第四話「地獄のモーニング」

 最後に顔を見て話したのは確か……雪が降り積もる城内の庭だったか。

 真っ白な世界に映える赤い髪。

 折れてしまいそうな華奢な体。

 前を歩く紅葉は足を止めて椿を愛でる。

 今日で護衛役最後の日だと思うとその背中は名残惜しく感じた。

「もう三年になるのね」

 それは紅葉も一緒で声音が沈んでいた。

「最初の頃は『早く辞めてくれない?』って言っていたのにな」

「それは今でも変わらないわよ」

「おいコラ」

 ツッコミを入れると鈴が転がるような声で笑う。

「嘘じゃないけど。今はその意味合いが違うから」

「それよりも次の護衛役と上手くやれよ」

「確か今度は西園寺家の才女だったかしら。どうも苦手なのよね」

「大半の人間が苦手だろうが」

「否定はできないわね」

 いつもの調子に戻ってきたか。

 再び歩き庭の奥へと進む。

「隼人はこれからどうするの?」

訂正。

どうやらまだ本調子じゃないらしい。

「とりあえず、高等部へ編入するかな」

「意外。集団行動も勉学も嫌いなのに」

「事実嫌いだよ。けど、これから社会に出る必要はないから。人間関係築くのはラストだかな」

「特に君は独りじゃ生きられないもんね」

 誰のせいだと思ってるんだ。

「お前もだろ」

「あはは、私の場合は最後には独りだよ」

 代々城主になる御門家の女性は短命だ。

 事実、紅葉の母親である先代も既に亡くなっている。

 現在城主を務めているのは彼女の父親だが三年後には紅葉が城主を引き継ぐ。

「今からでも辞めることを止めない?」

 手放しで喜びたいほどに甘い誘い。

 そして紅葉のワガママ。

 本当なら叶えてやりたい。

「もう正式決定している。無理に決まってんだろ」

「そこはほら。ありとあらゆる職権を乱用すれば」

「次期城主が私情で暴政引くなよ」

「冗談よ」

 俺以上に孤独を恐れている。

 次期城主だの神童だの言われているが結局は一人の少女だ。

 冷たい風が庭を吹き抜ける。

「そろそろ部屋に戻るわ」

「紅葉」

 これは誓いだ。

 未だ自分の人生に興味が持てない俺が。

 生きる意味として紅葉を選んだことに対しての償い。 

「何があっても俺はお前の味方だよ」

「無責任なこと言って。私が本気にしても知らないわよ」

「それはお前次第だ」

 彼女は決して俺に依存しない。

 少なくとも後三年は隣で見守るつもりだったがそれだと俺の願いは叶わない。

 だから紅葉……許してくれとは言わないが。

 お前は独りじゃないことだけは覚えておいてくれ。


 昨日は千歳を帰した後、予定通り引っ越し業者が到着したが作業は一時間にも満たずに終了。

 ただ疲れていたので出前を取り、早めに就寝したのでいつもより早く目が覚めた。

『遠ざけるも何も私から離れたのはあなたじゃない』

 根に持つタイプじゃない。

 紅葉はただ事実を言っただけ。

 それでも堪えてしまった。

『隼人。お前はこの国を――あの方を裏切るのか』

『なら、紅葉姫との誓いは? ……ごめん』

 従兄妹たちから見てもそう思われるのはわかっていた。

 アリシアと婚約したが俺の気持ちは変わらない。

『そういった話を聞くと紅葉様を羨ましく思います』

 アリシアに言った言葉が真実だが。

 あのお姫様は拒絶するどころか羨望の眼差しを向けた。

 ジッとしていたら余計な考えばかりが浮かぶ。

 今日から新学期。

 気持ちを切り替えて布団から出ようとしたところで気がついた。

「すーすー」

 寝息を立てたアリシアが俺の腰にしがみついている。

 大和の寝間着に慣れていないせいか帯が解けかけて前側がはだけかけていた。

「???」

 昨夜のことを思い出すが部屋の前でアリシアに就寝の挨拶をして間違いなく一人で寝た。

 ということは俺が寝静まった後に部屋を訪れたことになる。

いくら疲れていたからといってそれに気づかないのはどうかと思う。

 もし、この眠り姫が暗殺者なら起きた時は三途の川が見えていたことだろう。

 今はどちらかといえば引っ付いているせいで柔らかさとか暖かさを感じるからある意味天国か……って、そうじゃない。

 何故このお姫様はここにいる。

 叩き起こして理由を問いただしたいが時刻は四時半。

 さすがに可哀想なので起こさないように腕を解いて道着に着替える。

 音を立てずにドアを開けて静かに部屋を出た。

 

 朝の空気が道場内を満たす中、ひたすら竹刀を持って素振りする。

 刀を握らないと決めたが自衛のための獲物は必要。 

 木刀やら他のを試したが竹刀が一番しっくりきた。

 ある程度鍛錬を終えて汗を拭う。

 いつもなら気の済むまで体を動かすのだが今日からはそういうわけにはいかない。

「おはようございます隼人さん」

 一時間ぐらい経つと起きてきたアリシアが道着に着替えて道場へやってきた。

「おはよう、じゃねえ。今朝はいったいどういう了見だ」

「人肌が恋しくなったので隼人さんを抱き枕にしただけです。他意はありません」

 短期間で住む場所が二度も変わったことへの不安だろう。

 腹黒いと思っていたが案外可愛いところがあるもんだ。

「つまり今までルームメイトに抱き着いて寝ていたと」

「いえ。母国でもここでも一人部屋です」

 あっぶね!

