第二話「黒猫の喫茶店」
元主との電話を終えて時計を確認すると十一時半。
道理で腹が減るわけだ。
「アリシア。今日この後時間はあるか?」
「ありません。今日の予定は思いの外早く済みましたので」
どうやら俺の説得に半日かけるつもりだったらしい。
どれだけ厄介だと思われていたんだか……。
「国着いたのは昨日だろ」
「昨日の昼頃に着いて紅葉様にお茶に誘われた後は試合前の調整を行っていましたので」
「なら、ちょうどいいな。昼飯を食べに行きがてら町を案内しようと思うんだが如何か?」
「つまりデートのお誘いというわけですね。喜んで」
ご機嫌取りもあるがアリシアには一度町を見てもらいたい。
やってきたのは城下町で最も栄えた伊吹通りではなく奥まった裏路地。
「こんなところに連れ込んで。色々言っておきながら隼人さんも男の子なんですね」
「何を勘違いしているかは知らないが勘違いだからな?」
伊吹通りは栄えているだけあって人通りが多い。
学園関係者に見られたら面倒になる。
「国内でアトリシア公国の料理が食べられる場所が他に思いつかなかったんだよ」
「そういうことにしておきましょう」
さっきからこの姫様ちょいちょいはしたなくないか?
目的地である黒猫の看板を見つけ店内に入った。
「いらっしゃ――何だ隼人かよ」
出迎えたのはカウンター席でグラスを拭く成年男性。
好都合なことに俺達以外の客の姿はない。
「閑古鳥も裸足で逃げ出す店だな」
「相変わらず口の減らねえガキだ――なんだ女連れか? お前も隅に置けないな」
「そんなんじゃねえよ。彼女はアトリシア公国からの留学生だ」
「そういうことかよ。適当に席に座って待ってろ」
そういうとこの喫茶店〈シャノワール〉の店長――相楽鏡夜は慣れた手つきで調理を始める。
「悪いな口の悪い店主の店で」
「あの方はどういったお知り合いですか?」
「それについてはおいおい話すよ」
婚約したが俺達はお互いを知らなさすぎる。
政略結婚も少ないこの時代では珍しい話かもしれないな。
「隼人。先に飲み物を持っていってくれ」
「俺、客なんだが?」
「俺とお前の仲じゃねえか」
「気色悪いことを言うなよな。アリシア悪いが少し待っててくれ」
「わかりました」
席を立ってカウンターへ向かう。
カウンター内のテレビでは昨日の親善試合のニュースが流れていた。
「アトリシア公国のお姫様に故郷の料理振舞うとか……お前はこの店を潰す気かよ」
どうやらアリシアがアトリシア公国の姫君とバレたらしい。
「別にそんなつもりはない。単に落ち着けて食べられるところがここしか思いつかなかったんだよ」
「で、昨日の今日で何でそのお姫様とデートしているんだ?」
「成り行きだ」
「どうやったら成り行きでお姫様とデート出来るんだ。そういやお前紅葉姫の時も同じことを言っていたな。てか、浮気現場に出くわしたみたいで嫌なんだが?」
「何でそうなる。てか、早く飲み物くれよ。アリシアが待っているんだ」
「うるせえ、人生二度目になるお姫様のために茶を淹れてんだ。せかすなよ」
悪態をつきながらその手腕は丁寧の極み。
「そういやお前、刀を握るのをやめたんじゃなかったか?」
時間があればあるほど会話は思いもよらない方向に進む。
それは触れてほしくない内容になるのはザラにある。
「成り行きだ」
「それ便利な言葉じゃないからな。っと、ほれ出来たぞ」
渡されたティーセットを持って席へと戻る。
「待たせたな」
「いえ。どうかされましたか?」
「久々に会ったから『何してたんだ?』って根掘り葉掘り聞かれただけだ」
「私達のことを?」
「言ってない。そういえばそこら辺の話はしていなかったな。料理を待っている間にしてしまおう」
「ですが」
「ここなら問題ない」
どうせ鏡夜には遅かれ早かれ知られることだ。
「わかりました」
「まず公表するかどうかだがオルレアン家的にはどうなんだ?」
「そうですね。アトリシア公国でのお披露目はおそらく私の留学を終えて国へ戻った時になると思います。その際はお隼人さんにも来てもらいますが構いませんか?」
「だよな。まぁ、問題ない。そういえばアリシアの父親にはこのことを」
王家の人間が正式に結婚するんだ当然と言えば当然か。
「あの試合は大和だけでなくオルレアンでも中継されていましたので知ってはいますが特に何も言ってきていませんね。それとオルレアン国民はしきたりについて知りません。知っているのは王家とその重臣たちのみです」
「アリシア以外にも留学生はいるから在学時は隠しておいたほうが良さそうだな」
「今、留学しているのは全員重臣の家系の者ですので気にする必要はありません」
「俺達次第ってわけか。アリシアはどうしたい?」
「騒がれるのは好ましくありませんが隼人さんに変な虫がつくのも嫌ですね」
「そこは安心してくれ。驚くほどにモテないから」
