第七話「成長する心」

 時刻は朝四時。

 風見家の敷地内にある森の中。

 朝焼け色の空を眺めながら欠伸を噛み殺す。

「余裕そうだな」

 目の前には道着に着替えた鏡夜。

「あれを見るとな」

 俺達二人の周りを囲むのは二日酔いで顔が青ざめた男たちという地獄絵図。

 そして――。

『えー酒浸りのは皆さんおはようございます。今日の朝稽古はあの二人の稽古に乱入して倒すことです』

 紅一点。

 何故か神楽舞の練習をしているはずの千歳が拡声器を持ってガイド役をしている。

 問題なのは巫女服ではなく道着姿という点だ。

「鏡夜。千歳のあれはあいつも参加するというか?」

「そういや今朝『久々に鏡兄と隼人とガチバトルかー楽しみ!』とか言っていたな」

 大方堅苦しい神楽舞の練習にフラストレーションを溜めていたんだろ。

『えー。あの二人どちらかに膝をつかせた場合は――』

 千歳が取り出したるは一升瓶。

 それを見た門下生たちの目が変わった。

『叔父さんの秘蔵の日本酒を贈呈します』

『おぉーーーー!』

 男たちの雄叫びが森の中を木霊する。

 近所迷惑の心配はないがわきすぎだろ。

「鏡夜。これ俺等が勝ってもメリットがなくないか?」

「お前はそうでもないだろ」

 鏡夜の視線の先には離れたところにいる着物姿のアリシア。

 部屋を出たところで梓さんに拉致されたと思えばそういうことか。

「少しはやる気出たか?」

「単純なことにな」

 浅葱色の布が森に溶け込み奥ゆかしさを強調している。

 視線に気づいたのか手を振っていた。

 負けるわけにはいかないな。

「あれが隼人様の婚約者か」

「クッソ美人じゃねえか」

「リア充など滅べばいい」

 門下生たちの恨み節も遠いせいかアリシアまで聞こえていない。

「安心しろ隼人。婚約者の前で無様に転がしてやる。今日は学園へ行かず部屋で看病されてろ」

 剣術ならいざ知らず。

 拳のみで鏡夜に勝った覚えはない。

「いいぞー鏡夜さん」

「やっちまえ!」

 あいつら自分たちで俺を倒さないと酒がもらえないのわかっているのか?