 ただのハニトラかよ。

「お前な。襲われても文句言えないんぞ」

「むしろ既成事実を作っておけば隼人さんも決心してくれるかと」

「決心も何も結婚することは決めただろ」

「私も昨日の夕方までは安心していましたが思わぬ強敵が身近にいたようなので」

「強敵?」

「昨日来ていた従妹さんのことです」

 そういやそれとなく千歳との会話は聞かれていなかったか確認した際、『どういった関係ですか?』と根掘り葉掘り聞かれたっけか。

「アリシアが何で千歳に対抗意識燃やしているのかわからんが。杞憂に終わるぞ」

 喋っていても時間が勿体無いので竹刀を構える。

 同居するにあたってアリシアからの願いは『稽古をつけてほしい』とのこと。

 良き稽古相手になる資質はあるので快く引き受けた。

「それはどうでしょうね」

 竹刀で細剣と同じ構えを取る。

 言葉の代わりに本気の意思表示。

 お喋りは一時中断となり朝稽古が始まった。


 朝稽古の結果は俺の逃げ切り勝ち。

 竹刀に慣れるためにひたすら打ち込んでくるアリシアの攻撃を防いだり、避けたり、打ち落とす。

 余裕を持って行動するために早めに切り上げて俺は道場の簡易シャワー、アリシアは本邸の浴場でそれぞれ汗を洗い流して制服に着替えリビングへ集合した。

 そして俺は人生で上位で食い込むほどの窮地に立たされている。

「ふんふん♪」

 アリシアが鼻歌交じりにキッチンで料理をしているのは稽古をつけていることに対しての見返りだ。

『一方的に甘えすぎないのが夫婦円満の秘訣だそうです』

 そう言われてしまっては無下にはできない。

 ただ王族とかは専属の料理人が作るため料理の機会が少ないイメージがある。

 漂ってくる匂いは美味そうだが料理というものは蓋を開けるまではわからない。

「できました」

 出された料理は鏡夜の喫茶店で見たことがあるものだった。

 確か名前は――。

「これはガレットか?」

「正解です」

 アトリシア公国では朝食やおやつの定番料理の一つ。

 逆に大和料理を出されるよりは安心感はある。

「ではいただきます」

「召し上がれ」

 ナイフとフォークを使う朝食に新鮮さを覚えつつ、ガレットを口に含む。

 チーズとベーコンの良いバランスとブラックペッパーのピリッとしたアクセントがあって大変美味である。

「美味いな」

「お口にあってよかったです」

 ギャンブルと思っていたことが申し訳なくなる。

 朝稽古をしてさっそく得した気分だ。

「こう言っては何だが料理を作れるのは意外だな」

「まぁ確かに母国にいた頃は一度も作ったことがありませんし、料理を作り始めたのはここ一ヶ月です」

 一ヶ月でこのクオリティ。

 恐ろしい才能だ。

「千歳さんとどちらのほうがよろしいですか?」

「あいつのアトリシア公国料理を食べたことはないから比較できんな」

 月並みな答えだが我ながら上手い回避。

「ではお夕食は大和料理を作りましょう」

 自画自賛したせいで回避先の足元を狙撃される。

「待て待て、お互い昼は学食だろ? なら、アリシア理論に基づくなら夕食は俺の当番だろ」

 その場しのぎなのは百も承知。

 次こそ決めてみせる!

「私が作ることに何か問題でも?」

 先回りされた挙げ句ぶった斬られた。

「なら、聞くが。千歳に張り合っているのは何故だ?」

 しかたないので正直になることにした。

「明確な比較対象がいると越えずにはいられないのが乙女心です」

「乙女心が武闘派すぎんだろ……」

 アリシアと千歳は合わせないほうがいい気がしてきたが千歳はここの合鍵を持っているので不可能。

「機会があれば千歳さんと料理対決をしてみたいですね」

「好きにしてくれ」

「何を他人事みたいに言っているんですか? 審査員は隼人さんですよ?」

「あー、ガレットうめぇ~」

 どちらに評価を下しても角が立つ。

 そんな地獄みたいな食戟が行われないことを現実逃避しながら切に願う。

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