「はたしてそうでしょうか」
留学して間もないアリシアの耳にはまだ悪名は届いていない。
知った時心配が杞憂になるだろう。
「まぁ、言いふらしたりせずにバレたら薄情するぐらいでいいか」
「それが妥当ですね。私からもよろしいでしょうか」
「あぁ、いいぞ」
久々に人と長時間話すので喉が渇く。
先に紅茶を貰っておいて正解だったな。
「今日から隼人さんの家に住んでもよろしいでしょうか」
「ゲホっ! ゲホっ!」
危うくアリシアに紅茶を吹きかけるとこだった。
「大丈夫ですか?!」
「背中をさすってくれるのは有難いがお前が原因だからな?」
「おかしなことを言ったつもりはないのですが」
何処の世界に婚約したその日に同居を言いただす奴がいる。
「私たちはお互いを知りません。そのためには同じ時間を過ごす必要があります」
「だからといって同居は突飛過ぎないか?」
「いずれ一緒に暮らすのです。それが早いか遅いかの違いです」
「大和には『男女七歳にして同衾せず』という言葉があってだな」
「隼人さんは私を異性として意識してくださるのですね」
「あのな」
「お前ら他に客がいないからいいが。もう少し静かに喋ったらどうだ」
タイミングがいいのか悪いのか。
鏡夜が料理を運んできた。
「これはキッシュですね」
「本場の人にもそう見えるならよかったよ。中身は無難にベーコンとほうれん草にしたが」
「大好物です」
「なら、よかったぜ。隼人、俺は奥にいるから客が来るか、帰る時に声をかけてくれ」
「あぁ、気を遣わせて悪い」
「構わんさ。それではごゆっくり」
こういう気遣いが出来るから女性客にモテるんだろうな。
「せっかくですし冷める前にいただきませんか?」
お世辞抜きで本当に好物だったようらしい。
無邪気に目を輝かせている。
「そうしよう」
鏡夜が作ったキッシュは本場の人間であるアリシアも絶賛する程美味かった。
もし今後アリシアの機嫌を損なうことがあれば選択肢の一つにしておこう。
「大変美味でした。あとでマスターにお礼を言わないと」
「それもいいがさっきの続きだ。本当に同居するつもりか?」
「もちろん。隼人さんが何処かへ連絡している間に手続きは済ませましたので」
「こっちの退路を断つのが早すぎる」
「紅葉様が『あのバカはグダグダ言うだろうけど受け入れたくないわけじゃないから強引にするといい』と」
あいつ他人事だと思ってやりたい放題だな。
「いいアドバイザーを持ったな」
「今となっては隼人さんを理解し過ぎていることに嫉妬しそうですがね」
「わかった。部屋は余っているからどこでも好きなところを選んでくれ」
「ありがとうございます」
流されている自覚はあるがここで納得しないと次の手が怖すぎる。
「何か言いたそうですね」
「俺はとんだ子を結婚相手に選んだと思っただけだよ」
「後悔していますか?」
「まさか。むしろますます惚れそうだよ」
知れば知るほどとんだお姫様だよ君は。
「ご馳走様でした」
「いやいや、故郷の味が恋しくなったらまたおいで」
「ぜひ」
ご満悦なアリシアを先に外へ出す。
「さっき風見家当主から直々に通達とそれについての箝口令が敷かれた。面白いことになっているな従兄弟よ」
鏡夜の母親は俺の父親の姉。
元々相楽家が分家だったこともあり幼い頃からの知り合いだ。
「何なら変わってやろうか?」
「修羅場確定じゃねえか。そんなのゴメン被る」
「修羅場とは失礼な。第一そんなもの起きるわけ――」
そこでもう一人の従兄妹の顔が思い浮かぶ。
鏡夜が知ったということは彼女の妹である千歳にも連絡がいっているということだ。
「去年、うちの妹が通い妻状態だったこと知ってんだぞ?」
「断じて付き合ってないし、手も出していない」
「つまり浮気じゃないと言いたいわけか。気を持たせるだけ持たせて袖にするとは……隼人も悪い男になったもんだ」
「人聞きが悪すぎるだろ」
第一千歳が好意を持っていたら鈍くてもさすがに気づく。
「誰がどう見ても二股だ。汚名を甘んじて受け入れろ」
「これ以上はゴメン被る」
あまり長々と話していたらアリシアに怪しまれるので手早く会計を済ませ店のドアを掴む。
「隼人。お前はこの国を――あの方を裏切るのか」
どうやら盛大な勘違いをしているらしい。
「そんなこと天地がひっくり返ってもありえねえよ」
他人が理解できないぐらい純粋な忠誠心ではない。
例えるならどす黒い感情の渦。
この思いが消えることはない。
「疑って悪かったな。また来いよ」
「アリシアも気に入ったようだしそうするよ」
「それとここから早く離れたほうがいいぞ」
「だろうな」
先程からマナーモードのスマホが震えている。
着信相手は――見るまでもない。
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