4.水槽に浸す影は消えず【Day4・アクアリウム:月島+土屋】

「それじゃあ本日の撮影は以上となります。お疲れ様でしたー」

「お疲れ様でしたー」

「お疲れ様です」


 撮影スタッフからの声掛けに、月島滉太つきしまこうた土屋亜樹つちやあきは深く頭を下げる。

 今日は女性向け情報誌の撮影だ。撮影場所は最近リニューアルされた水族館、『まだ間に合う夏の大人夜デート』と題して取材が行われたのだ。月島、土屋以外にも他のアイドルグループのメンバーやモデル等数名、異なる場所に赴き撮影をしているそうだ。


「じゃあつっきー、帰ろうか。もう遅いし」

「そうやな──待って、亜樹、ちょい待ち」

「うん?」

「お前、持ってきてたタオル、さっきのとこに忘れてきたやんな?」

「……あ⁉」


 今日の撮影は閉館後に行われたものだった。電気はつけてくれたのだが空調に関しては最低限しかつけられておらず、汗を拭くためのタオルを土屋はずっと携帯していた。忘れてきたのは恐らく、先程まで撮影を行っていた大水槽付近だろう。急いで撤収する撮影スタッフを横目に、ふたりはマネージャーへ断りを入れて大水槽へダッシュした。


「あ、あった~……」

「そりゃ閉館後になくなっとったらやたら怖いやろ……。亜樹も明日早いんやし、さっさと帰らんと」

「あら、覚えてたんだ」

「どこ行くんやったっけ、群馬?」

「そうそう、温泉」

「ええなあ、温泉」


 手すりに引っ掛かっていたタオルを土屋はすかさず掴み、ふたりは元来た道を戻っていく。その道すがらでする話は、明日のことだ。

 明日、土屋はオフである。厳密に言うと明日と明後日がオフで、彼はひとりで都会の喧騒から離れた温泉宿の予約を取っていた。車でしか行けないような宿だが、それは元々アウトドア派な土屋だ、デビューギリギリに運転免許を取って既にグループで一、二を争う運転手となりつつあるので心配無用である。


「つっきーは免許取らないの?」

「取った方がええんやろな、とは思うてるよ。流石に三十になって取るのは、記憶力的な面で心配やし」

「座学で引っ掛かる人も結構いるからなあ。っていうかうちのグループで免許取ってるのって俺といっちゃんと、あと誰だっけ」

水面みなもくらいやない? 永介えいすけは教習所に通っとる最中やろ」

「みなもんが取ったのもわりと意外だな……」

「『でかい作品運ぶために車動かせた方が便利』とのこと」

「なるほどねえ」


 色々な理由で取るもんだな、と土屋はしみじみとしたように呟いた。

 芸能人という職業はどこからどうキャリアが崩れてしまうか分かったものではない。ちょっとした一言であったり、振る舞いであったり、事故や事件からであったり。最近の芸能人が車の免許を取得していないのも、そのキャリアを守る故の行動なのだ。自損事故でも怪我や後遺症の可能性、対人ならば最悪引退して罪を償わなければいけない。

 最近は車対人でも、人の過失が認められる場合が増えてきたがそれでもニュースのセンセーショナルさや、インパクトによるネガティブなイメージの増殖には歯止めがきかないだろう。ちなみに土屋も免許を取る時にちょっと一悶着あったのだ。本当に、ちょっと、だけど。


「なんか、ひとりでどっか行くことも許されない、って感じしない? 免許の取得禁止とか言われると」


 土屋はぽろっと吐き出した自分の言葉に、しまった、と心中で狼狽えた。

 別にそういう話をしたかった訳ではないのに。でも発されてしまった以上、これはどこかにあった本音なのだろう。ただ状況(夜の水族館)もあってかなり意味深に聞こえてしまいそうだ、あーやらかした、そう思っていると月島は「まあなあ」と呟いた。


「そう言っても公共交通機関が発達してる現代やし、ひとりでどっか行くことも容易いけどな。車に乗って移動するからって足がつかへん社会でもなくなっとるし」

「……そういう問題?」

「そういう問題やろ。自分がしんどい時、……芸能人がしんどい時は大体誰かに何か言われまくっとるとか、そんな感じやけど。そういう時にひとりでどっかにおっても、でも誰かに見つけてもらえるって安心感は大事やない? オレはそう思う」


 いくら疲れ果ててしまっても、その元凶から距離を置くことはできる。でも距離をとり過ぎて、誰にも自分の行方が分からないということになることも。まあおよそ三十年くらい前ならなくはない話だろう、だが今の世の中では痕跡を完全に消すということほど難しいことはないのだ。


「それこそ神隠しレベルのお話やし、お前の場合やと御実家絡みかとも思われるわな」

「実家絡みと思われるのはやだなあ……」

「『実家と絡みがあること』を嫌がんなやお前は」


 土屋はグループでも家庭環境が最も複雑な人間である、その表情になる気持ちは分かるが、と月島は心の中でひとりごちた。


「せやから、ちゃんと帰って来てな? うちの偉大なコンポーザー、ひとりでも欠けたら『read i Fineリーディファイン』は死んでまう」

「もちろん。お土産買って帰ってくるよ……何が名産?」

「わからん、こんにゃくとか? 調べたらええやん」

「宿舎帰ったら──あ、もうこんな時間⁉」

「あかーん! マネージャーに怒られる!」


 どたどたと分かりやすい足音を立てながら、マネージャーが待っているエントランスまで走り抜ける月島と土屋。幸い、マネージャーも雑誌の編集側と話すことがあったようでお咎めなしであったが、こうひやひやしたのは久しぶりのことだ。

 薄暗いところで意味深なことを話すのはやめよう、深みにはまってしまうから、と思った月島と土屋なのだった。

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