第七話「過ちと語らい」
『話を聞くのは今度にするから』
保健室を出る前に千歳が言った言葉。
アリシアと話したことで気が変わったのだろう。
ただこれで全てが解決したわけではない。
「……」
鏡夜にレシピを聞いている間や、俺が料理を作っている時もどこか上の空。
今もナイフとフォークを持った手が止まっている。
原因を作ったのは俺自身なのでアリシアが何に悩んでいるかもだいたい察しがつく。
こういうときに気の利いた言葉一つもかけれないところがモテない所以だな。
「口に合わなかったか?」
「す、すみません。少し考え事をしていまして……」
いつものお茶目な言動も毅然とした態度もない。
出会って日は浅いが誰がどう見ても普通ではない。
「食べ終わったら少し付き合ってくれないか?」
準備をするために席を立って食器を片付ける。
アリシアがこうなったのは俺に原因がある。
仮にも婚約者。
ガラではないが気遣うぐらいはいいだろう。
隼人さんがどこへ向かっているのかわからず、暗い夜道の中を隣を歩く。
本国にいた時も夜中に出歩いたことはなかった。
不安と高揚が入り乱れた不思議な感覚。
先日軽く案内されたがまだまだ道がわからないので離れないようにしなければ。
「春先だがまだ夜は肌寒いな」
「私は少し暑いぐらいです」
「アトリシアは北寄りだったか」
「ええ」
退屈しないように話題を振ってくれるが半分も覚えていない。
鈍感なのか敏感なのか私の不調は悟られている。
ただ普段気を使わないのか。
自然に振る舞っているように見えてかなり不自然なのところが少し笑える。
武道の時は完璧超人なのにこういう時は不器用な人なんだな。
「まだ数日だがここでの暮らしはどうだ?」
「いい国だと思いました。人情に溢れ民からは城主に対しての敬意を感じます」
「アトリシア公国は違うのか?」
「良くも悪くも表面的な付き合いばかりですよ」
「まぁ、俺としては"魔法の国"という言葉に好奇心がくすぐられるな」
「隼人さんでも興味があるんですか?」
刹那とも呼べる空白の時間固まってしまう。
「どちらかといえば魔法そのものではなく、それを用いて国を発展させたメカニズムのほうに興味がそそられる」
杞憂に終わってよかった。
「本国へ訪問されたときにでもご案内しますよ」
「それは楽しみだ」
夜の春風は心地よく荒んだ心を溶かしていく。
これだけでも外に出たかいはあった。
「足は大丈夫か?」
「師匠も言っていましたが歩く分には問題ありません」
「一応聞いたけど。もし俺に付き合って悪化したらと思うと心配なんだよ」
「そうなったらまたお姫様抱っこをしてくれるんですか?」
「ご所望とあらば」
「……随分ご機嫌ですね」
「昔から恒例行事にしていることがあってな。今年は無理かと思っていたがどうにかいけたからかもな」
「こんな夜中にですか?」
「夜中だからだよ」
二人の足音だけが響いていく。
歩くたびに歩幅があっていく感覚が余計に私の心をかき乱す。
「隼人さん」
「んー?」
「私と婚約して後悔していませんか?」
「いきなりだな。まぁ、お互い好きになって婚約したわけじゃないから当然か」
自分で聞いておいて彼の次の言葉に怯えている。
私の言葉を肯定されたら?
拒絶されたら?
そう考えるだけで足が重くなる。
「何を不安がっているか知らないが剣の腕だけで評価されるならきっと俺は学校の人気者だろうな」
彼は皮肉をいいながら肩を竦める。
私がこれ以上落ち込まないように誤魔化している?
それともはぐらかして弄んでいる?
