに告げた。
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