第三話「別腹ブラックホール」
しばらくしてシャノワールに入ってきたアリシアはカウンターで鏡夜に注文をしてから対面側の席に座る。
まだ午後の授業中にも関わらずここにいることと朝の上機嫌がどこかへいっているところを見るにどうやら騒動の内容は耳にしたようだ。
「モグモグモグモグ」
その証拠に言葉を交わさずに次々と運ばれてくるパンケーキを上品な所作で貪っていく。
一体あの体のどこに入っているのだろうか。
「ふぅ……ごちそうさまでした」
どこまで食べるのかと思ったが十皿で打ち止め。
食後の紅茶を優雅に嗜む。
「あー……すまん」
「何で隼人さんが謝るんですか? 悪いのはあちらのほうでしょう?」
「それでもついカッとなってあしらい方を間違えたのは事実だからな」
真剣を見たら条件反射で本気になる癖をいい加減直さないとな。
「前から気になっていましたが。何故隼人さんは帯刀していないのですか?」
いつかは来ると思っていたこの質問。
言いづらい雰囲気を出していたら察してくれないだろうか。
「帯刀というか刀を使いませんよね?」
「親善試合のときは使ってただろ」
「それ以降見ていないから疑問に思うんです。道場にも置いてないですし、真剣どころか模擬刀もありません」
「よく見てるな」
「隼人さんのことですから」
カフェオレを一口飲んで心を落ち着かせる。
「他のやつは知らないが俺にとって刀は剣客としての矜持だ。安易に振るいたくはない」
人の命を奪う道具には違いない。
それでも一振りに自分の意志を乗せることは重要だ。
「そのために今までは紅葉のために振るうと決めて護衛役を辞める時に長年使用した愛刀である椿を預けたんだ」
その椿をまさかアリシアとの次第で渡されるとは思いもしなかった。
「椿を渡されるということは紅葉の願いを叶えるということ。そのとき俺は傷つくことも負けることも許されない」
守る必要のない約束かもしれない。
ただなんとなくこれは破ってはいけない気がする。
「ただこれは今までの話だ」
静かに聞いていたアリシアを見つめる。
話を聞きたがったのはアリシアだろうに。
そんな不安そうな顔をしないでくれ。
「傍にいてほしい人が出来たから俺は椿を持たなくても傷つかない。それが今の俺の覚悟だよ」
「すみません催促するような――」
「俺が言いたかったんだ。否定はしないでくれ」
「……はい」
俺の婚約者は甘いものをたくさん食べる。
そして隠しきれない不安を抱えている。
そういうのは煩わしいと思う性質だったんだけどな。
惚れた弱みか?
我ながら単純な男だ。
「不安な時は言うといい。ちゃんと答えるから」
隠すことで不安がらせるならどういう結果になっても真実を言えばいい。
そうすることで彼女の不安を取り除けるなら安いものだ。
「実際のところどうするのですか?」
「単に親善試合だけの話なら無視すればいいんだけどな」
問題なのはあいつが若狭元師範代の息子という点だ。
俺一人ならどうとでもなるが最悪千歳やアリシアが俺の婚約者と知られれば危害を加える可能性が出てくる。
千歳は今週末まで本家にいるため問題はない。
だがアリシアは違う。
学年も違うのもそうだが今は足を怪我している。
無茶をさせたくない。
外で一緒に行動するのを控えるか?
いや今日の食堂の一件で接点があることは確実にバレている。
「隼人さん?」
「……悪い。少し考え事をしていた」
妙案は浮かんだがアリシアにとって酷だからやめておこう。
「お前が悩み事とは珍しいな」
鏡夜がコーヒーポットを持って近づいてくる。
「マスター! 今回も大変美味でした」
「お褒めに預かり光栄です。で? 何の話をしていたんだ?」
あ、そうか。
その手があったか。
ただ千歳の過去に関わることなのであまり鏡夜には言いたくないが……背に腹は代えられない。
ここは大人しく従兄の手を借りよう。
「実はな――」
今日、若狭元師範代に喧嘩を売られたこと。
そして学園でのアリシアとの関係性。
俺が問題視している点について洗い浚い話す。
「なるほどな。わかったあいつには俺から言っとく……が隼人」
「わかっている。もし公的試合になったら受ける」
組み伏せたのはいわば温情だった。
アリシアから俺が出た後の話が本当なら相当プライドが高いと見る。
こういう手合は自分の行動の失敗を他人へなすりつける癖があるのが厄介だ。
やるなら徹底的に。
「ならば俺から言うことはない」
なんだかんだいいつつ妹想いのいい兄さんだ。
まあ、あの日鏡夜がいたら病院送りどころか棺桶送りだったろうがな。
「???」
話を聞いているアリシアは首を傾げて何のことかさっぱりのご様子。
これは鏡夜のプライベートのことだ。