彼の思考が読めない。
「っと、着いた」
俯いていたせいで気づかなかった。
彼が向かっていたのは私たちが親善試合をした武舞台の会場だった。
ようやく俯いていたアリシアが顔を上げて驚いている。
本来ここは親善試合や儀式等で使用される神聖な場所。
私用で入ることは出来ない。
毎年恒例行事にしているが普段は不法侵入している。
「話の続きは入ってからにしよう」
今回はアリシアがいるため紅葉に直接許可を取った。
その際、『今年は無断じゃないのね』とちくりと刺されたがそのかいはあったらしい。
先程までずれ始めていた足音が揃い。
観客席へ向う通路内に響き渡る。
「俺が後悔してないか、ね」
焦らしているつもりはない。
たぶんどんな答えを出しても今の彼女は納得しない。
安っぽい言葉を並べても表面を撫でるだけで心まで届かない。
「してないよ」
「嘘です」
ご覧の通り間髪入れずに否定が返ってくる。
「なんで、アリシアに俺の感情を決められるんだよ」
「私には何も無いから……」
「……お前それ本気で言ってんのか? …………悪い気にしないでくれ」
落ち込んだ相手に追い打ちするような低い声が出てしまう。
気を取り直してドアを開けた。
普段の彼からは想像もつかないほどの冷めた視線と低い声。
上の空だった心が現実に引き戻される。
最初に見た景色はあの日と同じ見事な夜桜。
舞い散る花びらに目を奪われる。
「あの日は試合だったからロクに見れてなかっただろ」
「えぇ……見事です」
なぜ彼はここへ連れてきたのでしょう。
見事な桜を見せるため?
それともあの日の恐怖を思い出させるため?
どれも違う気がする。
「立って見るのもあれだから座ろうぜ」
促されるまま座ると彼は持ってきたバッグからお猪口を二つ、液体の入ったペットボトル。そして徳利を取り出した。
「私たち未成年ですよ」
「酒じゃねえよ。まあ、ただの水でもねえけどな」
どう見てもそれにしか見えない。
彼は気にせずに液体を徳利に入れて軽く回すと二つのお猪口に注ぐ。。
渡されて匂いを嗅いだがアルコールではないのは確かだ。
「これは?」
「飲んだら教える」
「……」
「ったく、疑り深いやつだな」
私がお猪口を凝視していると彼は自分のお猪口に注いだ液体を一気に飲み干した。
「これでいいか?」
しばらく様子を見ても何ともなさそうだったので飲む。
味は普通の水だった。
「中身は何ですか?」
「液体の方は単なる水だな」
「てことは仕掛けはその徳利ですか」
「ご明察。これは大和で最も有名な陶芸家の作品でな。中に入れた液体に陰陽術を施すんだ」
確かアトリシア公国でいうところの魔法的概念だった気がする。
「その効力は『飲むと三分以内に隠していることを話す』だそうだ」
急いで手で口を防ぐ。
こちらが無知なことをいいことになんてものを飲ませる。
「という嘘を言って親が子どもの嘘を白状させたり、逆にこの嘘を言い訳に思ってることをぶちまける大和の伝統なんだが……見事に引っかかったな」
怒ればいいのか。
悶えればいいのか。
それとも口を塞いだせいで酸素が足りていないのか。
頬が赤くなって熱い。
ようやく彼がここへ連れてきた理由がわかった。
恒例行事をするのも本心だろう。
ただ今回はお猪口と徳利を出しても違和感のない状況に誘い込むためが本命。
私が話すためのきっかけを作るために。
「別に全部話せとは言わねえよ。ただ悩んでいることがあるなら話ぐらいは聞けるって言いたかったんだ」
彼は静かに桜を眺めている。
ここで素直に話したら彼の思う壺だ。
「悩みの原因である人がよく言いますね。何様のつもりですか?」
「聞いて驚け、天下の不器用様だ。生憎と今まで人に気を使ったりとか励ましたりとかとは程遠い人生を送ってきたもんでな。俺も水を飲んだことだし、何なら自分語りでもしようか?」
「まだ話す勇気が出ないので先にお願いします」
「てっきり断ると思ったのに」
「少しでも追いつきたいので、そのヒントになればと」
「近づく? 誰の何に」
「隼人さんの実力にです」
イタズラを成功させた子供から一転。
目をパチクリさせた後、腹を抱えて笑い出した。
「失礼ですよ?!」
「いやー悪い悪い。珍しくてついな。あー笑った」
目尻に涙を溜めて先程のシリアスな空気をぶち壊す。
隼人さんといい、葵師匠といい。
そんなにおかしなことを言っているのでしょうか?
「笑ってないで早く話してください」
「わかったわかった。それに話を聞いたら納得するだろうしな。ちなみにその対象って俺だけ?」
「今は千歳さんもです」
「なら、今度あいつにも言ってやってくれ。きっと喜ぶから」
そうして彼は語り出す。
彼が――風見隼人がなぜ"バケモノ"と呼ばれるようになったかを。
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