「悪いが遠慮する」

 さてどこまで喰らいつけるか。

『いざ尋常に――――始め!』

 どっしり構える鏡夜。

 俺らの間を入り乱れる門下生たちという障害物。

 刺激的な稽古になりそうだ。


 隼人さんの稽古が始まって数分。

 ほとんどの門下生たちが人間テトリスのように積み上げられていく。

「いやー参加しなくて正解だったわ」

 拡声器片手に千歳さんがこちらに来ていた。

「千歳様は――」

「ちーとーせーさーまー?」

「うっ……千歳さんは参加されないんですか?」

「私も隼人くんと同じで素手は自信なくてね」

「隼人さんはあれで自信がないんですか?」

 マスターの打ち込みを息も切らさず捌きながら門下生たちを積み上げていく。

「いつもより真剣ね。可愛い婚約者が見てるからかしら」

 いつもならからかわれて顔を赤くするが千歳さんには話がある。

「千歳さん、あの」

「私は隼人くんが好きだけど。男の子としてじゃない」

 まっすぐな瞳。

 嘘偽りがない言葉。

 そんなことを言われたら。

「アリシアは隼人くんのこと好き?」

 私も嘘偽りなく答えるしかない。

「はい」

「婚約者として?」

「違います」

 深く息を吐いて千歳さんを見る。

「一人の男性としてお慕いしております」

 隼人さんが婚約者だから好きなんじゃない。

 隼人さんが隼人さんだから好きなのだ。

「ねぇ……アリシア」

 まるで獲物を見るような瞳。

 身震いするほどの恐怖は。

「抱きしめていい?」

「へ?」

 熱い抱擁によってかき消された。

「あ、あの千歳さん?!」

「私ね。妹が欲しかったんだー。ねぇ千歳お姉ちゃんって呼んでみて!」

「へ? へ?」

 何故千歳さんがテンションを上げているのか。

 抱きしめられた挙げ句、姉呼びを要求されているのか。

 状況がまるで飲み込めない。

「誰か助け――」 

「なにやってんだ千歳」

 隼人さんが来てくれたので無理矢理脱出。

 すぐさま背中に隠れた。

「あ、隼人くん邪魔しないでよ。私は義妹を愛でてるんだから」

「普通に怖がってんだろ、やめてやれ」

 急なことで足が震える。

 同時にこの前の模擬戦の時の強さが頭をよぎる。

「え? 無理だけど。それに隼人くんばかりズルい」

「何がだ?」

「だって。こんな可愛い子に好かれてるんだよ? その幸せを私に分けてくれてもいいじゃない」

「お前が小動物や可愛い子見ると猟奇的になるのが悪い」

 出来の良い弟も被害者で千歳を見ると警戒して甘えてこなくなったんだよな。

「それに隼人くんのお母さんたちにバラされてもいいの?」

「あ?」

「さっき抱きついて気づいたけど。隼人くん昨日アリシアと寝たでしょ」

「……」

 なぜ気づかれてたんでしょう。

「化粧に紛れてたけど少しだけ隼人くんの匂いがしてたよ」

「犬か、お前は」

 ここ三日間一緒に寝ていたせいで匂いがうつっていたんですね……。

「ラブラブで何よりだけど気をつけなよ」

「わかってる」

 あのー隼人さん?

 あまり認められると私が恥ずかしいんですけど……。


 鏡夜との朝稽古は門下生全員を積み上げた時点で終了。

 まだオヤジたちは酒を飲んでいないが面倒なので宴会場ではなく、俺の部屋で朝食を食べていた。

「千歳。こんなところで飯食べていて大丈夫なのか?」

「平気平気。むしろ宴会場はお酒の匂いが漂ってて鼻がバカになるんだもん」

「あーなるほど。あとアリシアを構いすぎるなよ?」

「ねぇ、聞いたアリシア? 隼人くんすごーく嫉妬してるよ」

「は、はぁ…………」

 千歳の豹変っぷりに俺もアリシアも驚いている。

 確かに異性として好意を向けられたことはないが何となくアリシアとのことを反対していると思っていた。

「千歳。お前この前まで反対していなかったか?」

「あれは隼人くんがアリシアじゃなくて紅葉姫が理由で婚約したと思ってたから。自分たちの意思なら何も言うことはないよ」

 なんか解せないがそういうことにしておくか。

「それより鏡兄から聞いたよ。また変なことに首突っ込んでるらしいじゃん」

 お喋りな従兄だな。

 危うく味噌汁が変なところに入るとこだった。

「自分からじゃない。怪我させられそうだったから前後関係を洗ってるだけだ」

「いつもは気にしないくせに」

 意味ありげにアリシアを見るのはやめろ。

「今回の件、千歳さん的には――」

「ツーン」

「……千歳お姉ちゃん的にはどう思いますか?」

 あいつアトリシア公国のお姫様に姉呼びさせているのわかっているのか?

「隼人くんは大人しくしてたほうが良いと思う。祭りも近いし」

「俺もそうしたいが来週頭はもう一個面倒事があるだろ。なるべく今週中に片付けたい」

「忘れてたのに思い出させないでよ」

「何かあるんですか?」

「俺等のクラスに転校生が来るんだ」

「それの何が面倒事なんですか?」

「その苗字が西園寺なんだ」

「西園寺……あぁ、代々御門家の文官を務める家名でしたね。仲が悪いんですか?」

「悪いも悪い。犬猿の仲だ」

 特に一個上のあいつ。

 喋り方や態度全てが気に食わない。

「この通り隼人くんが見てわかるぐらい嫌悪感を抱くぐらいの仲よ」

「わ、わかりやすいですね」

 実際問題若狭の息子の件はアリシアのためにも早めに解決したい。

「隼人さん」

「わかってる無理はしない……何笑ってる、千歳」

「ごめんごめん。あの隼人くんが紅葉姫以外のお願い聞くのが意外で」

「俺をなんだと思ってんだ」

「婚約者にベタ惚れな男」

 ヘタレよりかはマシか。

「アリシアもそうだが千歳も気をつけろよ。若狭真琴の父親が絡んでいたらお前も無関係じゃない」

「心配どうも。けど、私も昔のままじゃないから」

 そういうことか。

 ここ数日で俺がアリシアのために変わったとわかったから。

 千歳も変わることを選んだんだな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る