安易に俺から言うわけにはいかない。
許せアリシア。
また今度だ。
「別々で帰って何かあるぐらいなら一緒に帰って噂になるほうがいい」
そう言われたら断る理由はないし、何より大事にされていることを嬉しく思う――それに。
「ん? どうしたんだ?」
「なんでもありません」
会って間もない私を彼にとって一番大事な人と同等だと言ってくれた。
今はそれで満足できている。
また少し……彼の元を離れたくない理由が増えた。
「ふふふ」
日に日に募るこの想いを。
どう表現していいかわからないのがおかしくてたまらない。
「やっぱり何かあるんだろ」
「言ってもわかりませんから」
これは私だけの感情。
ただのアリシアの感情。
初めて抱いた想いは隼人さんといえど簡単に理解されてはたまらない。
「そりゃあなんでもかんでもわからんけどさ」
不貞腐れて少し前を歩く子供っぽい隼人さん。
私が少し不安そうになるだけで言葉を尽くし。
私が悲しみを溢れさせれば触れてくれる。
本当に優しい人。
「大切な相手だ。少しでも理解したいって思うのが普通だろ?」
この人が王家の装飾を壊してくれて本当に良かった。
「なら、一緒に寝ますか? 男女の仲はベッドの中でこそ深まるものだそうですよ?」
私は難しい女だ。
知ってほしいのと同じくらい知られたくない。
誘惑するのに押しに弱い。
そして隼人さんのことが大好きなのに言葉にできない。
「俺が肯定しようが否定しようがどうせ潜り込むんだろうが」
「えぇ、『傍にいろ』と言われましたから」
からかうことでしか彼への好意を表現できない。
「はぁ……素直なんだかそうじゃないのか」
「失礼ですね。私は素直です。素直じゃないのは隼人さんのほうじゃないんですか?」
「返す言葉がないな」
苦笑する横顔。
気を許してくれているのだろうか。
「また抱きしめくれてもいいんですよ?」
人通りが少ないとはいえ外にも関わらず前に立って手を広げる。
「抱きしめてほしいの間違いだろ」
困ったように立ち止まるが手痛い反撃。
「言ったらしてくれるんですか?」
すかさず言葉を紡いで誤魔化す。
「……気が向いたらな」
逃げるように横を通り抜ける。
よし私の勝ち。
そう何度も負けてたまるもんですか。
「今日は何が食べたいですか?」
「朝食はアリシアが作っただろう。夜は俺が作るよ」
「それはダメです」
「昨日のご飯そんなに不味かった?」
「そういうわけではありません」
上の空でも隼人さんの料理の味は舌が覚えている。
隼人さんといい、マスターといい、ここ数日で男性は料理ができないというイメージを軽く覆されるレベルで。
胃袋を掴もうとしている私としては危機感しかない。
「私が作りたい。それじゃあダメですか?」
「ダメじゃないが」
「ダメじゃないが?」
「負担になるだろ」
彼が見たのは私の足元。
昨日捻挫したあたり。
「心配しすぎです。現にこうして普通に歩いているでしょ」
お姫様抱っこをしてもらうためについた嘘が裏目に出ている。
「わかった。ただし、洗い物は俺がするからな」
ごねずにすぐさま妥協点の提示。
恋人と同棲経験があるんじゃないかと疑いたくなるほどの慣れを感じる。
「はい、わかりました」
いたかどうかわからない相手に嫉妬するとは……。
自分のことながら重症過ぎる。
家に着いて軽く辺りを見渡すが特に異常はない。
お互い着替えをするためにそれぞれ自室へ。
狙い澄ましたかのようにスマホが鳴る。
着信相手は――千歳?
『今、大丈夫?』
「ああ、ちょうど帰ってきたところだ」
着替えるためにスマホを机においてスピーカーにする。
「何かようか?」
『実はさっき本家の方に若狭家から抗議の電話がかかってきたみたい……』
この歯切れの悪さに嫌な予感しかしない。
「その電話誰が出たんだ?」
『……隼人くんのお母さん』
「マジかよ」
母さんは千歳の件で伯母さんの次に激怒していた人だ。
抗議相手に罵詈雑言を浴びせたに違いない。
「母さんのことだ。『文句があるからかかってきな』とか言ったんだろ」
『うん……』
「で、相手の反応は?」
『フジコッて電話を切ったみたい』
「一番最悪じゃねえか」
母さん……何故あなたは息子以上に状況をややこしくするのに長けているんですか?
勘弁してくれよ。
こうなったら鏡夜に頼んだ保険よりもアリシアには少し酷だが妙案の方を選ぶほうがよさそうだ。
「千歳。母さん近くにいるか?」
『ちょっと待ってね……いた!』
十中八九母さんは二つ返事で承諾してくれる。
さて……アリシアにどう伝えようか。
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