6.遠くへ、広くに【Day6・呼吸:桐生+高梁】
先日まで同じヤギリ所属の『ハロチル』の『なないろ』だったのに、今日はヤギリ所属『
今日、桐生と高梁は一緒にボイストレーニングを受けることになっている。通常はスケジュールの問題により、なかなか一緒にボイトレを受けることは叶わないのだが今日は偶然ふたりのスケジュールが合致したのだ。
先んじて一曲歌い終わった桐生にトレーナーが「高音の幅が広がったね」と述べて、高梁を立たせる。次は高梁が歌う番だった。
「──発音が良くなってる、努力したんだね」
「あ、ありがとうございますっ」
「次の曲も歌唱パート増えたみたいだし、努力が実を結んでるんじゃないかな」
この調子でファイト、とガッツポーズをされたが高梁はそのポーズを返せなかった。
果たして本当に努力が実を結んだのか。隣で悠々と泳ぐ人魚の如く歌い上げるメンバーを見て、蓄えてきたはずの自信が沈んでいくようだった。
「いや努力が実を結んだのはその通りだろ。そうじゃなかったら、
トレーナーの予約時間が終わり、そのまま自主練へと移る。高梁が抱いた不信を漏らせば、桐生は険しい表情を浮かべて彼の顔を覗き込んだ。そして放ったのが先ほどの言葉だ。励ましではなく、妥当な事実。
「上手くなってると思いますか……?」
「元々下手という訳じゃないし。不安だったのは日本語の発音だけで、あとは水準以上だったと俺は思ってたけど。で、発音も褒められたってことは本当に実力がついてるんだよ」
「ふへ、えへへへ……」
「おお急に笑い出した……気持ち悪い……」
「なんですって⁉」
「ごめんて」
でも元気が出たようなら良かった、と笑いかけられ高梁は次に出そうとしていた言葉を飲み込んだ。そうしたまま、桐生をじっと見つめる。
「それでも、永介くんみたいに歌いたい、と思うのは、よくないんでしょうか」
「はい⁉」
今度は桐生が驚く方だった。唐突なリスペクト発言に慄くのは相手が高梁だからだ、常に好意を向けられてはいるがこうした『尊敬』『憧憬』に近しい感情をぶつけられた覚えは少ない。褒め言葉は、いつも大事に受け止めさせてもらっているけれど。
「もっと永介くんみたいに、遠くに、“
高梁の言葉を聴いて、桐生は茶化して笑っていい類のものではないと即座に理解した。特に“&YOU”(『read i Fine』のファンネームだ)絡みの言葉は常に真剣、彼の本心の最も近いところに存在している。
桐生は一息ついて、呼吸かな、と応えた。
「呼吸?」
「息を乗せて歌う感じ。といっても日本語は発音的に難しいから、最初は英語曲で練習した方がいいかも。こんな風に、声と息を混じらせて響かせる」
もっと正確に言えば、口の上にある鼻腔の空間を上手く扱うという感じだ。肺活量ではなく、腹式で。声の音量を上げるのではなく、響かせることによって音圧を生む。桐生が普段やっている歌唱法だが、当然一朝一夕にできるようなものではない。
「……kiss of life」
「……『生のキス』?」
「日本語だと『人工呼吸』です。生きるための呼吸をあたえる。永介くんの歌は、人工呼吸みたいです。呼吸をあたえる、生きられるように」
「そんな感じかなあ」
不本意という訳ではないのだが、どこか大袈裟なようにも感じてしまう。
確かに今まで活動してきて「あなたの歌が日々の活力です」的なコメント、手紙もいただく機会が増えてきた。喜んでもらえるのは嬉しい、喜んでもらえるように歌ってきたのだから。ただ『喜んでもらえるように』歌ってきた自分が、そんな評価を貰えていいものか微妙な気持ちではある。
「いいんですよ」
「いい、のかな」
「いいに決まってます。深刻だと受け取る相手も受け取りづらいです」
それはそうかも知れない。
「私たちがやっていることは、エンターテイメントです。生きるか死ぬか、のいちばんはずれにあります。だから深刻さはいりません。ただ楽しく、そうであることに喜んでいればいい、そう思います」
高梁は目を細め、穏やかでいてどこか勝気な雰囲気な笑みを浮かべる。いつもこういう笑顔に励まされてきたな、とふと思い出した。教える側が励まされてどうなんだ、という感じだがそれは高梁が持つ哲学の強さ故なのだろう。
「俺らが楽しいだけで誰かを救えてたら、それはとても素敵なことかもな」
「ですね。ちなみに私はいつも永介くんの歌に救われてます」
「歌だけですか?」
「永介くんという存在にも救われてますよ~、当たり前じゃないですか!」
高梁は言うや否や桐生の肩を小突く。本人的には軽く小突いた程度だが、桐生はとんでもない衝撃に目を丸くした。明らかに、力の加減がおかしなことになっていた。
「あっ、ごめんなさい永介くん! 痛かったです? 痛かったですよね⁉」
「……いっちゃんがお前のこと、『実質的には甘露寺蜜璃』って言ってたの、よく理解できたわ……」
「どういうことですか⁉ お漬物石ですか⁉」
「それこそどういうことだ……」
高梁ほどのパワーがあれば、力技で声を響かせられそうだな、とも思った桐生なのであった。
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